
人気ブロガーのHagexこと、インターネットセキュリティー会社社員・岡本顕一郎さん(41)が殺害された事件が大きな波紋を呼んでいる。ネット上でのコミュニケーション、炎上の問題について、ジャーナリストの堀潤氏に話を聞いた。
■何でも言ってもいいのが「表現の自由」ではない
ーーSNSやブログから人気になった人たちがネットの世界からリアルの世界へと進出、サロンビジネスやセミナーなどを開催する中、今回のhagexさん殺害事件は「個人の情報発信」のあり方に大きな問題を投げかけているようにも思います。
堀:多様な言論・表現を体現したい思う個人が情報発信できるプラットフォームを得られる時代になりました。その一方、思わぬ形で様々なリスクを背負うこともある。今回の事件も、僕は起こるべくして起きたものだと思っています。
でも、言論には言論でというのが民主主義の大前提です。加害者がいくら悔しい思いをしたとしても、ああいった形で自己を誇示しようとした彼の行為は許すことはできない。 はっきり言えば、「赤報隊事件」のような言論弾圧ですね。「やられる方にも問題があったんじゃないか」「自業自得だと思う」というような意見もありますがが、そうした言説は慎むべきです。
その上で、このようなことが起こらないためにも、一般論として改めて確認したいことがあります。
それは、何でも言ってもいいのが「表現の自由」だとは思わないこと。それは情報の発信者と受信者、そして見ている人たちの関係性の中での自由だということです。人それぞれに権利があり、望む未来があり、幸せの形がある。けれども、それらが衝突するときには、いわば"公共の福祉"で調整し、均衡を保っているのが社会です。
自分の主張、正義、想いを一方的に書いてぶつけまくることはできます。でもそれによって傷ついた人がいたとしたら、その発信は果たして"公共の福祉"に照らしてどうだったのかと考えなくてはいけない。それなのにインターネットでの発信を見ていると、その"公共の福祉"の概念が後退してはいないかと感じることが多々あります。
もちろん、それでもあえて言わなきゃいけない、議論しなくちゃいけないことも時として出てくる。そのときには"公益性"があるという信念を持って、リスクを背負って向き合う。
情報を発信するということにはそういう前提があるんだと、みんなが押さえておかないといけません。
■炎上商法、突き放して見る感覚を
ーー過激な、極端な言い方で注目を集めて共感を得ようとする。もちろん一方には反感を覚える人もいる。そういうファンとアンチを増やす繰り返しの中でビジネスしていくという考え方もあるように思います。
堀:いわゆる"炎上商法"ですよね。評論家の宇野常寛さんは「極論を言って50%の味方と50%の反感を作って、少しずつ信者を作っていくような戦いはうんざりなんだよ」と。その気持ちはすごくよくわかります。
僕がこの話をするときにいつも引用するのが、1925年に書かれた、ある書物の一節です。
「広範な大衆の国民化は、生半可なやり方、いわゆる客観的見地を少々強調する程度のことでは達成されず、一定の目標を目指した、容赦ない、狂信的なまでに偏った態度によって成し遂げられるのだ」。
これはアドルフ・ヒトラーの『わが闘争』の一節ですが、彼は、淡々としているものは人々の心を動かさないということをよく知っていた、つまりプロパガンダには、一方的なものの見方、他者の否定、誇張された、過剰な表現を使うということです。
"炎上商法"って、この言葉と一緒だよねと思うことがよくあります。"淡々としていて、客観的で冷静で偏っていない"。ヒトラーの言葉とは逆の言説が認められないと、社会の言論空間は成熟しないと思います。
同時期に、ナチス宣伝相のヨーゼフ・ゲッベルスは、ラジオの最も有効な使い方は、精神性に働きかけることだと言いました。要は、気持ちの部分に訴えかけることが大事なんだと。だから、もともとはテレビやラジオ、新聞、雑誌も使っていた手法でした。
だからTwitterでもFacebokでも、シェアされるのはそういうものですよね。"ちょっといい話""15秒で泣ける動画"、みたいな。だから心を揺さぶられ、涙が出そうになるくらい感動した話も、心の底から腹が立つ話も、どこか突き放して見る感覚を持っていることが必要です。いくら正論でポジティブな話であっても、です。
たとえばTBSの元キャスター・下村健一さんは、「どうしてもRTしたいときは、たった一つ、"ほんとかな?"とつけてみては」と提案しています。映画『スター・ウォーズ』で、ダークサイドに落ちそうになるシーンを思い出して見てください。皇帝が"もっと怒れ!"と打ち付けてくるわけでしょう?(笑)。だからそういうものには近寄らない、見ない。そういう手法を使う人のことを評価しない。そういう心構えをしていれば、客観的に情報が見られると思います、自分のことを煽りまくった文章だったとしても、ちょっと心に余裕が生まれると思います。
■分断呼んでしまったNewsPicksの「さよなら、おっさん」
ーーNewsPicksの広告キャンペーン「さよなら、おっさん」が炎上しました。この問題も、作った人が意図したかどうかは別として、やはり共感する人と、怒った人で、ネット上は二分されてしまいました。
堀:先日のAbemaTV『AbemaPrime』でも、「ワールドカップを見ない人は非国民なのか?」というテーマでディベートをやりましたが、僕は「そもそもこの問題設定が正しいのか?」と言いました。
サッカー日本代表の活躍がもたらす熱狂に、メディアとして水を差すのも必要だけれども、「じゃあ見ていない奴は非国民だ」と言っている人はどの程度いるのか。見ていない人がそんなに卑屈になっているのか。むしろそんな問題設定をしたことで、むしろ分断が生まれてしまうのではないかと。
AなのかBなのか。イエスなのかノーなのかと問う。それぞれの立場を補完するために、客観的事実に見えるデータをそれらしく並べてみる。一見すると両論併記のように見えるけれど、実は問題設定をした人が主導権を握っていて、議論をいかようにもコントロールしている。そこに乗っかって、人々が「そうだ!「いや、そうではない!」と動かされてしまう。このやり方もプロパガンダですよね。
世の中はもっとグレーで複雑のはずですし、賛成・反対もパーセンテージくらいならば言えるかもしれない。だから二分しているかのように問いを立てるようなことからは卒業しないといけないですよね。NewsPicksは新しいことをやってもいるけれど、今回の広告は、結果として「おっさん」ということばを軸に分断を生んでしまった。どちらかといえば古典的なプロパガンダ的になってしまいました。

■プロフィール
1977年生まれ。ジャーナリスト・キャスター。NPO法人「8bitNews」代表。立教大学卒業後の2001年、アナウンサーとしてNHK入局。岡山放送局、東京アナウンス室を経て2013 年4月、フリーに。現在、AbemaTV『AbemaPrime』(水曜レギュラー)などに出演中。