東京・池袋駅から東武東上線で約50分のところにある東松山市。人口は約9万人、自然が豊かな一方で目立った産業はなく、駅前はシャッター街化が進んでいる。そんな東松山市で8日、市長選挙の投開票が行われ、2期8年を務めた現職の森田光一氏に挑んだ"女性装"の候補、安冨歩(やすとみ・あゆみ)・東京大学教授が注目を集めた。9日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では選挙直後の安冨氏に話を聞いた。
■市長になって、子どもを守りたい
大阪府生まれの安冨氏は1986年、京都大学経済学部を卒業後、住友銀行に入校。1991年、京都大学大学院経済学研究科修士課程修了後、研究者としてのキャリアをスタートさせる。
そして2014年、自分が"男性のふりをしている"ということに気づき、トランスジェンダーであることを公表。教壇に立つときも女性物の服を着て、化粧をしている。「50年間、自分は男性だと思い込んでいたけど、何か不愉快な感じがあった。ものすごくイラついていて、人を攻撃して叩きのめしたりするのが大好きだった(笑)。ある時、女性の服を着たら精神が安定して、もう男性の服を着ることができなくなった」。
「世の中には立場上、女性の格好ができずに苦しんでいる人もいるし、性的な満足を得られるからと女性の格好をしている人もいると思う。私の場合、男性として認識される体型を持っていて、女性の服を着た方が安定しているというだけのこと。それぞれを分類して、名前を付ける必要はないと考えている。そもそも心には性器が付いていないので、性別なんてないと思っている。LGBTの分類は60何種類に分かれているが、細かく分類しても仕方ない。例えばゲイという人はいないと思っていて、"男のくせに男を好きになるやつは変態だ"と攻撃したい気持ち、性的な嗜好を口実にした差別があるだけ。私たちには、他人を差別して攻撃したいという、非常に卑劣な欲望を持ってしまっている部分がある」。
そんな安冨氏は、1年前に東松山市に移り住んだ。そこで「自然・文化が豊かで、毎日美しい夕焼けが見られる。人の繋がりの破壊をこれ以上進めてはいけない。"懐かしい未来"のある街を作れれば素晴らしい」と感じ、市長選に立候補することを決意した。
市長になってやりたいことは、「子どもを守ること」と即答する。
「学校を、子どもが辛いと思うことがあれば逃げ込める基地にしないといけない。何より子どもたちの食う・寝る・遊ぶを満たした上でないと教育なんかできるわけはない。アリス・ミラーというスイスの思想家は"幼児の虐待は、その人が大人になった時にその人の人格に甚大な悪影響がある、そういうものが戦争や環境破壊を引き起こしているんだ"と指摘した。マイケル・ジャクソンは、"子どもを守り、世界を癒そう"というキャッチフレーズで多くの作品を作った。この2人の影響が大きかった。人間の中にある暴力性というのは、基本的に子ども時代に親とか大人にいじめられたから、人間に生まれるものだと思っている。子どもたちが暴力にさらされないで、精神を守ることがまともな人間を社会の中に作り出す方法だと思っている」。
東松山市で起きた少年事件を知ったことも"出発点"の一つだ。「東松山市では、30年くらい前に中学校で殺人事件が起きた。そして2年前には子どもたちが中学生を殺してしまう事件も起きた。選挙戦を始めてから、その事件がとても重要なものだったということに改めて気づいた。ある意味、その事件が私を出馬させたのかなと思うくらい。最終日には、歩いて事件現場に行き、田んぼで詰んだ花を捧げることができた」。
■有権者の態度にも変化が
しかし、安冨氏にとっては初めての選挙活動。引っ越して1年余りの新人候補を支援してくれる組織もなく、初日に集まったのもTwitterで興味を持ち、市外からやってきた10人ほどの人たちだけ。選挙カーやタスキなど、何から何まで現場で作っていった。
一方、現職の森田氏は東松山で生まれ育った地元の有力者。選挙活動も百選練磨だ。近隣の市長をはじめ多くの政治家たちが集結、最終日には竹下亘・自民党総務会長も応援に駆けつけた。まさに"プロ対初心者"の戦いだった。
有権者からの反応も冷ややかだった。当初は「ゲイやオカマは受け入れられない」「政治家が女装するのはおかしい」といった厳しい声も聞かれた。「この辺は保守的な地域なので、女性装をしている人なんかみたこともないし、"オカマなんですよ"と言って回る人もいっぱいいた」。
それでも安冨氏は「東松山ファンタジー化計画」を掲げ、友人のちんどん屋を呼び、シャッター街に明るい音楽を響かせた。さらに別の日には馬とともに登場させ、子どもたちに触れ合ってもらった。
東松山駅頭では真剣な面持ちで「みなさん、子どもを守りましょう。子どもを守ってください。子どもの望みを聞いてください。大人は子どもの夢を叶えるために生きています。子どもたちの夢を実現するために全ての社会的な力を使うべきです。政治的な力を使うべきです。経済的な力を使うべきです」と訴えかけた。
「子どもたちは違いを認める力を持っているが、大人が余計なものを押し付けて破壊することが問題だと思う。私たち大人は、子どもたちの素晴らしさを破壊しないように努力するしかない」。
安冨氏の訴えに、有権者たちの反応も変化していった。安冨氏の演説を聞いていた人からは「言葉がストレートで嘘が感じられない。どう考えているのかというのを聞いてみたいと思った政治家は初めて」「子どもが幸せならきっと大人も幸せな社会だと思う。心の中で思っていた事を彼女が言葉にして投げかけてくれたので、魂が引きつけられた」「性の有り様で揺らいでいる子どもなど辛い思いをする子が救われたり、孤独ではなくなる。そんな子どもが1人でも増えればと思う」といった感想が聞こえてきた。
見た目のせいで穿った見方をされるからこそ、会って話すとギャップが生まれるはずだと考えていた安冨氏。「みなさん驚いていたし、警戒していたけど、実施に話をすると受け入れてくださって、選挙戦終盤には、車の中から手を降ってくださる方もいた」。
■「やりたいと思っていたことの何倍も達成できた」
そして迎えた投開票の日。結果は森田氏19094票に対し、安冨氏は7154票。落選だった。しかし、安冨氏の表情は明るいものだった。「そもそも自民・公明が支援する森田氏が1万9000票をきっちり取るということはわかっていたし、投票率も低いので、私はそれ以上取らないと勝てないことはわかっていた。それでもやりたいと思っていたことの何倍も達成できた。当選できなかったのは残念だが、非常に成功した選挙だったと思っている」。
安冨氏の挑戦が投げかけたもの。タレントの池澤あやかは「選挙って堅苦しくて、フォーマットが決まっているイメージがあったが、考え方次第ではいろんな世代に伝えられると感じた」、ウーマンラッシュアワーの村本大輔は「7000票はすごいと思う。今回、見た目のことと、子どもについての主張くらいの情報しか伝わらなかったかもしれないが、これからもっと知られていったら、もっと票が入ると思う。むしろパッと来た先生に7000票も取られた現職市長が圧倒的に勝てなかったのはダサい」とコメントした。
作家でジャーナリストの門田隆将氏が「あと2週間あったら、もっと得票していたかもしれない」と話を振ると、安冨氏は「あと2週間もやったら、倒れてました」と笑う。
「私に投票した人の中には、選挙前と選挙後で考えが変わった人がいるはずだから、やっぱり地元の人に出て欲しい。私みたいなよそ者ではなく、この町に生まれた人に市長になってほしい」。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)