
数々の金字塔を打ち立ててきたレジェンドアスリートが、『ビートたけしのスポーツ大将2時間SP』(テレビ朝日系)に登場。彼らの名場面や秘蔵映像を見ながら、その映像に秘められた知られざる事実をレジェンドから語ってもらう特別編が、15日(よる6:57~)に放送される。レジェンドが手にした数々の栄光の裏に隠されていた驚くべき真実とは?ビートたけし、ナインティナインも思わず目を見張るような事実が次々と明らかになっていく。
以前「テニス対決」のスタジオ解説として「スポーツ大将」に初出演、たけしとの“初絡み”に緊張しつつもVTRに向かって「何やってんだ!」と檄を飛ばし、たけしらの笑いを誘った松岡修造。その松岡が今回はテニス界のレジェンドとして登場する。

1995年のウィンブルドンでは日本男子62年ぶりのベスト8に進出。とにかく前向きな“熱い男”として知られる松岡は、同大会でベスト8を決めた一戦でも激しい言葉で自らを鼓舞し、力強いショットを打ち込んでいた。ところが、松岡本人に言わせると自身は“熱い男”ではなかったとか。テニスプレーヤー松岡の真実が本人によって明らかにされる。たけしやナインティナインはもちろん、誰もが驚く松岡修造の真実とは?
■応援団長・松岡、半端ないって!大林ら女子バレーを熱血応援

現在はJOC(日本オリンピック委員会)も認める日本代表応援団長でもある松岡。自身もソウル、バルセロナ、アトランタと3回のオリンピックに選手として出場しているが、バルセロナオリンピックにバドミントン代表として出場した陣内貴美子によると、当時の松岡は「とにかく選手村のどこにでも現れる」人だったという。さらに「大きな声で歌を歌いながら選手村に帰ってくるんです。だから他の競技の選手たちも(歌声を聴いて)『松岡修造が帰ってきたよ』と言っていました(笑)」と、かなり目立っていたようだ。
そして、「私は松岡修造ネタを日本で一番持っている」と自負するのは、ソウル、バルセロナ、アトランタと3大会に松岡とともに出場したバレーボールの大林素子。「みなさんが今テレビで知っている“応援するおじさん”の修造くんは選手時代から同じ。女子バレーの応援にも来てくれて、バルセロナの試合ではアウェーなのに日本の応援が盛り上がっているな、とスタンドを見たら修造くんが旗を持って走り回っていました」と明かす。
現役時代から“応援団長”をしていたことについて松岡は「僕はオリンピックは全て1回戦で負けていたので応援しかないんです!日本選手の選手名鑑を全て把握していて、選手の顔を見ただけで、どの競技かも含めて全部わかっていました」と、まさに応援団長として当時から“半端なかった”ようだ。

その“半端ない”熱さがヒートアップしたのがアトランタオリンピック。当時、松岡は日本の女子バレーが「もっとできる!」と感じていたそうで、大林によると「男子禁制の選手部屋に男子コーチ以外で唯一入って来た」のが松岡だったそうで、「彼が部屋に入ることは認められていて、(選手を)指導したり、一緒に食事をしたり、ミーティングにも参加していました」と告白。
現役時代の活躍だけではなく、オリンピック選手村での熱血応援の“真実”が赤裸々に語られることになった松岡。しかし、こんな熱い男、松岡修造は実は〇〇だった!という意外な事実や、世界で活躍する錦織圭との秘められた絆も明らかになる。
(写真提供:テレビ朝日)

