池松壮亮。その名前を聞けば、いくつもの作品が思い浮かぶ。28歳にして主演作、出演作多数、そのどれもが強く印象に残る比類ない俳優だ。2018年の出演映画を並べるだけでも、池松と「朋友」とも呼びたい松居大悟監督による青春映画『君が君で君だ』の尾崎豊になり切る男役、黒澤明監督に従事した名キャメラマン・木村大作が手がけた『散り椿』で若侍・坂下藤吾となり、第71回カンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞した是枝裕和監督の『万引き家族』では、JKリフレ店に通う4番さんを繊細な演技で表現するという、圧巻のラインアップ。
そして、最新作『斬、』にて、敬愛する塚本晋也監督のもと、江戸時代末期、変遷の波に翻弄される浪人・都築杢之進として息づいた。武士として生きながらも、人を斬るということに悩み苦しむ杢之進の姿からは、人の命を守ること、奪うことといった重みが訴えかけられる。塚本監督が20年の構想の果てに生み出した本作の出演に寄せて、池松は「これをやるために俳優をやってきたのかもしれない」、「俳優冥利に尽きる」、「自分の代表作と言えるものに出会えた」と、次々と掛け値ない言葉で紡いだ。平成最後の出演作が代表作ともなった、『斬、』にまつわるすべてを聞いた。
未完のプロットの凄まじさに衝撃「“お手上げ”状態でした」
――塚本監督は池松さん以外、杢之進役を考えていなかったようです。オファーを受けて、いかがでしたか?
池松: 「塚本晋也監督に出会える」なんて、そうそうないですからね。それにしても、いただいた未完のプロットがすさまじかったんです。本当に素晴らしいものが上がってきていて。その時点で、何となく自分がやるべきことも、ゴールも、塚本さんが目指しているところも見えて。すごくシンプルながら、一瞬も軟弱なところがなく、ものすごく強度があって…なおかつ、ちゃんと繊細で。もう、ちょっと「お手上げ」状態でした。
――そこまで魅力的なプロットを受け取り、撮影に臨むまでの気持ちは、言うなれば「ワクワク」ですか?
池松: いや、いろいろありますよ。そこから、さらに高望みをしますからね。「じゃあ、何ができるんだ」と、ずーっと、ひたすら考えた上で、現場ではやるだけですけど。だから、ワクワクするし、ドキドキするし。「やばい。ひょっとしたら負けるかもしれない」というくらいの勝負作だったので、そういうリスクも含めたワクワク、期待、不安という感じですかね。
映画『斬、』場面写真
――池松さんは、「リスク」のような言葉を背負うほうが、面白みを感じたりなさる?
池松: こんな時代に安牌な試合みたいな言葉は、どうしても僕自身がワクワクできないので、「やばい。負けるかもしれない」みたいなところに、よく行く傾向があります(笑)。勝っているかとかはわからないですけど、ものを作る上でリスクがないと、いいものなんてできないと基本的に思っていますし。人は楽をしようとして、すぐ方程式を作ったりするけれども、相手にしているのは人の心なので。心という見えないものと闘っているので、リスクがありつつ奇跡が起きそうなところに割とワクワクするんですよね。別に予定調和でも何でも構わないんですけど、「より高いところに行ければ」という思いですね。
――予定とリスク、なかなか難しそうなバランスです。
池松: 難しいですね。すぐ方程式なんて崩れるし、信じられるものがない中でやっているので毎回、手探りですし。だからこそ、リスクがあったほうがみんな高いところを目指すはずだし、本気を出すはずだし、何かを祈るはずだし。
塚本監督と映画が作れることは俳優冥利に尽きる
――今回、塚本監督の現場では、どのようなことを感じましたか?
池松: こちらが感謝することが、すごく多かったです。塚本さんの現場って、すごく人数も少ないし、部署もへったくれもなくて、塚本さんがいて、俳優がいて、スタッフが5人ぐらいいて、みたいな世界なんです。だからこそ、言葉のある、なしでも、ものを作る上でのやり取りは、より密にさせてもらえました。
塚本さんは、少なくとも商業とはかけ離れたところで、ずっと闘っていらっしゃる方なので、本来の「ものを作る」ことだけを考えると、一番いいやり方を見せてもらいましたし、改めてもの作りの在り方を見せてもらえた感じはしました。ちょっと…本当に特別でしたね。
――今の池松さんのタイミングで塚本監督の『斬、』というめぐり合わせは、スペシャルなことという受け止め方でしょうか?
池松: 自分自身に関しては、そうですね。だからって、別に僕がやらなくても誰かがやるだけの話ですけど。とは言え、少なくとも「自分はこれをやるために俳優をやってきたのかもしれない」と思える作品に出会えることは格別ですから。自分が積み上げてきたものを出せる役柄を与えてもらって、世の中や社会に対して思っていることを演じるということで、塚本さんと共演して映画を作れるのも、俳優冥利に尽きるものでした。
「映画」をやっていこうと決めた10代
――傍から拝見していて、池松さんはそうした出会いや作品をアップデートし続けている印象です。ご自身が呼び寄せているような自覚はありますか?
池松: ある程度、あります。例えば…、10代で「映画をこれからやっていこう」と志したときに、大体、会わなきゃいけない人とか、会うべき人は見据えていました。その人たちに20代である程度会うことができて、自分が思っていた通りの素晴らしい人たちでしたし、そういう人と映画を作っている意味では、ある程度、見据えてはいますかね。
――では、スクリーンから離れて喜びを感じるのは、どういうときですか?
池松: どうなんだろう…?あまり線引きがないんですよね、今のところ。でも、普通に…おいしいものをおいしいと思ったり、空がキレイだなと思ったり、誰かを好きになったりしながら、日々生きています(笑)。
――台詞のような…すごく素敵な表現ですね。
池松: いやいや(笑)。人と変わらずというか。
――俳優という仕事で今のような立場で、舞い上がったりもしないんですか?
池松: そんなん言ったら、そうですよ。フワフワする自分とか、褒めてもらいたい自分とか、ご褒美が欲しい自分とかは常にあります。けど、それ以上の目的があるんでね。だからと言って、じゃあ、今、自分が思っていることをやれているかと言ったら、半分ぐらいしかやれていないんですけどね。
時代の変わり目に何を残すべきか―『斬、』はひとつの答え
――『斬、』が池松さん主演の2018年最後の公開作になるかと思います。今年の出演作を並べるだけでも強烈ですが、池松さんにとって2018年はどんな年でしたか?
池松: 今年は、あらゆることに関して無力さを感じる年だったかな。世の中の動きも、自分自身も含め。じゃあ、どうすればいいんだっていうことや、「平成とは何だったのか」みたいなことはずーっと考えていましたね。
――俳優さんて、折に触れ考えることの多い仕事ですよね。
池松: 考える、考えないはどちらでもいいし、自由だと思うんですけど、僕は考えない自分が嫌だったし、無責任な自分があまり好きではなかった。言ってしまえば、少なくとも映画をやっている上で、過去とか未来に責任を取ろうとせずやるのは、自分は耐えられないので、今ある時代の機運とかを映画ですくい取っていきたい、という気持ちはあります。だから自ずと、20代は考えてきましたね。…答えを出せたかは、放っておいてね(笑)。
だからこそ、去年『斬、』に賭けることができたんだろうと思うんです。僕、平成2年生まれなんですけど、まもなく平成が終わって、みんなが時代の変わり目に何を残すべきなのかを考える中で、自分では『斬、』という、ひとつアンサーを出せたのはよかったと思っています。
もう『ラストサムライ』と言わせない
――すごく乱暴な言い方をすると、『斬、』以前、以降という感じで思考も分けられますか?
池松: どうなんだろうな。僕の中で割と明確にあるのは、25で、20代前半に決着がついたんですよ。26から後半、さらに何か自分のやるべきことを考えたときに、26のときにやった『夜空はいつでも(最高密度の青色だ)』で。あの辺からちょっと、また新しいことをやり始めた気がします。その翌年に『斬、』をやって、今ですから。
『斬、』に関して言うと、自分の代表作と言えるものに出会えたなと思っていますし…時代劇って、俳優にとって、ひとつテーマでもあると思うんですよね。「時代劇で何をすべきなのか」をずっと考えてきて『斬、』をやれたのは、本当によかったかなと思います。もう『ラストサムライ』と言わせない、みたいな感じです(笑)。
映画『斬、』は2018年11月24日(土)よりユーロスペースほか全国公開
(C)SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
取材・文:赤山恭子
撮影:You Ishii