1989(平成元)年4月1日にスタートした『渡辺篤史の建もの探訪』が2月2日に放送1500回を突破、4月には30周年を迎える。
毎回リハーサルや下見は一切せず、その住宅の魅力を見たまま、感じたままに伝え続けてきた俳優・渡辺篤史が探訪してきたお宅は1500軒以上、取材した家族はのべ6000人を超える。
1989年春、沖縄を皮切りに桜前線と共に北上しつつ、日本全国の名建築を訪ねる旅番組として企画されたという同番組。記念すべき第1回は、那覇市の城西小学校(※京都駅を設計した原広司氏デザイン)を取り上げた。
当初は3か月間・計13回で終了する予定だったが、いつしか評判を呼び、気づけば取材対象も公共建築から徐々に住宅へとシフトし、今日では住宅専門番組として、日本有数の長寿番組になった。そしてそこには渡辺本人の“個人住宅好き”が大きく関わっていたという。
「沖縄からはじまったロケが熊本あたりまで来たところで、僕は飛行機で取材に通うことに疲れてきて…(笑)。それでプロデューサーに(近郊でロケができるし自分がいちばん興味を持っている)個人住宅の取材にしましょうよ、と提案したんです」。
実際、放送記録を振り返ると開始5回目にして、早くも個人宅が登場しており、終了予定の13回を超えて1年が経過した頃には、番組で取り上げる家のほとんどが個人住宅になっていった。
■建築専門誌ではありえない、取材スタイル
番組の人気の秘密は、30年間一貫して変わらない渡辺篤史の取材スタイルにある。台本、現場下見、打ち合わせは一切ナシで、番組冒頭の家族との挨拶シーンが、まさにその家との初対面だという。現場での渡辺の新鮮な驚きこそが、“探訪”の神髄なのだ。
また、渡辺はトイレや風呂はもちろん、キッチンの収納までも遠慮なくオープンする。建築雑誌では絶対に見ることができない、“家中の扉”を開けまくるところも特徴なのだ。
番組初期から現在まで制作に携わるプロデューサーの山澤達義氏は「当初、建築家にはそういう取材はやめてくれ、と拒否されたんです。ところが、箸も食器もきちんと収まるように設計しているところを紹介すると、視聴者は“建築家はこんなことまでやってくれるんだ!”とビックリ。そうやって渡辺さんは、建築家に対する印象のハードルを下げてくれたんです」と、渡辺の取材方法が昨今の建築ブームを作り上げたと分析する。
さらに、窓を褒め、椅子を褒め、手すりを褒め…と、渡辺が毎回、住宅のあちこちを「いいですね~!」と褒め倒す、その温かいリポートはネット上でも度々話題になり、いまや“褒め芸”と称賛されるまでになっている。
渡辺が住まいを褒めまくる背景には、「僕は日本の住宅がもっともっとよくなればいいと思ってこの番組をやっています。施主に選ばれた設計家が一生懸命考えて建てた家なのだから、僕はうまく仕上がっている部分を褒めて、それが放送されて評判になればいい。そうすることでその建築家を育て、ひいては住宅事情がよくなっていけばいいと思っています」という熱い思いもあるという。
■“平成の家作り“の歴史を見つめ続けて…渡辺篤史が思うこととは
平成の30年間、“狭小住宅”や“屋上庭園”、“省エネスタイル”“スキップフロア”“アイランドキッチン”など、新しい建築=様式が続々と登場し、番組も多様なライフスタイルを紹介してきた。
ここ数年は世代交代&建て替え周期に入った家が増え、土地が細分化されたことによって、若い家族が都心の狭く不規則な形の土地に建てた家を紹介する機会が多くなっているといい、そんな家には「現代の建築家のセンスが光っている」と渡辺は話す。
「この30年間で家が使いやすくなりました。長屋から団地への間取りの変化=食寝分離がエポックメイキングな出来事だったことを考えたら、今の進歩はすごい。変形した土地にも創意工夫次第で居心地のいい空間を作ることができる。そういう建築家の感性や工夫の数々をあげたらきりがないですね」。
■“感激の再会”も…! 巨匠から若手まで約1000人の建築家による住宅を取材!
これまで番組で紹介した建築家は、およそ1000人。著名な建築家による家も多数、取り上げました。世界的建築家の安藤忠雄氏、隈研吾氏。若手実力派の谷尻誠氏、藤本壮介氏。そして、大塚泰子氏をはじめとする、多くの女性建築家の住宅も。
その一方、若手建築家にとって『建もの探訪』は、自分の作品をアピールできる晴れ舞台となっていた。毎週30分間、巨匠の作も新鋭の作も同じボリュームで紹介されることは、若い建築家にはとても刺激的なことなのだという。
また、30年の歴史を持つ番組ならではの、こんな出会いもある。「『建もの探訪』を見てくれていた子どもが番組の影響で建築家を目指し、やがて成長して夢をかなえた彼が設計した家を取材に行ったことがあります。彼はロケ現場の隅のほうに立って感激、緊張していた…。この番組が育てた青年たちとのこうした出会いは、涙が出るほどうれしいです」と渡辺。
家を見れば、家族の生き方がわかる――。平成とともに歩んできた『渡辺篤史の建もの探訪』は、まもなく幕を開ける、新たな時代の家も探訪し続けていく。
■渡辺篤史コメント
――番組スタート時のエピソードを教えてください!
僕は、『建もの探訪』に関わる以前、20代半ばごろから建築雑誌の『新建築』や『住宅建築』、『GA JAPAN』などを読みふけり、本棚にずらっと並べていたんです。自分が将来、家を建てられるチャンスがあれば、建築家にお願いしたいとも思っていた。そんなときにテレビ朝日からこの番組をやらないかと声がかかったのですが、初代のプロデューサーは僕が建築好きなことはまったく知らなかったんです(笑)。
沖縄からはじまったロケが熊本あたりまで来たところで、僕は飛行機で取材に通うことに疲れてきて…(笑)。それでプロデューサーに(近郊でロケができるし自分がいちばん興味を持っている)個人住宅の取材にしましょうよ、と提案したんです。
――平成の30年間、住宅を訪ねてきて感じることは?
この30年間で、家が使いやすくなりました。長屋から団地への間取りの変化=食寝分離がエポックメイキングな出来事だったことを考えたら、今の進歩はすごい。変形した土地にも創意工夫次第で居心地のいい空間を作ることができる。そういう建築家の感性や工夫の数々をあげたらきりがないですね。
また、番組を見てくれていた子どもが番組の影響で建築家を目指し、やがて成長して夢をかなえた彼が設計した家を取材に行ったことがありました。彼はロケ現場の隅のほうに立って感激、緊張していた…。この番組が育てた青年たちとのこうした出会いは、涙が出るほどうれしいですね。
――“褒め上手”といわれることについては?
僕は日本の住宅がもっともっと良くなればいいと思って、この番組をやっています。施主に選ばれた設計家が一生懸命考えて建てた家なのだから、僕はうまく仕上がっている部分を褒め、それが放送されて評判になればいい。そうすることでその建築家を育て、ひいては住宅事情がよくなっていけばいいと思っている。だから絶対に否定しない。設計家が施主の家族を思って一生懸命作っているものだから、いいところを探して世間話を織り込みつつ紹介しています。
――この番組が果たしてきた役割とは?
この番組がはじまるまでは、一般の人が建築家に家を発注することは珍しいことでした。建築家は“先生”というか格式があるような印象で相談しにくかったんです。でも、実は個人で発注しても設計料が特段高くなるわけではないし、誰でも建築家に設計を依頼できることを知ってもらうことができた。画一的でない個性的な建物、身の丈にあった住宅。自分なりの自由な空間創り。『建もの探訪』がそのきっかけを作ったのだと思います。
そして、一般の人が建築家に建ててもらうようになると、次第に家の中からインテリアのデザインにも強い興味を持つようになっていった…。有名デザイナーの家具や照明を積極的に取り入れたインテリアを紹介したのも、この番組が初めてだったのではないでしょうか…!