日本統治時代の独立運動「三・一独立運動」から100年の節目を迎えた韓国。
記念日に行われる大統領演説では例年、日本への批判が前面に出るため、文在寅大統領の演説では「韓国と日本が力を合わせて被害者の苦痛を癒せば、心が通じ合う本当の友達になるだろう」「誤った過去を反省する時、我々(韓国国民)は一緒に未来に向かっていくことができる」「今になって過去の傷を掘り返して分裂を起こし、隣国との外交で葛藤要因を作ろうということではない。全て望ましくないことだ」とメッセージを送り、直接的な日本批判はトーンダウンした。
今年に入ってからも自衛隊機へのレーダー照射問題、徴用工訴訟の問題などで日韓関係がさらに冷え込む中、文大統領があえてそれらに言及しなかったのはなぜなのだろうか。
1日放送のAbemaTV『AbemaPrime』に出演した新潟県立大学の浅羽祐樹教授は「日韓の緊張が最高潮に高まっている局面で、さらに緊張を高めることはしなかったということ。日本に対して融和的なメッセージを出したというよりは、米朝も決裂した今、韓国からさらに挑発するようなメッセージは出さなかったという水準だと思う」と話す。
「三・一節はややもすると"反日"だと言われるが、"抗日"だ。100年前の1919年がどういう年だったのかを考えると、第1次世界大戦が終わって新しい秩序が構築される、世界的な歴史の転換点だった。結局、ヨーロッパでは帝国秩序から解放され、民族自決でハンガリーなどの新しい国ができたが、アジアやアフリカ、太平洋では植民地が残る、という列強の二重基準はそのままだった。当時はまだ植民地支配は合法だったが、それに対して異議を唱える抗日運動が三・一運動だった。もちろん100年後の2019年では植民地支配は不当だし、不法だ。つまり、ある地域では適用されるが、ある地域には適用されていなかったという二重基準ではなく、普遍的な基準が適用されるようになったということだ。そういう世界史的な転換が1919年に起こった。そういうふうに、何が正しくて何が間違っているのか、何が合法で何が不法なのか、という基準そのものが刻一刻と変わっていく。つまり、日韓の文脈だけではなくて、ヨーロッパとは違ってアジアには植民地が残ったという中で変化していったことに立ち返って認識すべきだ。日本もベルサイユ条約には列強のひとつとして参加したが、実際には秩序構築には関与できなかった。21世紀の今、朝鮮半島の秩序が変わるというところに、日本としてどういうふうに関わっていくのかが問われている。だから文大統領から日本に対してどういう言及があったとか、反日だとかいうことだけに囚われていると、歴史の急激な流れを読み解けない」。
その上で浅羽氏は「そもそも日本と韓国が友達になる必要があるのかということを問いかけるべきだと思う。国が違う、歴史が違う、世界観が違う、国益が違う、判断が違うわけなので、完全に友達になるのはおそらく不可能だ。何かことを一緒になす、ビジネスする。単に儲けるということだけではなく、北朝鮮問題に対してどこまでであれば一緒に取り組めるのか、どこは一緒に取り組めないのかを分ける。一緒にやれるところは一緒にやる、ビジネスパートナーには戻った方がいいとは思う」との考えを示した。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)








