17日に都内の病院で肺炎のため亡くなった歌手で俳優の内田裕也さん。
18日放送のAbemaTV『AbemaPrime』に出演したプロインタビュアーの吉田豪氏は「裕也さんの『俺はロッキンローラー』という本にサインをもらった時、誰よりも"ロックンロール"という言葉を使ってきた人なのに、"やべえ綴り間違えた"って(笑)」と故人を偲んだ。
そんな吉田氏が、いくつかの"内田伝説"を紹介した。
・Mr.Childrenが日本レコード大賞を受賞したことを聞いて
吉田氏:レコード大賞の結果を気にされている人で、「今年のレコ大誰がとった?」と聞くので「Mr.Childrenです!」と答えると「子どもたちが取ったのかあ」と。ウケを狙ってたのだと思うが、あの感じなので、笑っていいのかどうか分からなかった。
・叙々苑を深夜に開けさせる
吉田氏:桑名正博さんの息子の美勇士さんから聞いた話だが、美勇士さんが深夜に六本木交差点で裕也さんにばったり会うと、「腹減ってるか?」と聞かれた。「ちょっと」と答えると、裕也さんが叙々苑游玄亭に向かって全力疾走しだして、閉まっているのに無理やり店を開けさせて、奢ってくれたという話がある。自分で走っていくというかわいさ。
・「ニューイヤーロックフェス」で
吉田氏:リハの時点からピリピリしていて、PAさんがマイクのハウリングを起こした瞬間にキレてボコボコにしたという話がある。晩年の裕也さんの"片腕"として知られる『RISING SUN』というバンドのHIROさんによると、あくまでパフォーマンスで現場をピリッとさせるためにやってるということだったらしい。HIROさんに聞いた別の話では、ライブの時に足元に置かれるモニタースピーカーにキレて「全身を映してほしいのに、こんなものがあったら映らねえだろ」と撤去させ、今度は「音が聞こえねえぞ!」とキレた。多分、分かっててネタでやったことだとは思う。現場をピリッとさせつつ、笑いを取るみたいな人だった。
日本のロックの先駆者として、後のミュージシャンに大きな影響を与え続けた内田裕也さん。その訃報に悲しみが広がっている。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)










