アニメ『ドラゴンボールZ』の主題歌『CHA-LA HEAD-CHA-LA』などでおなじみの「アニソン界のプリンス」こと影山ヒロノブ。40年以上の戦隊シリーズ主題歌で最も売れた『爆竜戦隊アバレンジャー』の主題歌を歌う遠藤正明。『マクロス7』の吹き替えボーカルで、アニメファンをメロメロにした福山芳樹。『少女革命ウテナ』など、歌う曲全てがヒットアニソンの奥井雅美。そして『ONE PIECE』の初代主題歌『ウィーアー!』がデビュー作にして大ヒットした、きただにひろし。
影山をリーダーに、アニソン界の"レジェンド"たちが結集、2000年に結成されたのが「JAM Project」だ。これまでに手掛けたアニソンシングルは700曲以上に上る。
令和時代が迫る今、AbemaTV『AbemaPrime』では、影山ときただにに話を聞いた。
■「先輩アニソンシンガーの歴史が今日につながっている」
自身が主題歌を担当する際には、作品のエネルギーを感じるといい、「曲を作ったりする前に原作の漫画を読んだりする。自分たちもファンにならないと気合い入れて歌えないという気持ちがある」と語る影山。ロックバンド「レイジー」のボーカルとしてデビューした経歴から、『CHA-LA HEAD-CHA-LA』を歌ってくれと言われたとき、どんな思いを抱いたのだろうか。
「1作目の"掴もうぜ、ドラゴンボール"の『魔訶不思議アドベンチャー!』はCOME ON BABYというバンドがやっていて評判が良かったので、普通は次のシーズンも担当するはずだが、なぜだか解散しちゃった。それでディレクターから"次のドラゴンボールのやつ、影ちゃん歌ってくれないか?"と言われてレコーディングした。当時は一番苦しかった頃で、戦隊モノなどの仕事を依頼された時には、世の中が久しぶりに自分に振り向いてくれたような気がして、すごく嬉しかった。曲は普通にロックな感じなので、自分の得意分野だなと思った。でも、詞を見たときにすごくびっくりした。まずタイトルの"HEAD-CHA-LA"は分かるけど、"CHA-LA"が付いているのが分からなかった。"山さえお尻に見える"だとか、普通は使わないような表現がいっぱい入っていたのもこれが最初。やっぱり『CHA-LA HEAD-CHA-LA』がなかったら、それから海外に行くこともなかったかもしれないと思う。海外のイベントでも、海外の人に"どういう意味?"と聞かれるので、"ノープロブレム"と答えている(笑)。ただ、当時のアニソンシンガーはというと"縁の下の力持ち"というか、歌は流れるけど、顔は分からないという存在だったと思う。先輩のささきいさおさんや水木一郎さん、堀江美都子さんたちが、それをずっと心に持ちながら頑張ってきた、そういうアニソンシンガーの歴史が今日につながっている」。
一方、きただにの代表曲『ウィーアー!』も、当初は別の人が歌う予定だったという。「誰が歌うのかが決まってない状態だった。俺もアニソンは全然歌ってなかったし、仮歌も初めてだった。その中で『ウィーアー!』に決まり、誰が歌うかという話し合いの中で、"この人でいいのではないか"ということで、初めて"アニソン歌手"きただにが生まれた」と振り返る。こうしたエピソードに影山は「その後、ONE PIECEも大ヒットしたから、逃した魚はでかかったというやつだ。多分、泣いている奴がいる(笑)」と話していた。
■「海外のファンは、日本語で歌わないと怒るくらい。」
そんな2人が参加する『JAM Project』の活動について、影山は「結成当時は水木一郎さんもいたが、アニソンやJ-POPの新譜がプロモーションのために全然関係ないような番組で使われることが増えた時代だった。それに対して、兄貴(水木一郎)が"それはそれでしょうがないだろうけど、ずっと続いてきた日本のアニソン文化をちゃんと残していきたい。俺たちだけでもそういうことを頑張ろう"と言った。それが結成のきっかけだった。ちょうどアニソンというジャンルがインターネットと共に世界中で市民権を得ていくことに時期だったので、すごくよかったと思う」と振り返る。
結成から3年後に加入した奥井は、グループ加入当初について「ソロでやっていたのとは全然違うジャンルだと思っていたので、こんな長くJAM Projectにいると思ってなかった(笑)」と話す。取材にあたった声優でナレーターの榎本温子が、奥井に「4人の中に女子1人入って歌のはすごく大変だなと思う」と尋ねると、「ライブで最後に畳み込む。その部分が疲れる(笑)」とも明かした。
また、強面だが、実はJAMのムードメーカーだという遠藤は、海外のファンについて「俺より歌詞覚えているし、すごいなって思う」と指摘する通り、その人気は国境を越え、お隣の韓国や遠く離れたフランスなど、海外でも爆発している。
影山は「僕らだけではなく、世界中の若い人たちが日本中のアニメ文化が大好きだと思う。日本語で歌わないと怒るくらい。握手会もするが、例えば韓国だと、自分が勉強している日本語のテキストブックの表紙に"頑張れ"と書いてほしいと言われる。日本の文化を10年以上も応援してくれている韓国のアニソンファンは本当に最高な奴らという感じがする。僕の記憶だと、台湾の大学の体育館で、お客さんは4000人くらいだったが、すごいノリで、ステージが揺れてちょっと心配になった。嘘か本当か、台湾のファンの子が"窓ガラスが割れたんだぜ"と言っていた」と話す。
きただには「初めて北京にJAMで行った時。なかなか情報が入り込めないところなので、"本当に中国でJAM Projectを知ってくれているのかな""もし皆ずっと座ったままだったらどうしよう"という不安もあった。でも始まってみたら、めっちゃ盛り上がってくれたし、不安が解き放たれたのと、やっぱりどこの世界も一緒なんだ、ひとつなんだという感動で、最後は号泣してしまった。皆も1人ずつ泣き出して、忘れられない思い出になった」と明かした。
■「70歳、80歳になってもステージに立てれば」
既に令和元年のライブが決まっているという影山ときただに。影山は「デビューして42年になるが、その中の35年近くアニソンを歌っている。自分の人生そのものだと思う。僕は58歳。水木さんは71歳。今は俺とかよりもたくさんコンサートをやっている。あのぐらいまで頑張りたいと正直思う。できれば70歳、80歳になってもステージに立てればいいなと。草の根コンサート的な弾き語りのライブを月2回やると決めていて、できればなかなか行けないところを探して毎月行っている。7月には稚内と利尻島に行く。自分のライフワークみたいな感じだ。また、今年は自分たちのレーベルが20周年なので、令和元年6月21~23日に幕張メッセでJAM Projectの「ランティス祭り」という、フェスのような規模のコンサートをする」とやる気十分。「昔はアニメって子どもたちだけのものだったが、今は全ての世代の人が自分を元気にするのに、アニメは絶対必要なアイテムだと思う。それは世界中一緒だと思う」。
きただにも「僕は今年51歳になるが、やっぱり先輩含め、後輩含め若い、元気。見た目も精神年齢もすごく若い」と応じ、「歌いたい歌」「羨ましい歌」について問われると、互いに代表曲『CHA-LA HEAD-CHA-LA』と『ウィーアー!』を挙げていた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)