4月に投開票された大阪ダブル選。その候補者として自民党から出馬要請があったと報じられた俳優の辰巳琢郎氏が23日放送のAbemaTV『NewsBAR橋下』にゲスト出演。「今回は少し踏み込みすぎたかな」と、辞退に至るまでの経緯を激白した。
辰巳:そろそろ解散するかもね、ダブル選に持ち込むかもね、という2月20日過ぎに奈良に仕事に行ったんですよ。ちょっとぶらさがり取材みたいな形で記者の方と話をしているときに、「今度の話、無いんですか?」と。そこで僕が「選挙やるんですか?何も聞いてへんし、何もわかりません」と答えたら、次の日の新聞に"辰巳琢郎、明確に出馬を否定せず"と。おかしいでしょ?(笑)。寝耳に水ですからね。でも、前の選挙でもあったから、また来よったか!みたいな感じで。
実は30年くらい前から、選挙がある度にいろんなところから話は来ていたんですよ。もちろん政治がどんな風に動いているかは興味があるけど、政治家になることは別だし、役者としても大物がどういう風に話をしてくるのかという探究心もあって(笑)、一応、話は聞きましょう、スケジュール調整して、一回くらいは会ってもいいかな、それから判断すればいいと。常にそういうスタンスだったんです。
大阪がどうなっていて、なんで自民党と維新が対決しているのかとか、情報収集せんといかんでしょ。維新の人の中にもそれなりに親しい人もいますしね。話を聞いていて、維新に問題がないわけではないけれど、理があるなとは感じていた。そういう情報を集めつつ、自民党がどういう情熱を持って、あるいは人参をぶら下げてくるかと(笑)。だから今までと何か変わったことをしたつもりもなかったんですけどね。こんなに大きく記事になったのは初めてでした。
橋下:東京で議論して、そして東京の政治部の記者に話をして、辰巳さんのイベントの時に当ててこいという司令が出るわけですよ。そういうもの。辰巳さんとしては当然、否定も何もわからないからね。でも、そうやって政治というのは流れを作っていく。
辰巳:それから先方から「会いたい」という話があって。自民党サイドで会いたいと来たのは、まず府連会長の佐藤さん。「一回食事しましょうみたい」な感じで。そこで「出る気、ないですか?」と聞かれたので、「毎度光栄な話しで、一応考えますけれども…」と。そこでビシッと切っておけばよかったんでしょうけどね、今度は「とにかく二階幹事長に会うてください」と。二階幹事長ともゆっくり喋ったことなかったし、また一回くらい会うてもいいかなと。それで東京で、食事ではなくお茶飲みながら話をしました。
橋下:政治家と会った瞬間、全部漏れます。密談とかありえない。流れを作っていくために、むしろバレてもいいと思っている(笑)。
辰巳:まあ、漏れるかもしれへんな、なとはどこかで思ってたけどね(笑)。全くの拒絶、という感じで会いに行くのも変やし、向こうも真剣に来てくれてんねんから、1%でも可能性を残していかんと。割とちゃんと口説いてくれましたけど、こっちがグラっとくるようなものではなかったですね。いろんな調査結果や数字も見せてくれて「完全に大丈夫ですよ」とも言われましたけど、信用するわけではないし。
橋下:辰巳さんが見せられた数字と、僕らが把握していた数字にはずれがあったと思う。僕らの方は吉村さんの圧勝だった。でも自民党の方は、自分たちの候補者が行けるんじゃないか?という数字になっていた。
辰巳:維新支持の人たちのSNSに攻撃されました(笑)。「このアホ!」みたいな、ガラの悪いのもいたけど、でもこれが大阪やなというか、勢いすごいなというか。出馬取りやめた後は、「辰巳さん、ちゃんとわかってらっしゃる」みたいに変わったしね。維新から出てたら、これは行けたな、という感じでね(笑)。
僕は大阪都構想を全否定しているわけではなかったし、「維新の都構想には賛成はしてますと、僕が選挙に通ったら、いずれやりますよ」と自民党にも言いました。「でも大変な仕事やし、労力とお金も費やすし、エネルギーは万博に向けたところに使って、それが一段落したらやったらいいんとちゃいますか?」と。そうしたら「どうぞどうぞやってください!」「好きにやってくださいとね」と。本当にそういう感じだった(笑)。
橋下:自民党はそういうふうに言うから(笑)。でも、ホンマは絶対反対。維新と公明との間には約束したことの書面もあったのに、それが反故にされたからダブル選に突入したわけでね。辰巳さんも「え?なんですかそれ?」って言われてたと思う。
辰巳:その危険を察知したからね。これは信用すべきではないなと。なんとなく空気があるじゃないですか。お金についても「心配せんでもいい」って言われました、いつも言われるんですけどね。橋下さんはどんな風に口説かれたの?「やらなあかんな」、という気持ちになる"峠"があるじゃないですか。
橋下:僕は堺屋太一さんと会ったときです。「大阪のために一回…」と思いました。38歳でしたね。誘いを受けて、それから大阪の自民党の幹部と会い始めて。でも番組収録とか、いろんなことで迷惑をかけることがあるから。全部内密にしておいてくださいと言ったのに、その段階でわーっと情報が広がっていった。そのときは政治のことなんてわからなかったから、男と男の約束だからって思っていた。でも、政治家に内密なんてないの(笑)。だから「無理です。2万%無いです」と言いました。
そうしたら、たかじんさん、紳助さん、辛坊さんが「大阪のためにいっぺんやれ!番組のことは考えんでいい、後は俺たちに任せろ、やったる」と。(AbemaTV/『NewsBAR橋下』より)