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 今月1日に開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」で持ち上がった騒動。慰安婦問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、公共の文化施設でタブーとされがちなテーマの作品展で、2015年に東京で開催された「表現の不自由展」での「その後」を加えて展示したその内容に対する是非を出発点に、議論は歴史認識や補助金交付の是非についての問題に発展。

 これらがネットなどで拡散した結果、愛知県や運営側にテロ予告が届くようになり、3日には大村知事と津田大介芸術監督が相談の上、来場者らの安全が確保できないと判断、展示の中止を決定した。しかし、企画の実行委員会側も会見を開き「一方的中止に抗議する。私たちはあくまで本展を会期末まで継続することを強く希望する。一方的な中止決定に対しては法的対抗手段を検討していることを申し添える」(岩崎貞明氏)などとして異議を唱え、これに賛同する意見も少なくない。

 さらに5日には憲法の定める「表現の自由」について、大村知事と名古屋市の河村たかし市長との間で意見が真っ向から対立するなど、議論はさらに広がりを見せている。

■継続を望むが、現実的なリスクも…

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 「あいちトリエンナーレ 2013」で芸術監督を務めた五十嵐太郎氏は、今回の展示について「いわば展覧会の中のミニ展覧会で、展示作品はいずれも展示された後に撤去されたという歴史的事実においてのみ共通しているため、ある種の資料的な展示が組み込まれているのがポイントだと思う。作品の中にはアメリカで展示したら韓国の団体に怒られて撤回した横尾忠則さんによる日本軍の旭日旗や、原発に賛成でも反対でもないのに、"福島"、"原発"という言葉があっただけで展示NGになったChim↑Pomの作品など、美術の関係者であれば誰もが"事件"として聞いたことのある歴史的な作品が集められているので、非常にインパクトは強いし、センセーショナルなのは事実だと思う。ただ、それぞれの作品のメッセージをあいちトリエンナーレが肯定しているわけでもないし、政治的に偏向のない展覧会が可能かというとそれはそれで難しいと思う。また、普通の展覧会では順番に部屋を巡っていく構成になっているが、この部屋だけは順路から外れていて、必ず通らない先に進めないわけではない。また、入り口はカーテンみたいなもので仕切られていて、展示についての注意書きもあった」と話す。

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 その上で、中止の判断については「津田さんは元々ジャーナリスト。自分で文章を書く分には一人で責任が取れると思うが、やはり展覧会は一人の力ではできない。今回、非常に多くのスタッフや職員がいる中で、ある程度のリスクを予想して対策も立てたと思うが、このタイミングで日韓の関係が悪化してしまった。スタッフや観客にリスクが及ぶかもしれない中、津田さんとしては相当悩んだと思う。良くなかったのは、企画者側に事前通告せずに中止の判断をしたため、実行委員会が怒って訴えると言っている。まだ会場から撤去されたわけではないので、再開の可能性もないわけではない。あいちトリエンナーレの残りの期間、もうちょっとシンポジウムなどで議論をするなり、場合によっては展示を復活したらいいと思う」とした。

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 一方、「今回、複数の政治家がはっきりと中止や補助金について匂わせたことは、これまでの問題とはレベルが違うと思うし、一線を越えていて怖いなと思った。"過去に日本がこういうことをした"という展示自体は、博物館などで税金を使ってやっているし、国立大学の先生が検閲についての授業で今回の作品を紹介したら、それは"反日"ということになるのだろうか。拡大解釈されていくと結構怖い」と指摘した。

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 現代美術作家の柴田英里氏は「あらゆる美術作品は政治性とは無関係でいられないし、アメリカではリー将軍の像が撤去されたり、コロンブスの碑が破壊されたりするなど、世界中で彫像を巡る政治的対立、イコノクラスムが起きている。慰安婦の問題に関しても色々な見方があるが、現在の日韓の政治状況を鑑みても政治性が強すぎるし、国際問題にも発展しかねない。そのような対立を呼ぶ可能性のある作品であるにも関わらず、制作者の意図以外の意味を読み込めないような構造を持ってしまうものを現代美術として評価してしまっていいのかは非常に疑問に思う」と指摘する。

 「あいちトリエンナーレだけではなく、近年、地方自治体主催の地域アートみたいなものが増えてきているが、市町村がお金を出すとなると、誰からも嫌われないような、老若男女、みんながうれしいみたいな作品ばかりになってしまう。本当はそういうことがあってはいけないが、実際には起きている。それはつまらないし、できれば今回の展示も継続して欲しいと思っているが、他の作家の作品もたくさん出ていて、何より人命が大事となると中止せざるを得ない」。

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 また、「表現の自由は、自分で引き受けられる分が相応だと思っているが、特に震災以後、右派と左派の対立だけではなく、ポリティカルコレクトネス、政治的な正しさの観点から表現に対するクレームが入り、CMなどが取り下げられることが増えている。やっていることは攻撃だが、分の気に入らないものを"これは正しくない。これはいけないことだ"と言っていて、学級委員長っぽい、いかにも正しい意見であるかのように見える構造もあると思う」との見方を示した。

■"右派と左派の対立"に収斂…?

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 多摩美術大学卒のタレント、はましゃかは「日本は芸術分野に割かれる資金や予算が少ないということがよく言われるが、国からお金をもらっているから国を怒らせないような展示にしようと言うのは違うと思う」とコメント。

 柴田氏は「実はろくでなし子さんの作品は2015年の"表現の不自由展"には展示されていた。今回も、展示の中に入るだけで、政治的なものだけでない"表現の不自由"が皆にアピールできたと思う」と指摘、ろくでなし子氏の制作に協力した作家の岩井志麻子氏も「猥褻物だということで2度も逮捕されているろくでなし子さんのなぜ作品がないのかなと思っていた」と疑問を呈した。

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 幻冬舎の編集者・箕輪厚介氏は「"表現の不自由展"という発想はアリだなとは思うが、世界中のあらゆる作品を集めた結果として抗議を受けたならまだしも、津田さん的なイデオロギー、ある種の反日的・左翼的な空気に寄っていたことにセンスの無さを感じた。ただ、気に入らない展示に対しては"ガソリンを撒く"と電話すれば止められるという前例を作ってしまったし、今回はど真ん中の登場人物が津田さんで、舞台がアート展だから皆がかしこぶって偉そうに語っているが、結局はいつものように右の有名人、左の有名人がTwitterでやりあっている、くだらないやつに収斂していて、もういいよこういうの、と思った。表現の自由は大事だが、傷つく人もいることを表現の自由の名の元にやるのはどうなのか。そこは答えが出ていない。国や愛知県が止めるのはあまり良くないとは思うが、やはり金を出している人に決定権がある部分は否定できない。公権力は制限することができないと言うなら、公的資金をもらってはいけない。本当に主張したいと思うのなら自分たちの決定権の中でやればいい」と主張。

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 ZOZO執行役員の田端信太郎氏は「日本は平和だな、コントだな、というのが第一印象だ。津田さんのことは知っているが非常に頭の良い人だし、この結末を予測できなかったはずはないと思う。だからダチョウ倶楽部の"絶対押すなよ。押すなよ"ではないが、"中止にするなよ。中止にするなよ"と言いながら中止されてしまって"はい。完成"という、そこまでを含めたメディアアートなのかなと思えば納得できるし、津田さんが"してやったぜ。炎上マーケティング大成功"と思っているのならさすがだと思う。だからむしろ面白がった方が津田さんも救われると思うし、極端な話、天皇陛下に来てもらって、展示について津田さんがご進講すればよかった。そうすれば津田さんの株も上がるし、天皇陛下の株も上がる。それこそが大人の余裕だと思う。その辺りが下手くそだなと思った」と持論を展開。

 その上で、「何がアートかどうかの線引きなんて誰にもできないし、マルセル・デュシャンが便器を"泉"という作品にしたように、議論を巻き起こすこと自体がアートにもなる。国民国家、日本という枠を超えるものが本当のアートだと思うので、政治性があってもいい。また、人命が大事なのは当然だが、シャルリ・エブド事件のように血塗られた歴史もあるし、そうやって勝ち取られてきたのが表現の自由だとも言える。絶対に表現の自由を守るというのであれば、手荷物検査をしてでもいいから続けるべきだと思うし、政治家が税金の使い途について文句を言うのも良いと思う。僕もZOZOのカスタマーサポートや株主総会にクレームが来るが、表現の自由、言論の自由だ」と話していた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

テロ予告や脅迫も
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関係者はどう判断したのか
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「脅迫」で中止
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