「性に限らず、人間には誰ともシンクロしない世界がある。社会とは、その集合体。それらを倫理や常識などの礫で糾弾したり、裁いたりすることはできない。それぞれの性愛は衣食住と同じ。民主主義社会に最も認められなければいけない『表現の自由』の習慣において我々の社会の豊かさが築かれていく。つまり、表現の自由は社会の豊かさの源泉だ」
現在、話題になっている『全裸監督』のモデルで知られる村西とおる氏が、自身の考える「表現の自由」について持論をぶちまけた。
村西氏は過激な演出の性描写や破天荒な振る舞いによって前科7犯、借金50億の人呼んで“伝説の男”。1986年にハワイの真珠湾上空でセスナ2機を並行飛行させ、機内で行為におよぶ作品を撮影して懲役370年を求刑された村西氏のノンフィクション小説『全裸監督(本橋信宏著・太田出版)』が、同作品のベースになっている。
表現の自由といえば、「表現の不自由展」の中止で話題を呼んだ「あいちトリエンナーレ」が記憶に新しい。この問題について村西氏は、芸術監督を務めた津田大介氏に対して「あなたはズルすぎる、姑息だ」と言及。同じ表現者として憤りを隠せない。
「反発が来ることは初めから分かっていたにもかかわらず、途中で止めた。身体を張ってやれよ、と言いたい。『汝の道を行け あとは人をして語るにまかせよ』という言葉があるが、汝の道を行っていないことが寂しい。また、国の税金を10億も使って姑息だ。自己を正当化する理屈だけ立派だが、逃げ足が速い」
そのように糾弾すると「矢でも鉄砲でも持って来いくらいの気概、信念が必要だ。信念が無ければ、社会や時代は作れない。時代とは、信念のある者が挑戦を続けて築き上げられていくものだ」と表現者としての矜持を語った。
また展示中止騒動に伴って、一部関係者からは「検閲だ」という指摘・批判が上がっている。そのことについて村西氏は「検閲ではない」と断言する。
「国の象徴である天皇の肖像を焼くことは多くの国民に嫌悪感を与える。我が国の象徴を貶めることがあってはならない。慰安婦像も然り、税金を使って展示したら韓国の人々に誤ったメッセージを発信することになる。それらによる誤解が原点となって、今日の日韓関係のこじれに至っている。本来であれば沈静化を図るべきところ、逆に煽り立てるような展示物は常識の範囲内で考えても問題がある」
では、自身が表現のテーマとして扱っている「エロチズム」についてはどのように考えているのか?
「人間とは何か? を問うときに性の世界は外せない。そこをきっちりと描く勇気と想像力が必要だ。そうして描かれたもの、表現されたものにこそ、我々人間は背筋が寒くなる、鳥肌が立つような感動を覚えるものだ。上っ面ではダメ」
昨今、視聴者離れが叫ばれているテレビ。その一方で広まりつつあるインターネットメディアについても物申したいことがあるようで……「現在のテレビはコンプライアンスだなんのって嘘っぽいから見られない。『テレビで見られない、作れない映像を提供します』と謳っているインターネットテレビだって、やっていることはテレビの二番煎じだ。映像の世界はそんなに可能性が小さなものではない。もっと大きなキャンパスに素晴らしい絵を描ける可能性があるはずだ」と話し、批判だけではなく期待も寄せる。
自身の半生を振り返り「私も当初は戦いたくなかった。それでも生きていくためには、戦わざるを得なかった。表現の自由を甘く見てはいけない」と話した村西氏。自らの信念と表現方法で社会を豊かにすべく奮闘している。
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