橋下氏がPCR検査の顛末を振り返る「医療現場が大変なことになると思い、受けるわけにはいかなかった」
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 収まる気配を見せない新型コロナウイルス。非常事態宣言が出される中、4月11日のAbemaTV『NewsBAR橋下』で、橋下徹氏がPCR検査を受けた経緯について語った。

東国原:僕は「PCR検査を受けてくれ」と言っていた。でも、“昭和の親父”みたいな感じで自分に厳しいから、「俺は大丈夫だ」みたいな感じで受けなかった。でも、もしも陽性だったとしたら、周りが濃厚接触者になってしまう。早くはっきりしてほしかった。

橋下:確かに東さん始め、多くの共演者の皆さんは不安になっていたと思う。2週間の潜伏期間があるということだから、もし僕が陽性だったとしたら周りの人たちは仕事が2週間、止まってしまう。だから東さんが“検査を受けて早く結果を教えてください”と言っていたのは、そのとおりだ。

ただ、今はだいぶ変わってきたが、僕が3月24日に熱を出した時点では、PCR検査を受けて陽性が出てしまうと無症状・軽症者であっても入院させられてしまっていた。確かに喉はすごく痛かったが、まだ3、4日の風邪症状だったし、僕がPCR検査を受けたことが明らかになったら、同じような人たちが殺到してしまうと考えて、これはやはり受けられないと思った。そのまま自宅で4日間療養したら熱も下がったし、症状も収まったので、次の週には生番組に出る予定だった。ただ、直前にまた喉をやられてしまったので、出演を取りやめた。それでも院内感染を起こしたらまずいと思ったし、また症状も収まったので、“もう大丈夫だろう”と思い、その上で2週間は様子を見ることにした。

そして日曜朝の生放送に出たら、また夜に発熱と喉の痛みが出た。さすがに3回目だったので医師に電話したら「診察を受けた方がいいよ」と言われたので、防護服を着た病院に行くことにした。そして3日待って喉の検査をしてもらうと、喉の周りが真っ白になっていた。免疫力が落ちていたし、既往症もあったので、保健所の判断で“これはPCR検査をやらないとまずいな”ということで受けたところ、最終的には陰性だった。

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東国原:森三中の黒沢さんは一度肺炎のような症状が出たが、3、4日で収まった。でも、その後で味覚・嗅覚障害の症状が出たので、本人は“おかしいな”と思っていたらしい。そこに藤浪投手のニュースを聞いて“もしかしたら”と。それでもPCR検査をお願いしたら、“味覚症状ではPCR検査は受けられません”と言われ、医療機関をたらい回しにされてしまった。医療現場は大変なので、迷惑をかけてはいけないということで、“ちょっと我慢しましょうよ”という気持ちはわかる。でも、橋下さんのような主張がすごく浸透してしまっていると…

橋下:確かに黒沢さんの方が皆に迷惑はかけない。しかも報道ベースでは肺炎の症状もあったということだから、PCR検査を受けて当然だったと思う。

僕の場合も、子どもたちからは早くPCR検査を受けてほしいと言われていた。子どもたち2週間、家の中に閉じ込めだったし、社会人の長女はテレワークで仕事をさせてもらっていたから。でも、家族でご飯を食べている時に“検査に関してパパは厳しいことを言っているから、自分は受けられないね”と言われた。それでも日本のことを思えば、無制限にPCR検査を広げていけば医療現場が大変なことになってしまったと思う。

一応、PCR検査では陰性となったが、2週間の間に収まったせいかもしれない。だから抗体検査を受けに行く。

東国原:抗体検査は受けるべきだと思う。日本は諸外国に比べて導入が遅い。医療関係や警察などの職業は“抗体を持っていますよ”という証明書を持っていると動きやすくなるんだから、普及させないと。でも利権が絡むから、厚労省がストップをかけると思う。

橋下:イギリスでは350万キットくらい配るということになっていて、最初は医療従事者から始めるということだ。なんとか僕も抗体検査をしたい。ただ、普通の風邪の症状の場合には2週間待機すれば検査が必要かどうかを判断することができる。その意味では、ある一定期間の待機は必要だと思っている。(AbemaTV/『NewsBAR橋下』より)

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東国原英夫氏と橋下徹氏が新型コロナウイルス・緊急事態宣言を議論
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