元テレビ大分アナウンサーの菊池智子さんは、アナウンサーとなる前は幼稚園教諭として働いていた。女子アナになるための勉強や特訓をして学生時代を過ごしたわけではなく、子どもの頃から「幼稚園の先生」に憧れていて、学生時代は幼稚園教諭となるために勉学に励んでいた。
▲菊池智子さん
SHELLYがMCを務める『Wの悲喜劇 ~日本一過激なオンナのニュース~』は『生き抜け!女子アナサバイバル』が今回のテーマ。美しく知的で、憧れの存在である女子アナ――。しかし、華やかに見えるその裏側には過酷な仕事や苦労が無数にあるという。そんなサバイバルの世界をくぐり抜けてきた猛者たちが、自身の経験を赤裸々に語っていく。
【映像】AKB48出身の中村アナ、アナウンサー応募に使ったエントリー写真を紹介(13分40秒ごろ~)
自身の夢であった幼稚園教諭になると「楽しすぎて、寝る間を惜しむようにして夢中で勤務していた」と振り返る菊池さん。しかし、体調を崩してしまい、幼稚園教諭を退職。
テレビ大分の一般募集オーディションを受けてみると採用となり、同局の契約アナウンサーに。自身が選ばれた理由について菊池さんは、ガツガツせずに「幼稚園の先生として子どもたちに本を読んでいました」と、自然に自己PRを行ったことが、面接で響いたのではないかと推測している。
テレビ大分のアナウンサーとして1年間活躍した後、幼稚園教諭に復帰したが、再び体調を崩してしまったという。その後は、フリーアナウンサーに転身し、結婚後に上京。現在はフリーアナウンサーとPRプランナーを兼業している。
地方局とキー局の違いを聞かれると、まず「スタジオが小さい……」とつぶやく菊池さんと中村麻里子さん。中村さんは元サンテレビの契約アナウンサーで、アナウンサーになる前はAKB48のメンバーとして活躍していた。
▲中村麻里子さん
また、菊池さんは取材先でご年配の人から「あんた見よるで」と声をかけられたこともあるといい、地方局のアナウンサーは“地元のアイドル”としての側面も強いようだ。
地方局でアナウンサーをしていると、番組で着用する衣装は自分自身で準備しなければならない。大分の街ではレンタル衣装店も限られていて、局の前で出待ちされることもあった。しかし、アナウンサーはマネージャーがいないため、ストーカー行為から守ってもらえるようなことはない。「プライベートと仕事の切り離しが難しかった」と当時を振り返る。
女子アナは常に局の看板を背負っている状態なので、恋愛はしづらいという。元テレビ朝日・アナウンサーの日下千帆さんによると「自衛隊と女子アナと刺青は一生もん」という言葉もあるほどで、退職後も“女子アナブランド”はその身で背負っていかなければならない。
▲日下千帆さん
さらに、女子アナの世界は体育会系なタテ社会であり「1年上だったら大先輩」という不文律があったと日下さんは振り返る。前述の菊池さんは過去、独身時代に先輩女子アナに呼ばれて合コンに参加したことがあるが、先輩よりも目立ってはいけないため、そのコンパは「仕事よりつらく感じた」と笑う。
幼稚園教諭、アナウンサーを経て、現在はPRプランナーとしても活躍している菊池さん。さまざまな職業を経験してきたことについて「やってきたことが無駄じゃないなって、やっと思える歳になってきた」と話す。ジャンルの異なる経験が合わさって、自らの未来につながることは必ずあるのだと、思いを語った。
(AbemaTV/「Wの悲喜劇 ~日本一過激なオンナのニュース~」より)