コロナ対策で全国的に知名度を向上させた吉村洋文大阪府知事が11日のABEMA『NewsBAR橋下』に出演。大阪の“新旧リーダー”が初対面の話など、裏話を語り合った。
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■吉村知事「本当に意識していないです(笑)」
高橋茂雄(サバンナ):“着たい上着”1位が、あの“EXPO2025”のやったんですけど(笑)
吉村:ミズノが送ってくれるんです。もともとスーツがあまり好きじゃないんで、コロナになる前からEXPOのCMをするふりをして、普段も仕事の時に着ていて。
橋下:あの、ちょっと丈が長めのやつね、あれ絶対に『愛の不時着』の主人公を真似てるよね(笑)。
吉村:見たことないんですよ。今度見ておきます。
橋下:世界的にもむちゃくちゃ人気で、僕はもう全16話見た。
高橋:吉村さんはコロナ禍で見てる暇ないから(笑)
橋下:主演の俳優と吉村さんが似ていると噂になっていて、会見でジャンパーをパッと脱いだだけで記事になっていたからね。絶対に意識していると思う。
吉村:本当に意識していないです(笑)。
■吉村知事「橋下さんを初めてお見かけしたのは裁判所の廊下」
高橋:でも、コロナのことで、こんな知事がおるんだ、ということが全国的に知られた気がしていて。
吉村:僕としては、やっていることは今までとあまり変わらないんですよ。
橋下:全国的にも支持が高まっているのはすごいこと。結果を出しているしね。でも吉村さんは戦略家だから、“俺が、俺が”と言わないで、表向きは謙虚にしているわけ。そこで一つだけ自慢させてもらってもいい?その吉村知事を見つけ出したのは誰か、ということ(笑)。本当は見つけたというよりも、共通の知り合いだった、やしきたかじんさんに紹介を受けてということだったんだけど。
吉村:初めてお見かけしたのは弁護士時代に、裁判所の廊下で。茶髪でサングラス、革ジャン 、ジーンズ姿の人が向こうからバーっとやってきて。見たら橋下さんで。あれはテレビ用の格好だと思っていたのに、『行列のできる法律相談所』に出ているままの姿で仕事をしていた。
初めて対面したのが、時期は覚えていないが、たかじんさんの家だったと思う。たかじんさんとは顧問弁護士をさせてもらっていた関係で、一緒に飲みに行ったり、たかじんさんのハワイの別荘に行ったり、親しくさせてもらっていた。そういう中で、「橋下君が政治の世界でやっているけど、おもろいんちゃうか?やってみたらどや」と言われた。「橋下さんが知事になって改革をしようとしているけれど、議会が非常に古くて、なかなか進まない」と。
僕としても橋下さんがやろうとしている改革はすごいことだと思っていたし、法律事務所もうまくいっていたので、何か大阪の役に立ちたいなという思いもあった。それがあって、今がある。
橋下:たかじんさんは、まさにフィクサー。「知り合いの弁護士が…」ということで、吉村さんの話を聞いた。
吉村:まだ誰も「大阪維新の会」を知らないような頃だったけど、橋下さんは「大きなグループにするんだ」と構想されていたようで。
橋下:松井さんが6名ぐらいで作ったのが始まりで、議員もまだ数名しかいなかった。まだどうなるか分からない、という時に最初に手を上げてくれたのが吉村さんだった。翌年に統一地方選挙がある、という時期でね。
■橋下氏「すごい人材だと聞いていた」
高橋:色々な人材が集まってくる中でも吉村氏は輝いておられたと?
橋下:公募審査を担当していた幹部に聞いたら、「弁護士だから法律も知ってるし、すごい人材だ」と。
吉村:実際にお話をするようになるのは、だいぶ先の話。僕が大阪市議会議員、橋下さんが市長になって、大阪都構想を目指していこうとなってからだ。やっぱり維新のトップだったし、僕らからしたら遠い存在だった。最初に面接を受けたのが松井さんだったし、一生懸命に1年生議員と連絡を取って組織をまとめていたのも松井さんだったけど、橋下さんは山の上からわーっと大きな話をする感じだった。だから“殿”に謁見できるまでには、入って2、3年かかった(笑)。
橋下:上下関係というより、僕は組織の人間関係が苦手だから、任せていたというよりも外れていたということ。みんな「代表だ」と言ってくれていたけど、僕は外れものだったからね。忘年会でも、松井さんの周りには二重、三重に人が集まるけど、僕は一人、鶏鍋を突いていたから(笑)。吉村さんだけじゃなくて、維新のメンバーとはあまり直接的な交流はなかったね。
あれは何年目だったかな。本格的に大阪都構想の住民投票の運動を始めるというときに、戦略チームを作った。議員の中にも、お酒を飲みながら多数を取っていくのが得意な人と、広報活動など実務をやるのが得意な人と、2種類のタイプがいる。そして実務的なメンバーのリーダーに就いてもらって、戦略を担当したのが吉村さん。だから、負けた責任も吉村さん(笑)。
■吉村知事「橋下さんの後任はしんどかった」
高橋:そして橋下さんが市長をお辞めになられた後を引き継いで、今も都構想をやられていると。
吉村:橋下さんは「住民投票で否決されたら辞める」ということで臨んでいて、実際に僅差だが負けたので、約束通り政治から身を退くと。でも、市民には橋下さんが大阪を改革してくれたという思いがあるし、やっぱり残ってほしい。一方で、議会はグチャグチャ。色々なものを否決されていたし、役所の中もグチャグチャにして辞めていった。どうやって物事を進めていこうかと。
僕には政治の経験がたくさんあるわけではないし、有名でもない。そういう中でいきなり入っていくと、やっぱりしんどい。市民から惜しまれつつ辞めていった市長より、嫌われて辞めていった市長の後の方が、反対の立場だからやりやすい。振り返ってみると、市長になったあの頃が一番しんどかった。
橋下:大阪の市営地下鉄は全国で初めて民営化された。今度は府立大学と市立大学が一緒になって、全国で3番目の規模の大学になる僕は全て言いっぱなしだったし、議会からは否決を食らいまくった。そして「さよなら」と出ていった。それを吉村さんは4年間で全てまとめあげた。(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)