20代後半の押井守ファンを公言する2人による『ガルム・ウォーズ』トーク。前半で2人は『ガルム・ウォーズ』は『風の谷のナウシカ』なのではないかという議論に。はたして、この対談の結論はどこへ向かうのだろうか。
※本記事は作品のネタバレを含みます。
『ガルム・ウォーズ』の中にみる、押井守的『ナウシカ』
加藤:『風の谷のナウシカ』って、僕はアニメの理想的なファンタジー作品の1つだと思うんですよ。部族対立があり、戦争があり、それが現実世界へのメタファーにもなっている。ナウシカでもたどり着いた世界の仕組みがあって、結論になる部分がありますよね。
佐伯:そうですね。
加藤:『ガルム・ウォーズ』でもカラがたどり着いた結論がある。カラが見上げた先にあるものと、直前に聞いたもの。これは世界の仕組み…というか成り立ちなんですけど。ここでいう創造主、すなわち神は多分「人間」ではないかと。
佐伯:確かに、そう考えることができますね。
加藤:2回観て思ったんですけどね。『ガルム』の世界って、神である人間が作った……。なんて言いえばいいか……。
佐伯:……箱庭、とか?
加藤:ですかね。人間はそれを棄ててガイアにいる。そして、箱庭の中では、つくられた戦いを続ける、つくられた「人間のようなもの」がいる。人間って「どうしてこの世界は生まれたのか、どうして私は生まれたのか」のようなルーツを知りたがりますよね。これって、アイデンティティーとも置き換えられると思うんです。それを物語の中で探求していく。解釈ですけど、初見ではカラたちが人間になろうとする物語かな、とか思ったんですが、人間は別にいたんじゃないかな、と。
佐伯:メタ的に考えると、人間はクリエイターと考えることもできますね。人間は、映画やゲームで世界を創り出します。完成すればいいですが、未完で棄てられることもある。押井守作品だと『セラフィム』とか。それは、世界(作品)にとっては崩壊を意味しますよね。『ガルム・ウォーズ』はそうした世界の再生の物語と考えることも出来ると思います。
加藤:実際、『ガルム・ウォーズ』も一度棄てられかけていますしね。
佐伯:世界の崩壊とその後の再生、というのは『ナウシカ』に通ずるところもあると思います。
加藤:『ナウシカ』ともう少し比較してみます。『イノセンス』の公開時、鈴木敏夫と押井守の対談があって。鈴木敏夫が「『ナウシカ』っていう作品を押井さんはどう観たんですか?」って聞くわけですよ。ナウシカは、お父さんを殺されて逆上してしまうような感情を抱えながらも、人が持っている負の感情を受け止めるっていう理性を持ったお姫さまで、そして村の人々の命を背負いながら、蟲たちを受け止めようとする。押井守は「そういう展開が嫌」って言うんですよ。『ナウシカ』っていう作品のナウシカが嫌だって。生命ってものは外にあればいいじゃん、って。押井守の場合、生命は犬ですよね。
佐伯:確かにそうでうね。
加藤:宮崎駿は自らが優れたアニメーターで、自ら人としての理想的な生命を描こうとして『風立ちぬ』までもがき続けたのに対して、押井守はそうそうに見切りをつけて、生命力の象徴を人ではなく犬に持たせた。本作では明確にそうなっていますよね。登場する生物、犬しかいませんもんね。
佐伯:一応、遠くで鳥も飛んでますけど(笑)
現代社会に描かれる「物語」とは?
佐伯:これは想像ですが、『ガルム・ウォーズ』は押井守なりに『ナウシカ』という作品を消化して、その上で創り出した作品といえると思います。もちろん、作家性の違いもありますし今は『ナウシカ』の時と時代も違います。なので、本作に彼なりのテーマとメッセージを込めたのではないかと。
加藤:メッセージというと?
佐伯:世界のルーティーンから外れてみること。そして、希望を見い出していくこと。
加藤:『スカイ・クロラ』でも似たようなことを言ってましたね。
佐伯:物語上でも、巨人っていう脅威が現れたことで、いままで争っていた部族が連合軍になったじゃないですか。
加藤:『ガルム・ウォーズ』は序章である、みたいなことを押井守自ら言っていましたし、その新しい戦いこそが、本当の意味で『ガルム・ウォーズ』なのかもしれないですね。
佐伯:これは世界の再生といえると思います。その先のことはわかりませんが、それでも世界が新しい時代に進み始めたことは間違いないかと。
加藤:戦うのって希望でもありますもんね。
佐伯:よく「今の若い人はもっと頑張れよ」とか言われます。でも、若い世代の僕たちからしたら、何に頑張ればいいかよくわからないんですよね。なので、戦うべき相手は希望になりえるのかもしれません。
加藤:人間は本質的にどこかで闘争を望んでいるんですよね。しっかりと戦う存在が出てきてそこに向かって戦うことによって、もしかしたら人間たりうるのかもしれない。僕は大好きなんですが、滝本竜彦の『ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ』もそういう物語でした。
佐伯:押井守監督の『東京無国籍少女』の小説版にも「そう。私の身体は戦うのが好きなのだ」という一文があったような気がします。
加藤:そういえば巨人つながりですけど、『進撃の巨人』がヒットしたのも同じ理由かもしれませんね。あの作品も、絶望の具現化として巨人がいて、それと明確に戦っているので。
佐伯:やっぱり3.11の以前と以後では時代性は変わっているように思えます。絶望的な状況と戦う、みたいな。それまで意識することもあまりなかった死を、日本中が強烈に意識せざるを得なかった。そういう共通体験が日本中であったわけですから。
加藤:“死”っていうのがキーワードとして出てきたんで思ったんですけど、キャッチコピーにある、「この国が棄てた幻想を、再び。」の「幻想」は『ナウシカ』みたいなファンタジーのことを言ってるんじゃないかと。でも僕らは『ナウシカ』の公開より後に生まれてるじゃないですか。いまの若い20代がファンタジーっていって何を浮かべるのか。それは、キャッチコピーをつくった虚淵玄の『魔法少女まどか☆マギカ』のような作品じゃないかと。いわゆる魔法少女ものっていうところをフックにした物語で、ループするっていうところも含めて高い物語性があります。その作品の1個キーになるのが、マミが死ぬっていうところで、放送時、強烈なインパクトを感じさせた。
佐伯:確かに。
加藤:さらに僕らの世代に読まれている国内のファンタジーで国内外の評価も高いファンタジーがあるとしたら『ソードアート・オンライン』になると思うんですよ。ゲームの中の剣と魔法の世界に閉じ込められることで、そこが現実になるわけじゃないですか。ここで死んだら本当に死ぬっていう圧倒的な死が急に目の前に迫るわけですよね、今までは虚構だったのに。死にたくないという思いでキリトとアスナは協力しつつ戦ったり結婚したりする現実感っていうのがあって、そこが僕は傑作だなと思うんですけど。
佐伯:なるほど。
加藤:ゲームによって死はリアリティがなくなりましたが、ゲームという中の世界に入ったことによって、逆にリアリティを獲得した。ループする世界とその中での死って、すごくゲーム的な多重構造ですよね。
佐伯:僕たち、ゲームしまくってますしね。言われてみると『ガルム・ウォーズ』も、すごくゲーム的な世界観ですよね。群れから離れた3人は、そのゲームという世界から離れた存在と言えるかもしれません。システムから離れたことで、繰り返される死、つまりコンティニューができなくなった。
加藤:もしくは明確にそこで死ぬっていうことで、初めて個になったというとらえ方もできますね。今回の『ガルム・ウォーズ』っていう物語は、神話をベースにしつつ、押井守が影響を受けた作品の1つに『ドラゴンクエスト』をあげていたんですよ。
佐伯:初耳でした!
加藤:僕らは死とか戦いを、現実の外、オタク的にゲームなどで解消している世代。これって作品とも共通すると思いません? 僕らより上の世代、言ってしまえば押井守とか鈴木敏夫の世代ってわりと外に出すのではなく、自ら戦ったじゃないですか。日米安保とか学生運動が活発な時代に。
佐伯:実際、機動隊と戦っていたらしいですからね。
加藤: 90年代に入っていくにつれて、バブルも崩壊し、阪神淡路大震災とかもあったり、世界に対する絶望感や虚無感っていうのはあると思うんですね。バブル以降、ロスジェネ世代とかは明確に世界に対する虚無感っていうものを感じたと思うんですよね。そのさらにあとの僕ら世代は、不景気やアメリカの9.11のテロとかもあったりして、なおかつゆとり世代とか言われ、僕ら関係ないところで虐げられているというか。その一方で夢を語れ夢を語れみたいなことを世間は言うわけじゃないですか。こんな現実で何か夢だっていうような時期があったじゃないですか。ていうか、今もあると思うんですけど……。そんな虚構にしか感じられない現実の中で、死と戦いという人間の本能的な部分を、『まどか☆マギカ』もそうですけど、『ソードアート・オンライン』や『進撃の巨人』という作品に重ねあわせている。その流れで、今回の『ガルム・ウォーズ』っていうのはシンクロすると思うんですね。
佐伯:それが、本作における時代性、かもしれませんね。
加藤:だからこれ、当たるんじゃないですかね、『ガルム・ウォーズ』って(笑)
佐伯:いや、申し訳ない! 当たらないです。だって「名作の条件は、売れないことだ」とか言うじゃないですか。押井さんも言ってたかな?
加藤:じゃあ、傑作で!
佐伯:そういうことにしましょう!
『ガルム・ウォーズ』は20~30代のための映画でもある。
加藤:『ナウシカ』、『まどか☆マギカ』、『ソードアート・オンライン』、『進撃の巨人』とかそういう作品に触れてきた自らの経験・体験とかを踏まえて『ガルム・ウォーズ』を観て語ったり考えたりすることで、1つの『ガルム・ウォーズ』という映画が完成するんじゃないのかなって思うんですよね。
佐伯:僕たちの世代には刺さる映画といえますね。アニメも好きだし洋画も好きだしゲームも好きだっていう人全員に観てほしいっていう作品ですね。
加藤:『ガルム・ウォーズ』という作品を、ふと頭のなかで自分の人生と照らし合わせていったときに、何かこう今後の、それは観た瞬間かもしれないし、10年後20年後かもしれないですけど、それが1つの体験になり人生になっていく。いままでのルーティンから踏み出して、『ガルム・ウォーズ』を観てみようかっていう(笑)
佐伯:いつも同じ映画を観るのではなく、たまには違う映画観るのもいいんじゃないって。あ、『スカイ・クロラ』でも「いつも通る道でも 違う所を踏んで歩くことができる いつも通る道だからって 景色は同じじゃない それだけでは いけないのか それだけのことだから いけないのか―――」と似たようなこと言っていましたね。
加藤:きれいにまとまりましたね(笑)
『ガルム・ウォーズ』絶賛公開中。
(c)I.G Films
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