この役は他の人に渡したくないーー草なぎ剛がそう語るほど惚れ込み主演する映画『ミッドナイトスワン』が9月25日(金)より公開される。脚本を自ら書きメガホンをとったのはドラマ「全裸監督」(Netflix)の内田英治監督。草なぎが演じるのはトランスジェンダーとして生きる主人公・凪沙だ。
新宿のニューハーフショークラブでステージに立つ凪沙は、ある日、ネグレクトを受ける親戚の少女・一果を預かることになる。自らの“性”に葛藤し世間から疎外感を感じながら生きてきた凪沙は、自分と同じく孤独に生きてきた一果の苦悩と向き合い、彼女の才能に気付き応援するうちに愛を知り、初めて「母になりたい」と願うようになる。
慈しみ深い眼差しで凪沙として生きた草なぎと、覚悟を持って映画化を進めた内田監督に同作にかける想い、舞台裏を聞いた。
「実際に聞いた話をベースに」内田監督の徹底したリサーチと変化する草なぎの芝居が生んだリアリティ
5年ほど前から脚本を書き始め企画が進んできた同作だが、当初キャスティングは難航していたという。しかし、「全裸監督」の撮影期間にカメラマンの山本英夫から草なぎの評判を聞き一気に動く。
「ロケバスで『仁侠ヘルパー』(フジテレビ系)でもカメラマンをされていた山本英夫さんから草なぎさんの話をたくさん聞きまして、興味がわきました。そして実際にお願いして、そこからはすごいスピードで実現しました」(内田監督)
草なぎは「本を読んで最高だなと(思った)。すぐにやりたい!」と快諾。普段からファーストインプレッション、直感を大事にしているが、凪沙役に関しては「他の人に渡したくない」と強く思ったという。
「何の涙かわからないけど、溢れてきて。僕は果たしてなんで泣いているんだろうと思った。全然説明的な話じゃないんだけど、それが僕にとってはめちゃくちゃリアルに感じました」(草なぎ)
草なぎが脚本を読んで感じた“リアル”は、内田監督の徹底した下準備にあった。
「僕は基本的に取材をめちゃくちゃするんです。かなりの数のトランスジェンダーの方に取材しました。政治家からダンサー、セックスワーカー、あらゆる職種、立場の方々にお話を聞きました。映画にも出てくる風俗産業もいろんなお店に行きましたし、出てくる話は実際に聞いた話をベースにしています」(内田監督)
事前に内田監督から資料を渡されていた草なぎは、実際にトランスジェンダーの方とも対話。しかし、意識して作り込むことなく自然と凪沙になることができた。
「衣裳合わせがすごくしっかりしたもので、その段階で芽生えるものがありました。ヘアメイクも今までやったことのないような女性らしいもので、鏡を見たときに、僕の中で火がついた。その感覚を大事にして、僕は監督の情熱についていきました。監督は僕の中でチョロチョロと燃えていた火に、どんどん燃料を入れてくれた。そもそも、この脚本を書いて自ら監督をするという並々ならぬ覚悟を、僕は内田監督の目から感じていました。それを見たら、このまま進んでいけると確信しました」(草なぎ)
凪沙に関して、草なぎも内田監督も「決める」という行為はしなかった。「監督とディスカッションして決めすぎちゃうと、また違う。(芝居は)見えないものを掴んでいく作業だから、もっと感覚的なもの。監督から的確に指示されちゃうと僕もそれを狙いにいってしまう。監督自身も『やってますよ』というような演技は嫌なんだろうなと思いました」と草なぎはその理由を語り、無意識の状態で凪沙になっていたと振り返る。
一果を演じた新人女優・服部樹咲が果たした役割も大きい。演技経験がこれまでなかったという服部は内田監督に相当絞られていたというが、順撮りだったこともあり、計算しない演技がリアリティを生み、草なぎと相乗効果を産んだ。
「(俳優は)自分から役を決めて作っていく人が多いんですけど、草なぎさんは周りから影響を受けて消化して出すタイプ。一果を前にすることで、思いもよらない行動やセリフが出てくる。二人が階段で喋るシーンは全部アドリブ。最後の方で海を見て『美しい』というセリフもアドリブ。凪沙が一果といることで自然と出てしまった言葉で、だからこそ素晴らしいんです。凪沙は台本とだいぶ違う。どうなるかわからない。その変化が面白い。凪沙の変化していく様を僕は楽しんでしまいました」(内田監督)
トランスジェンダーという難役と向き合った草なぎだが、現場で苦労することはなかったといい「こんな感じの撮影は最高だし、なかなかない。自分だけでなく、(登場人物の演技が)みんないいから、どのシーンもとてもいい」と満足げだ。
愛犬・クルミちゃんとの生活で気づいた自分の“母性”
(赤いカーネーションの花言葉は「母への愛」)
物語が進むにつれ、一果への愛を感じ、母になりたいという思いを強めていく凪沙。そのために、これまで勤めていたショークラブから肉体労働、風俗店と過酷な職場を選ぶようになったり、心の性と一致させるべく体にメスを入れたりと痛みを感じていく。そんな彼女を、草なぎは「体的には傷ついていくけど、心は幸せになっていったのだと思う」と分析する。
痛々しくも慈愛に満ち溢れ、献身的な母性を見せる凪沙同様に、草なぎの母性を感じさせる歌がある。愛犬・クルミちゃんへの想いを歌った「クルミちゃんの唄」だ。
「ねえ、君は何を見ているの?ねえ、何を聞いてる?ねえ、君は何を考えるの?」と、クルミちゃんに問いかける詞で始まる同曲は、ツンデレで食いしん坊なクルミちゃんの姿を愛おしむ気持ちや、一人でお留守番をしているときのクルミちゃんのことを気遣う気持ち、今後も二人で出かけようという約束が歌われており、その慈しみに満ちた温かな声が感動を誘う。
クルミちゃんは今年3月27日に3匹の子ども・レオン・マチルダ・モモを出産。フレンチブルドッグの赤ちゃんは頭部が大きいことから帝王切開で出産することが一般的だ。クルミちゃんもその例に当てはまり、自然分娩ではなかったため、出産後しばらくはなかなか子どもたちを自分の子どもだと認識することができなかったという。その間、草なぎは献身的に親子の世話をした。産まれたばかりの3日間は、クルミちゃんに代わって点滴のように一滴一滴、40分おきにミルクを与えたと自身の公式YouTubeで明かしている。
クルミちゃん親子に対する思いが、凪沙役を演じる際に反映されることはあったのか。そう尋ねると「(撮影時は)クルミちゃんを迎え入れて3年目だったので、チビたちはまだ生まれてなかったんですけど、それはあったかもしれないです」としみじみ。「一生懸命守ってあげたいと思うし、曲も作ってあげたいと思った。クルミのおかげで演じられたというのはあったと思います。愛しく思う気持ち。初めてわんちゃんを迎え入れたんですけど、僕にもこういう気持ちがあったのかと気づきました。元気に育ってくれて嬉しいな、僕自身も幸せだなと思う気持ち。もしかしたら僕の親もそれに近い感情で育ててくれたのかなと思ったりします。そういう気持ちをクルミと暮らすことで知りました」と、意識的ではないものの自分の中で生まれていた母性が出ていたのではないかと語った。
「草なぎさんと服部さんの芝居を日本の人、さらには海外の人にも観て欲しい」
当初は予想していなかった草なぎ剛という日本中の誰もが知る俳優とのタッグに、内田監督の中で「絶対に観てもらいたい」という強い気持ちがこれまで以上に芽生えた。
「僕はもともとインディーズ映画でやっていて、海外の映画祭にも参加していたんですけど、今回は草なぎさんが主演ということで、日本でも勝負できる作品にしなければいけない。より多くの人に観てもらえる機会をいただけたので、僕の中ですごく考え方が変わりました。腹が決まった。日本の演技レベルはちょっとと思うところはある。だからこそ、草なぎさんと服部さんの芝居を日本の人、さらには海外の人にも観て欲しい。この話はメインストリームの話じゃない。でも、映画においても多様性というのは大事で、一つの特定されたジャンルしか上映されないというのは怖い。社会的な内容だけど、娯楽としてこういう映画もあるんだということを広めるきっかけにもなって欲しい」(内田監督)
草なぎにとっても大きな挑戦となった同作。完成品を観た際には「ちゃんと乗り越えてできた」と自信になった。出演をきっかけに人それぞれが思うように、自由に生きることの素晴らしさに改めて気づいたといい、「トランスジェンダーの方に対する偏見や差別がなくなって欲しい。そして、みんなが自由に、それぞれの幸せに向かい続けることが大事」とメッセージを送っている。
テキスト:堤茜子
写真:You Ishii
(c)2020「MIDNIGHT SWAN」FILM PARTNERS