19日のABEMA『NewsBAR橋下』に経済成長著しい福岡市の高島宗一郎市長が出演。意外にも初対面だという橋下徹氏と、首長の仕事や行政改革、マスコミとの距離感について語り合った。
■「かわいがっていた後輩すら事務所に来てくれなかった」
36歳でKBC九州朝日放送のアナウンサーを辞めて、政治の道に進んだ高島市長。政治家を志したのは大学時代に出会った雑誌がきっかけでと、実はアナウンサーになったのも、将来を見据えてのことだったという。そして、福岡市長に立候補した理由の一つに、橋下氏の存在があったという。
「その雑誌に、“選挙に強い政治家にならないと意味がない”と書いてあった。そうでなければ、4年間のほとんどを選挙活動に費やすことになって、自分のやりたいことができないと。私の場合、親はサラリーマンで地盤・看板・鞄がないので、まずは顔を知ってもらい、投票してもらえるような状況にしておきたいと思った。当初は国会議員になることをイメージしていたが、いよいよ福岡市長選挙に出ないかという話が来た時、橋下さんが大阪府知事をされていた。しかも私の番組でコメンテーターをしていた東国原さんが宮崎県知事になった。日本を良くするのは国会議員の仕事だと思い込んでいたけれど、地方自治体の首長は直接選挙で選ばれるので、それが変われば思いきり変わるし、各自治体を良くしていく方が早道だなと考えた」。
時折うなずきながら真剣な表情で高島市長の話を聞いていた橋下氏は「今の国政に物足りないのは、行政組織を動かしたことのない国会議員ばかりだということ。そういう人が入っていってすぐに仕事ができるかといったら、できない。地方で知事、市長の経験をした上で国会へ、というルートを作るためにも、若い人たちには知事、市長を経験し、実績を残してもらいたいと思っている」と応じた。
しかし、政治家に転身しようとした途端、人々の対応が一変したのだという。
「月~金の朝の番組のキャスターなど3番組を担当していたので、外に出ると、コンビニのレジの人も、すれ違うおじちゃん、おばちゃんも、みんな“高島さん、見てますよ”と言う。だから私はみんなが友達だと思っていた。福岡だけじゃなく、九州全員が友達、みたいな。ところが選挙事務所には誰も来なかった。しかも、電話にも出てくれない。かわいがっていた後輩すらも来てくれなかった。当時は民主党政権で、現職の福岡市長も民主党の推薦だった。そこに私が出ていったから、みんな落ちるだろうと思ったのだと思う。テレビのキャスターとしての高島だったら付き合っていてもデメリットはないが、現職を落とそうとする候補を応援することはリスクがある。でも、この時の経験はすごく良かった。いざという時、本当に助けてくれるのは誰なのか、ということがよく分かった。今では元同僚たちとも普通に会って話はできるようになったし、番記者とは飲みに行ってじっくり付き合うところもある。でも、やっぱりマスコミなので、批判すべきは批判しないといけないという矜持がある。やっぱり一定の距離はあるし、会見では後輩にひどくやられていた」。
橋下氏も「僕もテレビ番組で辛坊治郎さんや宮根誠司さんとのお付き合いがあったけれど、政治家になった瞬間、そこは切り分けようということで連絡は一切しなくなった。辛坊さんも宮根さんも、僕の携帯に電話をすれば話を聞くことができるが、それもなかった。メディアと政治の関係は、線を引くことが重要だと思う。国政では、そこがどうなのかなと思うこともある。NHKスペシャルの渡辺恒雄さんのインタビューはものすごく面白かったが、今は記者が政治の中にガッツリ入ってやっていく時代ではないと思う。その意味では、番記者や記者クラブの制度も変えていかないといけないと思う」と話した。
■「『半沢直樹』の世界はめちゃくちゃリアル」
現在3期目、今年で就任10年目を迎える高島市長だが、「1期目は行政が動いてくれなかった。ようやく動くようになったのは、2期目の途中からだった」と苦労も明かす。
「“分かりました”と言ってはいても、目線を外した瞬間、やっぱり動いていない。行政組織には何十年も仕事をしている人たちの世界がある。確かに首長は民意で選ばれているかもしれないが、いわば任期4年の“任期付き職員”。それでも、やりたいことがいっぱいあったので、とにかくチャレンジした。逆に人間関係、しがらみが出てくると、どうしても配慮するようになってしまう。だからこそ、やりにくいことは先にと思って、最初に事業を全部チェックし、随意契約を競争入札に変えたりしていった。今考えたら、よくあんなに怖いことしたなとも思う。家の前に、毎日のように車が待っていたり、秘書に“殺す”という電話が入ったり」。
さらに「『半沢直樹』の世界はめちゃくちゃリアルだ(笑)。会議の内容がマスコミにすぐ漏れていた。おそらく幹部の誰かが“ああ言っていた。こう言ってた”と漏らしていた。あるいは議員などに“こういうことをやろうとしている”と耳打ちをする。外堀から圧力がかかるということもある。しかし、“どうせお前、すぐに終わるだろう”と思われていたのが、2年くらい経つと、“こいつ、結構長いかも”という雰囲気になって、変わっていった」と振り返った。
橋下氏も「既得権益を持っていた人たちは仕事がなくなってしまうからね。役所からのリークも多い。役人なので完全な嘘はやらないが、こっちが微妙に不利になるような情報を出されたことはあった。僕は改革のために区長や校長などのメンバーを外部から集めてきたが、誰の仕業だったかは置いておくとしても、色んなスキャンダルが出てきて、何人も失墜させられた」と話した。
■「朝を制するものは1日を制する」
そんな高島市長に情報術を聞いてみた。新型コロナウイルスの影響が出る前の1日のスケジュールは、まず朝5時半に起床。出勤前にフィットネスと英会話のレッスンをこなしたあと8時に出勤。10時から定例記者会見と取材対応、12時からはランチミーティング。午後は様々な会議や打合せ、講演会に出席し、夜は会食。帰宅する頃には午後11時を過ぎており、就寝は午前0時半ごろだという。
「フィットネスは、リフレッシュというかリラックスだ。朝を制するものは1日を制する。そして情報を知らなかったら全てが後手に回ってしまう。朝のうちに、相手がこのルートを攻めてきたいんだな、守りはここだなと、防御線を張る準備をする。首長の仕事は決めること。判断を間違えないようにするためにも、1人になる時間を取っている。それはサウナでもいいし、ウォーキングでもいい」。
さらに“情報ネットワーク”の構築も欠かせないという。
「役所からのレクチャーとは別ルートで、“その話は本当なのか?隠して上げていることはないか?”と探りを入れられるようにしておく。そうしなければ、判断を間違えることになる。あるいは、例えばペーパーに1、2、3、4…と箇条書きになっていたとすると、役人が本当に言いたいことは3よりも下の方に書いてあったりする。そしてレクチャーでは、わざとゆっくり説明し、秘書が“そろそろ時間です”と言うと、“じゃあちょっと急いで駆け足で言います”と、スルーしたいところをスラスラと説明する。そういうことが分かるようになってて、見破るれようになる(笑)」。
橋下氏も「新聞をチェックするだけでなく、メディアでコメンテーターたちが僕について言っていることをまとめたDVDを毎日、夜中か朝に見ていた。そして、朝の会見でバーンと意見を言う。やっぱり、知らないと攻め込まれるだけだから。これは国会での野党にも言えることだと思う。攻めるばっかりで、守りが弱い。だからスキャンダルめいたことが出てきて追及されるとヘナヘナっとなってしまう。こっち側で全てを把握して、守りをしっかり固めてから攻撃にいかないとね。繰り返しになるけれど、やっぱりそういう経験、ノウハウを持って国政に行かないと、政策やら何やらは語れても、組織は動かせない。もちろん、そういうノウハウを得るには時間がかかる。僕もそうだった」と指摘した。
さらに高島氏が「首長、国会議員、地方議会の議員、全部まとめて“先生”、“政治家”だと思っている人もいると思うが、首長とそれ以外は全く違うと思う。最悪の場合、49対51という状況でも決断しなければならない。その経験をしているかどうかで、全然違ってくる」と話すと、橋下氏も「権力だけでなく、責任も伴うからね。言うだけじゃダメだからね」と話していた。(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)