100歳以上の高齢者の人口が年々増加する日本。最新の数字は80,450人。まさに“人生100年時代”だ。政府も高齢者雇用の促進を謳い、定年は60歳から65歳に延長され、来年4月からは70歳までの雇用が企業の努力義務になる。
一体いつまで働けばいいの?そして、いつまで働けるの?そんな疑問を抱く若者に対し、「一体自分は何がしたいのか、何のために生きているのか、定年になってから考えたんじゃ遅い!!」と檄を飛ばすのが、ジャーナリスト・田原総一朗氏だ。
・【映像】「働くという言葉が間違っている」田原流"老いとの向き合い方"
自身の社会人人生の原点について「僕はジャーナリストになりたいと思って、朝日新聞、NHK、TBS、それからラジオ日本、北海道放送を受けたが、全部落ちた。それで岩波映画という会社に入った。そこで今の日本教育テレビ(現テレビ朝日)の番組でディレクターをやることになった。“台本を書いて下さい”と言われて、いつまでかと聞いたら、“放送は明後日なので、今晩中に書いて下さい”と。映画の場合、台本を何回も何回も書き直すし、数カ月かけるのに、こんないい加減な世界があるのか、面白いと思った。そして開局前の東京12チャンネル(現テレビ東京)に入った」と振り返る。
今ではできないようなドキュメンタリーをいくつも手掛け、中には“日本初のAV男優”とも呼ばれる過激な作品もある。
「当時のテレビ東京は三流だとみなされていたから、普通の番組では誰も見てくれない。制作費もTBSや日本テレビの半分以下だった。だから絶対に向こうが作らない、ヤバい番組ばかり作った。管理職もそれが分かっているから、僕を許してくれた。警察に2回捕まったが、オンエアもできたしクビにもならなかった。いい局だ」。
そして1977年にフリーランスジャーナリストとして活動を開始、86歳になった今も『朝まで生テレビ!』で3時間にわたる生放送の司会をこなす田原氏。6日のスケジュールを見ると、番組の打ち合わせやインタビュー取材、夜には元総理や元国会議員との食事会と、極めて精力的に活動。「一応“90まで”と言っているが、死ぬまで働く」と断言する。
■「遅くとも30代前半までには好きなことを見つけるべきだ」
今の日本について問われた田原氏は、さっそく「今の大学生は、みんな間違っている!」と切り出すと、「どんな企業を就活で選ぶかというと、倒産しない企業、月給の高い企業、残業の少ない。自分が何をしたいのか、何が好きなのが全くない、考えないまま会社に入っていく。だから働くのがつらい。早期にリタイアしたいと思うようになるのも、仕事は辛いものだと思っているからだ。そして、“日本的経営”も間違っている。一生懸命に働いて30歳を過ぎると、偉くなりたいと思うようになる。主任、係長、課長、部長、役員、うまくいくと社長と、社内で出世するのが目的になってしまう」と指摘。
その上で、「50代、60代に言っても無理だから、若い連中に言う。遅くとも30代前半までには好きなことを見つけるべきだ」として、「今までの日本人の人生設計は、生まれてから20年くらいは学び、40年くらいは働き、そして残りの年金生活だった。人生80年の時代ならそれでも良いかもしれない。しかし100歳になった今、どうするのか。定年制もいずれ無くなるだろうし、国民年金だって破綻する」と主張。
「ではどうするか。これからは楽しいことが金になる時代だ。堀江貴文だって、刑務所で好きなことをいっぱい覚えたから、今もガンガンやれている。鈴木宗男と組んで逮捕された佐藤優も、何がやりたいのか、好きなことは何か、拘置所にいる間にいっぱい考えた。だから彼もガンガンやれている。盛田昭夫という、ソニーを作った男がいた。僕が“悩んだり、落ち込んだりすることはないのか”と訪ねたら、“そんな暇ないよ”と答えた。僕も老いなんて感じている暇がない」。
大学生だという視聴者からは、「目標を持つと、“意識高い”と言われてバカにされる」という意見が寄せられると、「それはバカにされているのではなく、“やっかみ”だ。SNSで韓国や中国の悪口を言うのも、自分に自信がなくなった日本人だ。僕は勝手に番組を作らせてもらっているから、非難殺到だ。右からも左からも、“偏向だ”と言われる。ところが、ありがたいことにプロデューサーたちはそれを“応援歌だ”と言ってくれる。僕も、無視されるよりは非難された方が良い」とアドバイスした。
■「僕には才能がないが、好奇心はある。好奇心を抱いたことは、自分で確かめたい」
ここで一転、田原氏は質問する側に回り、「兼近さんに聞きたい。どうして今の職業を選んだのか。りんたろー。さんは、なんで自分が売れていると思うか」と、EXITの2人に尋ねた。
兼近が「僕は学もそんなにないし、普通の仕事も続かない。何ができるだろうかと思った時に、他人を楽しませることで、自分も楽しんでしまおう的なノリだ。それが一番だった。この状況は運だと思う」、りんたろー。が「色々な要素が重なったからだと思う。ずっとやれる範囲までは続けたい」と答えると、田原氏は「例えばビートたけし、タモリ、さんまはずっと続けている。彼らの言っていることをつまらないと思うか」と重ねて質問した。
りんたろー。は「そんなことはない。例えばさんまさんは若者の情報をすごく知っている」、田原氏に「あなたはどう思う?」と聞かれた「Black Diamond -from 2000-」のあおちゃんぺも「番組でご一緒させてもらったことがあるが、CM中もずっと喋っていて、本当に喋ることが好きでこの仕事しているんだなと思った。楽しんで、遊びっぽく仕事をしているから続くのかなと思う」と答えた。
すると田原氏は「彼らは自分で楽しんでいると思う。仕事がつらいという感じではなく、楽しいことをやっているわけだ。僕には才能がないが、好奇心はある。好奇心を抱いたことは、自分で確かめたい」と、自分が楽しいと思えることを発見することの重要性を訴えた。
■「滑舌は悪くなったし、物忘れも激しくなった。だけど全然悔しくはない」
「もっと言えば、好きなことをやっているから趣味がまったくない。趣味なんてやっている暇がない」とまで言い切る田原氏。しかし、お笑いタレントのパックンは「世の中に好きなことが見つからない方もいっぱいいると思う」と懸念を示す。
田原氏は「確かに、好きなことを見つけることは難しい。だから欽ちゃんは駒澤大学に入った。しかも宗教学専攻だった。“70になると物忘れが激しくなって困る。ならば、新しい知識をどんどん入れれば良い。それには大学に入るのがいい”と言っていた。そして、大学に入ったら良いことが二つあったという。一つは、友達がいっぱいできて孤独にならない。もう一つは、面白いことがいっぱい見つかって、卒業したらこれやろう、あれやろうということが出てきたという。欧米で大学を卒業した人が再び教育機関に入る人が結構いる。生涯教育だ。日本も社会人大学が増えてきている。30代、40代で大学というのもいい」と答えた。
さらにパックンは「仕事が大好きだというのは伝わってくるが、それ以外に、食欲とか性欲とかはあるのか。若い頃の活力を思い出して、耳が遠くなったとか、滑舌が少し悪くなったとか、記憶力が落ちたとか、そういうことを悔しく思うことはないのか」と尋ねると、田原氏は「僕は女房が2人ともガンで亡くなっているが、今は彼女がいる。高校の同級生で、彼女も夫を亡くしている。月に何回か食事をするし、デートが楽しい。確かに滑舌は悪くなったし、物忘れも激しくなった。だけど全然悔しくはない。誰も“番組を辞めろ”とは言わないから楽しい」と話した。
パックンは「田原さんとは何度も番組でご一緒させてもらってきたが、ご自身の話を聞く機会は無かった。パワーをもらえるが、なかなか真似はできないと思う」と感心しきりだった。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)
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