7日のABEMA『NewsBAR橋下』に日本維新の会の松井一郎代表と吉村洋文副代表がリモートで生出演、古市憲寿氏も交え、大阪都構想の住民投票、そしてこれからの維新について本音で語り合った。
松井氏と吉村氏、橋下氏の3人が公の場で顔を揃えるのは住民投票後初めて。橋下氏が「武将の散り際を見ておけ!」と家族を連れて吉村氏の演説を見に行ったエピソードを明かし、2人に焼き肉を食べに行こうと誘うと、松井氏が「一人ぼっちになっても、死ぬまで頑張ってください!」と吉村氏にエールを送るなど、60分にわたって笑いを交えてトークを繰り広げた。
・【ノーカット映像】橋下×松井×吉村 大阪都構想ココだけの話
■古市氏「中島みゆきさんの『ファイト!』の歌詞だと思った」
古市:もっとお通夜みたいな会になるのかなと思ったら、意外と3人とも明るい。さわやかで、カラッとしている(笑)。でも本当に僅差だったわけで、もうちょっと何かできてたいら結果が変わったという気持ちもあるのではないですか。
松井:悔しさはあるけど、“たられば”を言っても仕方ない。結果は摯に受け止めるべきだと思う。2015年の住民投票で負けてから5年、去年の4月には入れ替えクロス選挙までやったし、自分の中では“これ以上は無理”というくらいまで、やるだけのことを全部やった。清々しいというのは変な言い方かもしれないけれど、後悔とか、そういうのはない。本当にすっきりしている。
橋下さんと2015年にやった時も議会で奇跡のような解散風が吹いたことがあったし、その前の年には橋下さんは出直し市長選もやった。今回もそうたったんだけど、やっぱり自分の保身を考えていては住民投票まで辿りつけない。もう、壁に爪を立てて必死で登ってる感じかな登りつめた。必死で辿りついたよね、ホンマ。
吉村:僕は途中から入ったが、何がなんでも決定権者である市民の判断を仰ぐところまでは絶対いく、刺し違えてでも行ってやるという思いでやってきた。だからダブルクロス選もやった。いろんな圧力もあって、ものすごく大変だったが、最後に力を振り絞った末に決定権者にダメだと言われたので、腹にストンと落ちた。やりきったなという思い。
橋下:1度目の住民投票は僕もやったが、心身共に本当にボロボロになる。それを松井さんは2度目。吉村さんもまだ若いけど、やっぱりボロボロになっていると思う。本当にお疲れ様でした。負けたことに関してああだこうだ言うのは格好悪いし、2人は絶対にたらればの話はしないだから僕がちょっと言わせてもらう。
僕たちは思いを実現しようと、民主的なルールの下で府議会議員・市会議員の議席、知事・市長の椅子を取りにいき、法律も国政政党も作った。そうやって物事を動かそうとするプロセスには莫大な労力、エネルギーがかかる。もちろん市民の判断は尊重しないといけないが、コメンテーターたちはその10年間の運動を“無駄だ”と言う。アホか!と。ここに来い!と。それだけは無駄じゃない。
古市:夕方、大竹しのぶさんが『MUSIC FAIR』で中島みゆきさんの『ファイト!』を歌っているのを見たが、“闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう”という歌詞は、本当に今回の住民投票のことだなと思った。
■松井氏「吉村さんにはあと50年やってもらいたい(笑)」
吉村:20日間、市内をグルグル回った。市政、府政について、“お前らよく頑張っているな”という空気を肌で感じた。ものすごく冷めた空気の中で投票日を迎えたわけではなかったので、もしこれで否決だったら納得できるな、と思えた。
都構想というものは政令市と道府県の二重行政を解消するためのものなんだということを全国に知らしめることができたし、これからも選択肢としてあっていいと思う。組織・制度の問題点として府と市では二重行政が起こりやすく、それは大阪市民・府民にとっていいことではない。将来、やっぱり住民投票をしないといけないんじゃないか、という時がまた来るんじゃないか。逆に、それが二重行政を食い止めようという、政治家に対する抑止力として働けばいい。
僕らは負けてしまったし、僕が大阪都構想をやることはもうないが、条例など、何らかの方法で二重行政を防ぐ仕組みを考えたい。
橋下:僕らは都構想を目標にしていたけれど、みんなが集まったのは大阪を良くしようという思いからだった。僕が知事だった頃は、街頭インタビューをしていても市政・府政への文句ばっかり。でも今は世論調査で7割が松井さんや吉村さんの政策を支持しているし、若い世代が“今の大阪でいい”と言ってくれている。だからこれは負け惜しみではなく、やってきたことはある意味では間違いではなかったということではないか。それは松井さん、吉村さん、大阪維新の会にとっても本望だと思う。
東京都だって、東京府と東京市が合わさるまでに50年かかった。大阪と同じように、“東京市を潰すな”という意見が出て、何遍も廃案になった。だから吉村さんはあと40年やらないと(笑)。
松井:僕もそう思う。まだ45歳だからね。人生100年だから、吉村さんにはあと50年やってもらいたい(笑)。
橋下さんと2010年からスタートさせて、翌2011年に吉村さんたち“橋下チルドレン”と呼ばれる市会議員が誕生した。“こんなの半年もしたら終わる”とメディアにも言われていた。でも今やその“2011年組”が大阪の政治の中心で、吉村さんはそのリーダーだ。以前は法定協議会でも自民党や共産党とワーワーやりあうのは僕と橋下さん。でも今回は喋る必要が無くて、横でじっと待てばよかった。3期生がメチャクチャ尖っていて、ガンガンやり合ってくれた。
でも僕はこれで政治家としては終了。これだけの大騒ぎする勝負をやって、結果は負けたわけだから政治家としてのけじめは必要。市長の任期が終わったら辞める。
吉村:松井さんはそう言うが、個性ある人たちが思いを持って集まってきているので、政党をまとめるというのはものすごく大変なこと。僕も政策であればできる自信はあるけれど、組織をまとめるには人徳みたいなものがいる。僕もテレビでワーワー言っているが、それでも大阪維新の会がまとまっているのは、松井さんという軸があるから。その軸が家で酒飲んでスルメイカ食ってばっかりだったら、維新はどうなんのかなと…。
でも、そばで見ていると松井さんがどんどんしんどくなってきているのも感じている。視野が狭くなったり、体が細くなってきたり、説明会の時には、こんな所で足を踏み外すか?という所でちょっと足を踏み外したり(笑)。だから続けろとは言えないが、いなくなったら困る。この2年半、僕もゆっくり考えようと思っている。
松井:目立ってないけど、下支えできるような人材も育ってきているから、次は“チーム吉村”だ。大阪以外の人にとっては信じられないことかもしれないが、大阪で選挙をやると自民党と共産党と立憲民主党の辻元清美さんが仲間になって、とにかく松井、吉村の首を取ろうと、とんでもないチームができあがるから(笑)。それで何とか野合、談合のくだらない野党をやっつけてもらいたい。自民党もすぐ緩むから、ピリッとさせてもらいたい。
吉村:大阪では維新が自民とやり合っている。全国では自民党が強過ぎるが、反対だけではないまともな野党が生まれて、ガチンコをやった方が政治は良くなる。都構想も、大阪はどうしたら良くなるだろう、どうやったら成長するだろうと、本気で議論してぶつかった。そういう強い野党が出てこないとアカンなと思う。
■吉村氏「僕もオフィス橋下に入らせてもらおうかな」
松井:でも僕は任期満了で辞めるから。万博の準備はあと2年半の間にきちんとやるけど、その後は吉村さんが残ってきちんと仕上げてくれる。その先のことは本当に何も考えていない。ABEMAの皆さん、よろしくお願いします(笑)。
吉村:大阪の政治が大きく動く度に橋下さんをテレビで見る機会が多くなるし、講演のニュースを聞く機会も増える。僕もオフィス橋下に入らせてもらおうかなと。(笑)
松井:でもオフィス橋下、キツイらしいで~。
橋下:吉村さんにコメンテーターの世界に入ってきてもらったら、僕らは困る。一番オファーがくると思うから。だから松井さんも吉村さんには50年やれと(笑)。
吉村:橋下さんと松井さんは稀有な政治家だ。2人が国会でワーっと大暴れしているシーンを本当に見たい。自民党も絶対にへこたれていくので、その時に2人にドーンとやってほしい。その時、僕は読売テレビ『ten.』で解説する(笑)。
(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)