12月12日のABEMA『NewsBAR橋下』に、若手の首長の注目株、宮崎県日南市の崎田恭平市長が出演した。
2013年、無所属で市長選に出馬、33歳の若さで初当選を果たした崎田市長は、市の活性化を図ろうと「日本一組みやすい自治体」とスローガンを掲げ民間企業とコラボレーション。安倍前総理も「地方創生の好事例」と言及、大臣たちが次々と視察に訪れている。
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■「親は泣いて大反対」
1979年に同市に生まれ、九州大学工学部を卒業後、宮崎県庁に入庁した崎田市長。政治を志した原点は大学時代のサークル活動にあるという。
「児童養護施設にボランティア活動に行き、親から虐待を受けている子ども、学校に行けない子どもに出会って、衝撃を受けた。みんなが同じスタートラインに立てるような社会を作りたいと思ったし、卒業後は児童養護施設や児童相談所で働こうとも思った。しかし施設の先生からは“現場だけでは変えられない制度や仕組みがある。現場を見てくれた崎田君は、政治や行政を目指してもいいんじゃないか”と言っていただいた。いきなり政治家にはなれないので、県庁の事務職になって、行政の力を付けられたら政治に進もうと」。
そして出馬した市長選は、69歳の現職市長と55歳の自民党県議の一騎打ちの構図。
「そこに無名の僕が出てきた。1歳になる子どもがいたが、妻は応援してくれた。ただ、親は泣いて大反対。特に親父は国立大学に入って県庁に入った“自慢の息子“。本当に“草の根選挙”で、地道に駅前に立ち、公民館で集会をやり。1人しか集まらないこともあったが、なんとか当選させてもらった。当時は夕張市長だった鈴木直道さん(現北海道知事)が全国最年少で、2番目。今でも“よく勝てたね”と、言われる」。
現在2期目を務める崎田市長。なるべく家事にも携わるようにしているという。
「大前提として、やっぱり奥さんの方が家事はしている。その上で、せめてこれだけはと。9歳、4歳、2歳の3人の子どもがいるので、やっぱり朝は“戦場”だ。家を出るのが早い奥さんがご飯を食べさせ、洋服を着させ、幼稚園にも連れて行ってくれる。だから僕は食べ終わった食器を洗って、奥さんが家に帰ってきたときは、せめてキッチンはきれいな状態になっているようにと。洗濯物が干し終わってない時は続きをやってから出ていくようにしている」。
■武家屋敷の維持をめぐって対立も
鵜戸神宮は絶対に行かないといけないと思う。絶景だから。これはすごい」。橋下氏もプライベートや講演会で何度か訪れたという日南市は、神話にまつわる史跡も数多く抱える。
そして崎田市長が現在取り組んでいるのが、飫肥(おび)藩の城下町の再生だ。武家屋敷など、歴史的建造物の維持費や修繕費が市の財政を圧迫、そこで民間からの人材登用や企業との連携を開始した。
「元お武家さんたちが持ちきれないということで、どんどん市に寄付されていった。指定管理制度を導入し、1カ所100円、共通券600円くらいで見て回れるということになっていたが、受付の人件費や維持費で年に6000万円くらいがかかっていた。一方、入館料収入は2000万円くらいだったので、赤字が3000万円超。何とかしないと、ということで、公募をし、投資をしてもらった。指定管理制度では、ある意味で自助努力が生まれないし、なかなか難しい。もう民間に完全に貸してしまって、市に家賃が定額で入ってくるようにした。すでに3軒が民間の運営になり、今度はJR九州やJALの入ったJVによって、5つの建物が旅館やカフェに生まれ変わる。民間のリソースを活用しながら悩みを解決していく。そのためにも、行政には柔軟性とスピードが必要だ。これは小さい自治体ならでは武器だと思う」。
橋下氏が「昔の状態のまま残せという声も当然あったのではないか。そういう時、新聞社の論説委員とかが偉そうなことを言うからね(笑)」と尋ねると、「そこに一番苦労した」と崎田市長。
「実際、新聞にも書かれた(笑)。“対立している方と仲良くやりなさい”みたいな。別にケンカしようと思ってやっているわけではないのに。“歴史を壊そうとしている”といったデマを流されたこともあって、辛かった。でも、公民館を回って丁寧に説明会をしていった。小さな街なので。とにかく地域に出る。すると皆さん、“市長の言う通りだ”と。実際、先行している旅館にお客さんも来て順調に行っているし、借金の返済も終わっている。小さく始めて、その成功を見せてから広げていくのがいいんだろうと思う」。
橋下氏は「でも、“歴史と伝統と文化を守れ”みたいに文句を言っている人に限って、旅館になると真っ先に泊まりに来たりする。“いいなあ。やっぱりこういうのがこれからの飫肥だ”とか(笑)。日南の武家屋敷みたいなものは全国にたくさんあって、どこも維持に頭を悩ませている。こうやってホテルとかカフェにするのは地元の人たちからの反発の声も出ると思うけれど、成功事例ができれば、他の地域もやりやすくなるかもしれない」と話していた。(続く)