IT企業を誘致、シャッター商店街の再生に成功…それでも2期8年で退任へ 宮崎県日南市の崎田恭平市長に聞く(後編)
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 12月12日のABEMANewsBAR橋下』に、若手の首長の注目株、宮崎県日南市の崎田恭平市長が出演した。

 2013年、無所属で市長選に出馬、33歳の若さで初当選を果たした崎田市長は、市の活性化を図ろうと「日本一組みやすい自治体」とスローガンを掲げ民間企業とコラボレーション。安倍前総理も「地方創生の好事例」と言及、大臣たちが次々と視察に訪れている。

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■経営者の間で“日南はすごい”と

 崎田市長の功績の一つが、いわゆる「シャッター商店街」だった「油津商店街」の活性化だ。全国からまちづくりの専門家を公募で採用。4年間で20店舗の目標を上回る29店舗が新規で商店街に出店した。

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 「“補助金の切れ目”が“縁の切れ目”になってやめてしまうこともあると思ったので、補助金ありきの商店街再生はしないことにした。人口が増えてないのにお店だけ増やすと、パイの取り合になってしまうし、田舎には事務職がない。だから若者が都会に行ってしまう。それなら働く場所作ろうということで、人材流動性の高いIT企業に来てもらうことにした。特に県庁所在地以外の小さな市でIT企業を誘致したのは、おそらく日南が初めてだったと思う。今では13社、130人くらいの若者が働いている。そうするとランチや飲み会の需要で飲食店が来るようになる。

 “ワーケーション”という言葉は、どうしても関東近辺が有利。そこに攻めていく、という切り口を作らないと。ただ、“自治体あるある”なのが、誘致までは一生懸命やるけど、あとはほったらかし。東京の経営者からしたら、派遣した社員が心配になる。アパート探しから、どこで買い物をしたらいいのか、そして飲み友達は…と。日南ではそこをサポートした。そうすると、経営者の間で“日南はすごい”と口コミが広がり、“入れ食い状態“になった。でも、今はあえて誘致を止めている。すでに来てくれた企業が順調なので、まずはそこで雇用を増やしてもらうために、今は伴走していく段階だ」。

■「議会の勉強会で空気が変わった」

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 「職員たちのスピードが早く、他の自治体と仕事をすると、“日南市が特別だった”と気づくようだ(笑)」と話す崎田市長。組織づくりについて、次のように語った。

 「県庁職員出身だから、みんなが意気に感じる組織を作りたいという気持ちを持っていた。500~600人の組織なので、部長も課長も担当職員も、顔と名前が大体は分かる。その課にふらっと行って協議を始められるくらいのマネジメントができる。そして、県庁に行くと職員時代の元上司たちが幹部にいて、“日南市がうまくまとまっていってるのは、部長級が崎田君と同じ言葉を使っているからだ”と言ってくださる。

 そして、最初の議会の勉強会で空気が変わった。部下が作ってきたものを首長は読むだけという議会が多いが、僕はそれをやめて、一般質問の勉強会を開いた。そこでディスカッションをやっておけば、議員さんたちから何を質問されても答えられるはずだと。そこでは“僕は議場でここまで言いたいけど、大丈夫か”と幹部たちに確認も取るようにした」。

 3万人以上の職員を抱える大阪市のトップを務めた橋下氏は「僕の場合、“市役所をぶっ壊す”みたいな感じで入っていったし、組合のメンバーには、“橋下を落選させろ”という大号令をかけて動いている人もいた。いわば“招かれざる客”だ。ただ、僕だって一人で3万8000人は動かせないから、最も反維新・反橋下の急先鋒の人に副市長になってもらったんです。“僕に対して反対の気持ちがあるのはいいけれども、決まったことには従ってください。従ってもらえるんだったら副市長になってもらいたい”と話したら、その彼は “決まったことには従う。しかし、そこまでは徹底的に議論させてください”という話だった。維新にも反対する人はいたけれど、僕の味方を副市長にしていたら、職員は言うことを聞かない。彼が“うん“と言うなら仕方がない、という雰囲気になった」と応じた。

■今後のことは、ゆっくり考えたい

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 そんな崎田市長だが、来年4月の任期満了を持って退任する意向を表明している。

 「僕が県庁職員だった頃に宮崎県五ヶ瀬町長を務めていた飯干辰己さんという方が、“物事を変えられるリーダーは1年目から変える。1年目に何もできない人は何をやってもできない。10年経って自分にできなかったことは、自分にできなかったことだから潔く身を引くべし”と言っていた。市長の場合、2期8年か3期12年になるが、僕も最初からそれを頭に入れていた。職員もついてきてくださったし、日南市に初めて大臣が視察に来られた。しかも地方創生大臣や国土交通大臣など、6人も。そういう意味では恵まれた環境で色んな仕事をさせてもらった。僕がやりきったからといって街づくりに完成はないけれど、引き出しにあるものは出しきったと思うし、次の人に任せた方がいいんじゃないかなと。その意味では、僕が最初の商店街政策をした時の部長さんが退職され、決意を固められた」。

 今後も経験を活かし、地方自治、地方創生に取り組んでいきたいという崎田市長。「20代は公務員、30代は市長をした。40代はしっかり民間でやってまた50代でということもあると思うし、次に何をやるかはゆっくり考えたい。これまで全力疾走してきたので」と話す。

 橋下氏は「16年とか20年とかやっている人もいるけれど、僕も8年、松井さんも12年。そのくらいの任期で終わる方がいい。崎田さんが言うように、10年かかってもできなかったことは、20年やってもできない」と話した。(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)

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