元フジテレビアナウンサーの笠井信輔が17日に自身のアメブロを更新。阪神・淡路大震災への思いをつづった。
この日「26年前の今日、阪神淡路大震災が発生しました」と書き出し「私は震災当日の午前中には被災地に入り、東京のどの局の取材班よりも早く取材を始めましたが、それは壮絶な体験でした」と述べた。笠井アナは、昨年の同日にも被災地での体験をつづっており、「今日はその続きを書かせていただきたいと思います」と述べた。
続けて、自身を含めた当時の取材スタッフは「とにかくこの惨状を日本中に、世界に伝えなければ、と『救出活動』よりも『伝えること』を優先して 撮影を行って リポートをして インタビューをして それを中継車にもっていくことを繰り返していました」と回想。しかし「ほとんど寝ずに過ごした3日目にメンタルが崩壊してしまいました」と明かし、「様々な葛藤とストレスの中で スタッフ間で大喧嘩が始まってしまって 私たちは帰京せざるをえなくなったのです」と当時の状況を振り返った。
また「助けを求められても協力できなかった人たち インタビューに泣きながら答えてくれた人たち」「あの人たちは、その後どうしただろうか」と、自身と担当ディレクターでずっと考えていたことを告白。その後2人で企画書を出して「あの時インタビューをした名前も聞かなかった人たちを探し出して、1年後の1月17日にどうしているか、サプライズの形で訪ねて行こう」と番組を作ったことを明かした。
さらに、1年後の1月17日に何の約束もせずに、当時インタビューをした人々の元を訪ねてみたところ「多くの方が私を見て、私の手を握って、『大丈夫でしたか』『お元気でしたか』と私のことを心配してくださったんです」と述べ、「東京から来た取材者と言うよりは、あの震災を一緒に体験した人と言う、そんなふうに捉えていてくださっていたのです」「温かなその気持ちに目頭が熱くなりながら取材をしました」とコメント。
最後に「おそらく、大災害を体験した方にしかわからないことということがたくさんあるはずなのです」「そうした方々に、少しでも穏やかな日々が訪れるようにと願っています」とコメントし、「1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災 その犠牲となった6434人の方のご冥福を 心よりお祈りいたします」と思いをつづり、ブログを締めくくった。
これに対し読者からは「いつまでも拭える事の思いですが、伝えていく事は大切だと改めて思いました」「忘れないでくださってありがとうございます」「これからも忘れずに、二度と起きないように祈ります」などの声が寄せられている。