「あさま山荘事件」から半世紀…元兵士・植垣康博氏と加藤倫教氏に聞く「連合赤軍」、「山岳ベース事件」
連合赤軍の元メンバーが語る
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 「資本主義をぶっ倒す。そのために戦わなきゃいけない」。2021年1月27日、50年を超える潜伏活動から一転、報道の前に姿を現した清水丈夫氏(83)。暴力による革命を掲げ、テロやゲリラ事件を起こしてきた過激派、「中核派」の最高指導者だ。

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 1960年代、日本は高度経済成長期を迎える一方、長期化するベトナム戦争や日米安保条約改定の問題をめぐり、学生たちが活発な政治運動を行っていた。そんな中で行動を過激化させていった中核派などの“新左翼”。

 しかし共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)と日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)が合流し誕生した連合赤軍の内部で発生した、自らの行動を振り返らせる“総括”と称する集団リンチ殺人「山岳ベース事件」、そして5人が保養施設に立てこもり9日間にも及ぶ銃撃戦を演じた「あさま山荘事件」の後、運動は急速に大衆の支持を失っていく。

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 あれから半世紀。『ABEMA Prime』では、1971年~1972年に発生、12人が命を落とした山岳ベース事件で仲間の殺害にも加担することになった植垣康博氏(72)と、山岳ベース事件で共に運動に参加していた兄を亡くし、その後の「あさま山荘事件」で籠城の末に逮捕された加藤倫教氏(68)に話を聞いた。(2021年2月1日放送)

■「連合赤軍事件によって、左翼が抱える新たな問題が出てきてしまった」

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 1949年生まれの植垣氏は大学在学中に学生運動に参加。1969年、「“爆弾を作ってくれ”と頼まれて」共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)に合流する。

 「大学闘争の基本には、学問の場であるはずの大学が“産学協同”の名の下に企業・政府の金儲けに協力するということがあってはいけないという、“大学のあり方”に関する問題意識があった。そして当時は高度経済成長の中、日本社会にも三里塚や公害、原発など、様々な社会問題が出てきていた。また、アメリカに従属して経済成長していくのが本当にいいことなのだろうか、という疑問にもぶつかっていた。そして最も大きかったのが、ベトナム戦争の問題だ。当時、アメリカ軍は沖縄を前線基地にしてベトナムを爆撃していた。そういうことに対する闘争から始まった。次第に政府、機動隊の暴力に対してはこちらも武装するしか無い、ということで赤軍派が出てきた」。

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 その後、植垣氏ら赤軍派の非合法行動はエスカレートを見せることになる。

 「当初、私のいた部隊はもっぱら大阪の釜ヶ崎、東京の山谷、そして横浜の寿町と、日雇い労働者たちがいるところを拠点にしてゲリラ戦を展開していた。そういう中で、銀行強盗、爆弾闘争などにも関わっていった。今でもそうだが、銀行というのは政府のいち組織でしか無いという思いもあったし、個人から金を奪ってはいけないが、幕末の尊王の志士たちも豪商から金を取ったりしていたことを考えれば、“そういうことがあってもいいのではないか”という考えがあった。1971年頃になると、デモ隊と機動隊の攻防戦が一層激しくなっていた。その様子を見ていて、このような大衆の運動と自分たちのゲリラ戦を連動させれば、権力を包囲できる形もうまれてくるんじゃないかという感覚を持つようになった」。

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 この年、植垣氏らは「京浜安保共闘」と合流、ここに「連合赤軍」が誕生する。警察の捜査が迫る中、若者たちは山中での軍事訓練を行い、そして凄惨な事件を引き起こしていく。植垣氏は「あさま山荘事件」の直前に食料を調達するため下山、その際に逮捕される。後に殺人罪などで懲役20年の実刑判決を受け服役する。

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 「私の主張はあくまでも大衆の行動と連動したゲリラ戦による闘争だったが、党の指導部は必ずしもそれをよしとしていなかった。指導部はあくまでも党の絶対的な統制の下で武装蜂起の流れを作っていく、そういう運動のあり方を求めていたので、私もぶつかったし、それが後には“総括”の要求、共産主義化の流れに繋がり、仲間を殺すという次元にまで入っていく。殺したくない人間を殺さざるを得ないというのは、これはしんどい。しんどいけど、そういう流れの中で身を置いている以上関わる羽目になってしまった。

 私だって最初は革命なんて考えていなかった。しかし機動隊の壁を崩すという流れにまできたときに、初めて革命、そしてその後に俺たちはどんな社会を作るんだと。共産主義、社会主義の理念は言えても、具体的にどうするんだという問題が出てきた。そこで“足踏み状態”になってしまったのは確かだ」。

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 1998年に出所、現在は静岡県内でスナック「バロン」を経営、「飲み屋を通して“連赤問題”を語っている」と話す植垣氏。赤軍派から分派し、「日本赤軍」「よど号グループ」らの中には、今も国外で逃亡を続けている者もいる。その後の政治運動、そして現在の政治状況について、次のように語った。

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 「必ずしも連合赤軍の過ちが全てをダメにしたとは思っていない。運動が衰退したのは、アメリカがベトナムから撤退し、ベトナム戦争が終わったということが大きいからだ。僕らは確かにあのような過ちを犯してしまったが、国際的なベトナム反戦闘争として全体から見れば、アメリカに勝ったのではないか。

 むしろそのことによって、それまで表に出てこなかった左翼の側が抱える問題が新たに出てきてしまったということだと思う。まさに僕らの突出した行動も、そのことを炙り出したのだと思う。これが左翼運動の後退の原因だったのではないか。そこに対して、さあ、どうするんだ。これを乗り越える方法を出せるのか出せないのか、という悪戦苦闘が今に至っているのではないか」。

■「かつて毛沢東主席を支持していた人間として、習近平が本当に許せない」

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 1952年生まれの加藤氏は高校在学中に、兄、弟とともに学生運動に参加。京浜安保共闘に加わる。植垣氏同様、ベトナム戦争に大きな疑問を感じたことがきっかけだったという。

 「教育の問題は大学だけではなく、高校でも表面化していた。また、日本が発展し、進学校に行って有名大に行って大企業に行って…という人生がある一方、ベトナムやラオスやカンボジアに向けてアメリカ軍の爆撃機が飛び立っていくのを知らん顔して見ていることに疑問を感じた。私の父は戦争に行った世代だが、“戦争は惨めなものだ”と話していた。アジアに戦争をしにいった父親の息子として、日本がアメリカに基地を提供し、アジアの人たちを殺すのを、命をかけてでも止めないといけないと思うようになった。そしてベトナム戦争を止める、そのためには日本政府を倒さなければならない、という考えを持つようになった。革命というところまで考えていた人は少数だったとは思うが、ベトナム戦争反対の大規模デモは日本だけではなくアメリカやフランスでも行われていた」。

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 1952年生まれの加藤氏は高校在学中に、兄、弟とともに学生運動に参加。京浜安保共闘に加わる。植垣氏同様、ベトナム戦争に大きな疑問を感じたことがきっかけだったという。

 「教育の問題は大学だけではなく、高校でも表面化していた。また、日本が発展し、進学校に行って有名大に行って大企業に行って…という人生がある一方、ベトナムやラオスやカンボジアに向けてアメリカ軍の爆撃機が飛び立っていくのを知らん顔して見ていることに疑問を感じた。私の父は戦争に行った世代だが、“戦争は惨めなものだ”と話していた。アジアに戦争をしにいった父親の息子として、日本がアメリカに基地を提供し、アジアの人たちを殺すのを、命をかけてでも止めないといけないと思うようになった。そしてベトナム戦争を止める、そのためには日本政府を倒さなければならない、という考えを持つようになった。革命というところまで考えていた人は少数だったとは思うが、ベトナム戦争反対の大規模デモは日本だけではなくアメリカやフランスでも行われていた」。

 山岳ベースでは、仲間たちの「総括」によって実兄が死亡することになる。

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 「現実には脱走するなど、疑問を抱く人たちも出てきていた。それをどう防ぐんだという中で、兵士ひとりひとりが自分の弱さや甘い考えを見つめ直す。今から考えればおかしな言い方だが、“どうすれば本当の意味での革命戦士になれるのか”、そのことを突き詰めて考えろという要求から始まったのが総括だ。もっとも、今も日本社会に見られる“しごき“と同じで、死ぬことを想定していたわけではなかった。私自身、本当に革命を成し遂げられるのか、その自信はなかったが、現状を変えるためには自分たちが動かなければならない。やってみて死ぬことになっても仕方ないと思っていたし、こんなことを考えている連中がいるということを政府や国民の皆さんに伝えるんだ、という気持ちがあった」。

 未成年ながら「あさま山荘事件」に立てこもり、実弟とともに逮捕された加藤氏。その後、懲役13年の刑が確定し服役。1987年に仮釈放されてからは、実家で農業を営む傍ら、地域活動に参加するなどして暮らしている。

 今の政治状況について尋ねると、「私たちの罪だと思うが、連合赤軍事件を通じて、若者に限らず、社会問題について発言することが、さも“反政府”であるかのような雰囲気が醸成されてしまった。そのことは非常に残念だし、罪深さも感じている」。一方、アメリカと世界の覇権を争う現在の中国に対しては「覇権主義の国だと思う。100年かけてでもアメリカに取って代わろうという戦略を立てているようだが、かつてのベトナム侵攻や南シナ海の問題を見ても分かるとおり、本当に情けないことだ。習近平はプーチンやトランプと同じ人間だ。かつて毛沢東主席を支持していた人間として、本当に許せない」とコメント。

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 すると植垣氏も「ロシア革命以降の社会主義の在り方というのを考える必要があるという思いを持ってきた。当時のソ連にしても今の中国にしても、掲げられている“社会主義“という看板を外して経済の実態を捉え返す必要があるのではないかと。革命後のロシアは経済的にも未熟な状態で、発展途上の段階だったし、中国はもっと遅れた国だった。そういう国でいきなり社会主義や共産主義ができるわけがない。それを国家権力の力で無理やりやろうとした。それは共産主義とはとても言えない。明治以降の日本も、一種の国家資本主義として、そういう面を抱えていると思う」と話した。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)

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