復興の軌跡をたどる“1枚”に陸前高田市役所の新庁舎 撮影に込めた思い「最後は人、ソフト面でもっと強くなれれば」
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 まもなく東日本大震災から10年。この節目に、復興の軌跡をたどるフォトコンテストが開催され、約3500枚の中からグランプリの1枚が選ばれた。

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 復興庁などは「東日本大震災発災10年 フォトコンテスト」を主催し、被災地を撮影した作品を募集した。選考の結果、グランプリの復興大臣賞には岩手・陸前高田市役所の新庁舎を撮影した村上真さん(28)の作品『復興の標(しるべ)』が選ばれた。

 「入賞しないかなと思っていたんですけど、まさか復興大臣賞だと思わなくて、大変驚いている。(復興の)最初に完成した公営住宅と、最後に着工した市役所の新庁舎が写っているのと、わかりづらいが奥の方に防潮堤だったり、少しずつ10年間でできていったものが入ってくれた。最後に、一番変わらない三陸の海まできれいに収まってくれた」(村上さん)

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 当時、陸前高田市の市役所は津波で流され、全壊した。去年12月に撮影されたこの1枚。かさ上げされた土地に、ほのかな灯りとともに写る公営住宅と立派な市庁舎。この写真から伝わるのは10年という歳月が成し遂げた復興、そして変わらずそこにあり続ける三陸の海だ。しかし、村上さんはある思いの中でこの写真を撮影した。

 「2018年くらいからいろんな建物が建つようになってきて、本当に灯りが街に戻ってきたタイミングなのかなと。ここ10年間で、ハード面の道路とか橋や防潮堤といったものは戻ったけど、最後は人、ソフト面でもっと強くなれればいいのかなと思う。地元の人だけでは無理なので、市外だったり県外だったり、それこそ海外でもいいんですけど、いろんな方とのつながりをもう1回新しく構築できればなと。これをきっかけにしてもっといい街になってほしい」(村上さん)

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 隣の大船渡市から毎日、勤務地の陸前高田市に通う村上さんがこの10年で感じたのは、少しずつ進んでいる復興と“つながり”の大切さだった。

 「震災の時、高校生で何もできなかった。大学生で地元にいても、常に力になれるような状況ではなかった。何もないような状態から始まったので、私は本当に復興は進んだと思っている。みんなにつくってもらったので、これから若い人たちで盛り上げていきたいなと思う」(村上さん)

 また、優秀賞には宮城県山元町の色鮮やかなひまわり畑の写真『自分らしく』(ゆずさん撮影)や、福島第一原発から7キロにある浪江町の請戸漁港の写真『復興を願う』(柏舘健さん撮影)が選ばれた。漁港の周辺は未だ施設や住宅のほとんどが損壊したまま、手つかずだ。そんな中、ようやく復興の兆しを感じさせる1枚だった。

 「まさに被災地の方に撮っていただいている写真が多くて、被災地の生の状況や姿を写してもらった」と話す、復興庁 調査・調整班主管の田牧祐典さん。受賞されなかったものの、印象に残る写真を聞いた。それは、津波の被害で多くの方が亡くなった宮城県牡鹿郡女川町での1枚『NEW START ONAGAWA!』(平塚芳和さん撮影)だ。

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 「1月1日、初日の出に撮られた写真で、(この)街自体が日の出が道の中心を通るように設計されている。人もたくさんいて賑わっているという意味で、震災から10年が経って復興の歩みを伝えるいい写真だなと」(田牧さん)

 受賞した作品は今後、東北の魅力を発信するポスターなどのPR活動に使用される。

 このニュースを伝えたテレビ朝日並木万里菜アナウンサーは「写真を見ていると、地元の人がどんな思いで撮ったのか、インタビューのお話にもあった復興が少しずつ進んでいるという思いが伝わってきたように思います。節目と言いますが、この言葉を使うと風化してしまうと思うので、この復興をいつまでも、少しでもお手伝いできたら」と話した。

ABEMA/『ABEMA Morning』より)

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