震災で届けた義援金「逆にいただく立場になるなんて」 釜石と渋谷、2つの“横丁”がつなぐ絆
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 被災地、岩手県釜石市にかつてあった「呑ん兵衛横丁」。そして、東京・渋谷にある「のんべい横丁」。10年前の震災をきっかけに結ばれた両者の絆は、コロナ禍の今もつながっていた。

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 「『まさか私たちが』っていうのが最初に頭によぎりましたね。サポートさせてもらう立場で釜石にお邪魔して、こういうふうに私たちが逆に釜石から義援金をいただく立場になるというのは思ってもいなかったです。人間のおごりっていったらそうなのかもしれないけど、やっぱりありがたかったですよ」

 こう話すのは、東京・渋谷ののんべい横丁で先代から89年続く焼き鳥店「鳥福」を営む村山茂さん(72)。岩手県の釜石市役所から、横丁宛の義援金を受け取った。

 「コロナに負けないで!」

 遠く離れた釜石から渋谷へのエール。これには訳があった。震災当時、釜石市内で営業していた呑ん兵衛横丁は跡形もなく流されるなど、壊滅的な被害を受けた。

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 「被災時の映像をニュースで見ていて、あるとき釜石市の呑ん兵衛横丁というのが出たんですよ。そこで初めて『釜石市に呑ん兵衛横丁があったんだ』と。それから呑ん兵衛横丁さんは同じ名前だし、横丁である以上、僕たちと同じような環境で生活されているわけですよね。『他人事じゃない。今の自分に何かできることないかな』と思って」(村山さん)

 震災を機に初めて存在を知った釜石の“横丁仲間”。いてもたってもいられなくなった村山さんは、被災した仲間のために渋谷の横丁の店から義援金を集めた。2011年の7月、それを手渡すために行った被災地で惨状を目の当たりにした。

 「現場にいったときは、言葉が出なかった。悲惨でした。本当に悲惨な状態で、残っているのがガス栓とか水道管とかが道路にちょこっと出てるくらい。あと軒並み全部ない」(村山さん)

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 村山さんはその後、義援金を携え何度も被災地を訪れた。しかし、仮設店舗で営業を続けていた釜石市の呑ん兵衛横丁は次の移転先が見つからず、2018年に閉鎖された。同時に村山さんの支援も終わりとなった。

 しかし、2つの横丁の絆をつなぎとめたのは釜石市役所だった。

 「新型コロナウイルスが蔓延して、渋谷のんべい横丁でもなかなか思うように営業ができない中で、今度はこちらの方から渋谷のんべい横丁を支援したいと義援金を集めました。10年前の我々釜石の状況を思い出しましたし、やっぱりこういうときこそお互い助け合いたいという気持ちがすぐに沸き上がってきた」(釜石市役所・総務企画部総務課 川崎浩二総務課長)

 職員らの有志から義援金を募り、15万円ほどが集まった。そして去年10月、渋谷の横丁で村山さんに手渡された。

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 10年前の震災をきっかけに結ばれた両者の絆。

 「横丁ってね、僕の口癖になってるんだけど、どこの横丁でも運命共同体なんですよね。同業者が小さな世界に寄り集まってみんなで営業しているわけですから。自分の店だけじゃないわけで、そういう中でやると仲間意識っていうのかな」(村山さん)

 「いろんな災害や疫病で思うように経済活動できない場面がこれからもあると思うんですが、横丁のつながりでこれからも末永く、お互いの絆はいい関係で継続していきたい」(川崎さん)

ABEMA/『ABEMA Morning』より)

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