13日のABEMA『NewsBAR橋下』のゲストは宮城県知事の村井嘉浩氏と宮城県出身のタレント・狩野英孝。東日本大震災の発生から10年が経った今、震災の教訓を活かし、災害に強い国造りを進めるにはどうすべきか。村井氏と橋下氏が防潮堤や危険地域を避けた移住について話し合った。
・【映像】3.11から10年~橋下徹×宮城・村井知事×狩野英孝 "災害に強い国"への課題は
橋下氏は「当事者からすると外から言われることについては色々な思いがあると思うが、防潮堤については“これほど高さのあるものを作るのはどうなんだ”といった反対意見もあると思う。やはり被災地外の人間だから言えるコメントだが、東日本大震災も水害も含め、全体的な災害対策としては危険な地域に住んだままハードを整備するよりも、一度そこが危険な地域だと分かったなら、そこは避けて住むようにしてといけないんじゃないかと思う。
例えば石巻に視察で行ったときに、津波で流されてしまったところに防潮堤と道路で二重の堤防を作って、もう一度住宅を作ろうとしていた。“それだったら山の方に移るのはどうなんですかね?”と聞いたら、石巻の役所の人たちは“いや、住んでいた人たちの思いが重要なんです”と。僕みたいに“危険なところは避けたほうがいいんじゃないか、そういうところのハードの整備よりも、違うところにお金を回した方がいいんじゃないか”という考え方と、“危険だけども街を作り直す”というのはどちらなのだろうか」と投げかけた。
村井知事は「私が生まれた1960年にはチリ地震津波で旧志津川町で41人、日本全体で142名が亡くなっている。これに合わせて準備してきた、東日本大震災では、チリ地震を遥かに超える津波で被害が出てしまった。私が生きている間に、同じような津波が再び来る可能性があるので、やはり準備をしないといけない。今回、特別に国から財政的な支援をいただけたので、今までよりも高い防潮堤を作ろうということで意思決定した。ところが、いざ防潮堤を作ろうとなったら、“俺は海が見えるのが好きでここに住んでいたんだ”とか“防潮堤が高すぎる”といった意見も出てきて、なかなかまとまらなかった。やはりこれが防潮堤の工事が最後になった最大の理由だ。
私としては橋下さんの考えに賛成で、また津波は来るので、できれば安全なところに住んでいただきたいという思いがある。10年前の3月11日は肌寒く、雪がちらつくような日だった。午後2時という、みんなが活動している時間帯だったので、あの被害で済んだが、これが真冬で雪が1m、2m積もっていて真夜中だったとしたら、あの2倍、3倍の人が亡くなっていたかもしれない。だからできれば高台、仙台平野であれば内陸に新しい街を作ったほうがいい。
それでも今まで住んでいたところに土を盛って高くして住み続けたいという人もいる。しかし“それはダメだ”とは言えなかった。逆に高台に移りたいという人がいても、相続などで地権者が分かれているので、その人たちが生きているかを調べて、一筆ずつハンコをもらわないといけない。学校や役所を作るときには収用という手続きもあるが、人の住む家は個人財産なので、そのために土地を取り上げるわけにはいかない。そこに時間がかかった。そして、これを突き詰めていくと憲法の問題になるので、自治体だけの力ではどうしようもない」。
狩野は「分かる。沿岸部分に住んでいる方々に取材をすると、やっぱり地元への愛が強い。だからその気持ちを押し曲げてまで…。僕が沿岸部分に住んでいたとしたら“離れたくないな”という気持ちが出てくると思う」とコメント。
橋下氏は「国交省の方で水害地域や危険地域を設定して高齢者施設は作らないようにといった流れになってきてはいるが、被災した人にそこを移ってくれというのは現場ではなかなかいえない。そこをやるなら憲法改正から法律改正でしっかりと国会議員が気合い入れてやってくれないと」と話していた。(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)
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