紗栄子、コロナ禍で栃木移住を決めた理由
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 昨年5月、所属事務所「エイベックス・マネジメント」との契約が4月末で満了し、独立を報告した紗栄子。14歳で芸能界デビューして以来、モデルやタレント、女優として活躍してきたが、彼女が10年にわたって続けているのが社会貢献活動だ。独立時も自身のInstagramで「これまでの活動に加えて、SDGs(持続可能な開発目標)への取り組みや社会貢献活動にもより一層力を入れて参ります」とつづり、今後のさらなる支援活動を誓っていた。

 『ABEMA NEWS』では、栃木に移住して“牧場”を経営する理由、コロナ禍で変わった子供たちとの生活に迫った。

【映像】「ママ、ユーチューバーなったの?」息子も驚き…紗栄子の公式YouTubeチャンネル撮影風景

■事務所独立で感じる“スピード感” 移住と牧場経営を決めた理由


 独立して組織が小さくなって、連絡系統のスピード感や選択の速さは感じています。支援活動の場合、一歩目を踏み出すスピードの速さはすごく大切です。災害は急に起きてしまいますし、やっぱり人命に関わることですから、個人としてやっていくことで、あらゆる選択をスピード感持ってできますね。もちろんその分の責任は大きくなったのでそこは大変ですが、それも含めて楽しみながらスタッフのみんなと頑張ってやっています。仕事内容で言うと、あまり変化は感じていませんね。

 栃木への移住や牧場経営を決断したのは、2つ理由があります。行く末が案じられてしまう命があったのと、そこで働いていらっしゃる方々の雇用がなくなってしまいそうだったからです。昨年の4月のタイミングで、まさか自分が栃木で暮らして牧場を経営しているなんて一ミリも思っていなかったですよ(笑)。もちろん、命が伴う上にやったことがないフィールドでしたし、決断には慎重になりました。でも、切羽詰った状況がそこにあって。昨年5月末に初めてファームに行って、おおむね1カ月後の7月の頭にはもう決めていましたね。

 一次産業や観光業は自分でやった経験がありませんでした。ただ、元々の経営母体が傾いたから、次にどうなるか分からない状況になっている。何が良くなくて、どこを伸ばしていくべきなのか。それを探すためにも、東京から運営を遠隔でやるには無理があると思いました。みんなと同じ生活をして、どこに問題点があるのか探すところからのスタートでした。

 もともと、東京と地元の宮崎、子供達が学校に通っているロンドンの三拠点で生活をしていたんです。だから、あまり時間軸や場所に囚われた生活はそもそもしていなかったんですよね。自分の感覚で言うと「拠点が一つ増えたな」と。

 住民票を移して移住という形で、縁もゆかりもない土地で自分が暮らしていくって、冷静に考えるとちょっと怖いですよね。でも「一緒に頑張ろう」と思える仲間がそこにいて、助けたい命があった。芸能のお仕事を助けてくれるスタッフたちがいてくれたのも大きいです。「無理じゃない、両立できる」と思って、まず行ってみようと引っ越しました。

 栃木は、本当に自然が近いんです。お日様が昇ったらおはよう、日が沈んだらおやすみ。東京にいると、夜遅くまで働けますよね。新型コロナが広がる前は、どこに行ってもお店がやっていて。前に進みたいときやスピード感がほしいときは、たまに「東京で仕事をしたいな」と思います。

 でも、過去に私が人間らしさを失いかけたときに救ってくれたのは“自然”で、今までは宮崎や他の場所だったけれど栃木に移住したことで「一拠点増えたな」っていう感覚。守るべき家族がそこにいっぱいいて、大切な場所が一個増えたと思っています。

■ 日本でイギリスのオンライン授業を受ける子供に「たくましさ感じた」


 新型コロナの感染が拡大したタイミングで、子供たちが帰国しました。昼夜逆転の中、イギリスのオンライン授業を受けていました。その生活も1年ぐらい経ちましたね。見る角度によっては友達とも会えない、外にも出られない、マスクを外して大声で笑うこともできないので「かわいそう」と思う一方、彼らのたくましさを横で感じていました。

 子供が与えられた環境でたくましく生きていく姿に私も希望を見出していますし、その時々で選択して、幸せを見つけて生きていく必要性は、この一年で子供からすごく学びました。

 移住を決めたときの反応も子供は「あ、そうなんだ」という感じで(笑)。私がそういう人間だって、もう慣れているんでしょうね。でも「帰りたい場所は宮崎だよ」と私に訴えてきたので、子供たちのホームタウンはやっぱり宮崎だと思います。親戚もいるし、ステイホーム期間の自習学習も全部宮崎でやっていました。

 私は、子供たちにはある程度の選択は自分でさせるようにしているんです。栃木に行ったのも私の都合ですし、私が「寂しいから」と言って、子供を連れて行くようなことはしませんでした。子供たちも意思を持っている人間だから、彼らの選択を尊重するようにしています。子供たちから私が心配されることってほぼなくて。もう私より友達と話しているほうが楽しいみたい(笑)。

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 牧場の動画を発信していこうと思って、昨年YouTubeを始めたのですが、YouTubeの動画なら子供たちは見てくれるんですよね。私の仕事に対して、初めて褒めてくれたんですよ。「ママ、ユーチューバーなったの?」って聞いてくれて、もう子供たちが尊敬する存在はユーチューバーなんだなと。登録者数が10万人を超えた際にいただける盾があるのですが、それが届いたときはすぐ子供たちに自慢しました。「褒めて!」って(笑)。

 私にとって、仕事は自己表現の一つなんです。やっぱり自分で選択してきたものなので、結果自分のパーソナルの部分が出てきますし、私の場合は支援活動・芸能活動・経済活動という三つの軸で動いています。自分の活動がしっかり回って、支援の形をちょっとずつ大きくしていく。それが今の目標ですね。

(ABEMA/『ABEMA NEWS』より)

【独自インタビュー】紗栄子が明かす“現在と未来”  コロナ禍で栃木移住を決めた理由
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