純烈、「友井の脱退会見」前夜に4人が明かした本音と決意 「11年間苦楽の連続、これもまた純烈」
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 純烈を脱退し、芸能界からの引退を表明した友井を除くメンバーの4人がインタビューに応えたのは、10日深夜のことだった。正確には、友井の会見が行われた11日に日付が変わったばかり。その席で、最後にリーダーの酒井一圭はただ残念そうに、しかし今後も変わらぬ純烈としての姿勢や活動について決意を語った。「会見を見守って」と酒井が話した友井の会見はその日の17時から行われ、友井は「純烈としてのスローガンに反する行為をしてしまった」と話し、純烈からの脱退と芸能界からの引退を正式に表明した。

 純烈は2007年、酒井の「紅白に出て親孝行をしよう」という言葉を受けて結成された歌謡グループ。友井が触れた純烈のスローガンとは、「純粋であり、かつ強く正しく節操や分別がある」「志を変えずに最後まで貫く」である。苦節11年目にして昨年末に行われたNHK紅白歌合戦に悲願の初出場を果たした直後の試練となったが、「これもまた純烈」という酒井の言葉は、ともに苦楽を乗り越えてきた残されたメンバーの結びつきの強さを物語っている。

 そんな彼らにとって、11年目の悲願となった紅白歌合戦への出場は、新たな気づきの場でもあったという。酒井は紅白出場が発表された昨年11月14日から、本番当日までの様子について次のように振り返った。

 「目が合った人みんなに『おめでとう』と言われた。それは嬉しい事だけど、あまりに反響が大きくて、12月に入る頃にはなるべく人と目を合わさないようにしていたほど。当日はサザンオールスターズさんの勝手にシンドバッド、DA PUMPさんのU.S.A、北島三郎さんのまつりの時に一緒にステージに上がっていたことは鮮明に覚えているのですが、自分たちのステージの様子は……記憶が整理されるどころか、その数日間の色々な記憶とごちゃごちゃになってより混迷を極めています。やるべきことをこなすことに精一杯で夢中になり過ぎていたのかもしれません。ただ、あの瞬間のために11年間一生懸命頑張ってきたので、たとえ覚えていなくても悔いはありません。夢中ではなく、無でしたね」

最も心に響いた、ファンからの11年分の「お疲れ様」

 紅白出演後、スーパー銭湯アイドルとして活動してきた純烈のメンバーは、興奮の余韻に浸る間もなく、その足で「草加、東名厚木、相模」の3カ所の“健康センター”でライブを行い、彼らを長年支えてくれたファンに喜びの報告を兼ねてライブを行った。

 「紅白の舞台からまたいつもの場所に戻るということをやってみたい。そんな話を6、7年前からよくしていました」

 仕事がない時期、健康センターでカウントダウンライブを行っていた彼らにとって、そこはまさに帰るべき場所でもあった。あの時間帯にお客さんがいたことには驚かされたが、「俺たちも驚きました」と酒井が話したように、それはメンバーにとっても嬉しい驚きだったという。中には、“化粧バッチリ”で、かつ3店舗すべて、さらには全国から駆け付けたファンもいたという。

 「感謝ですね。僕らよりファンやスタッフ、家族、友だちが喜んでくれたことが実感としてあった。改めて紅白歌合戦の大きさを感じることができました」

 次に「紅白以上に楽しみ」と凱旋ライブを心待ちにしていた小田井涼平は「ホームグラウンド」と称する健康センターでのライブについて次のように語る。

 「紅白出場以前に、ずっとライブを行い、お客さんと触れ合ってきた場所。いわばホームグラウンドなので、フラットにいつものようにお客さんとの触れ合いを楽しみました。ただし、ファンの方々は僕らがNHKホールで歌っていた姿を見ていたはずですから、その僕らがまたいつものように目の前で、先ほどのテレビと同じ衣装で歌っているということに関して、僕らとは違う感情を抱いていたかもしれないですよね。中には、健康センターのテレビで観ていた人もいるはず。ただ、それを楽しめるのが純烈。その喜びを提供できたことに幸せを感じています。ファンに望まれなければ、それすら叶わないわけですからね」

 そんなライブ、ファンとの触れ合いの中で、彼らにかけられた最も心に響く言葉はどんなものだったのか。「それは普通の言葉。“お疲れ様”ですね」と答えた小田井は、その理由について「僕らにとっては、ただのお疲れ様じゃなかった。11年間の色々な経験や思いが詰まった、“11年分のお疲れ様”に聞こえました。今となっては一握りかもしれませんが、当初から応援し続けてきてくださったファンの方々もいるはずです。この11年がフラッシュバックするような、とても重く、意味のあるお疲れ様でした」

喜びのあまり、LiLiCoが空を飛んでいるように見えた(小田井)

 小田井の「11年分のお疲れ様」という言葉に、全員が深く頷いた。そしてその言葉を受けるように、白川裕二郎が「僕たちが夢を叶えたと同時に、ファンと一緒になって叶えた夢でもある。至福のひと時でしたね」と続くと、さらに「いつもと同じ人が、いつもと同じ場所で、いつもと同じ言葉を発していた。それでも、それら全てが合わさった時、いつもの空間が、特別な空間になっていた。僕らが紅白の会場から来た、というほんの1滴だけの違いが特別な空間を生み出した。とても不思議な気持ちでした」と付け加えた。そして誰ともなく、「血がつながっていない人たちが、ああも1つになれるなんて……」と感慨に浸る瞬間が訪れたが、酒井が「もしかして、DNA鑑定をしたら、みんな血がつながっているかもしれない」という冗談で静寂を笑いに変えた。

 小田井の妻であるタレントのLiLiCoもまた、ファンと同じく、純烈とともに夢を叶えた一人であると小田井は明かした。

 「彼女の本質がポジティブだから、常に刺激を受け、励まされてきた」と前置きをした小田井だが、「彼女もまた、芸能界で苦労を重ねてきた一人。そして演歌歌手として紅白を目指すも、その願いを叶えることはできなかった。だから結婚してからというもの、僕らの紅白出場は彼女の夢でもあったので、僕の中では、夫婦で一緒に紅白に出ることができたという感覚はあります。決定の瞬間、目に涙をいっぱいためて喜んでいる彼女を見た時は、まるで空でも飛んでいるんじゃないかと思ったほどでした」

 友井の会見が直後に控えているとは思えないほど、メンバーの様子は明るかった。大きな成功を成し遂げた矢先、さらに大きな困難が目の前に立ちはだかった純烈。決して楽観できる状況ではないが、グループの最年少32歳である後上翔太の言葉が、その懸念を一掃した。

 「僕は未経験からこの世界に入り、本当にお客様の居ない時代を経験しました。それこそ6人で現場に行ったのに、マイクが1本しかないこともあった。僕はいいですけど、他のメンバーは戦隊モノで主役をやっていた人たちですから、『この状況を我慢できるのか、受け入れられるのか』と思ったこともあります。それでも、その様子を一切表に出すことも無く黙々と頑張る背中を、デビュー以来ずっと見ながら育ってきた。仕事がない時期は、先々のことを考えてナイーブになることも正直ありました。“1年先を考えたら鬱にしかならない”ような状況です。どんなときも週に1度の仕事に全力で臨み、その積み重ねの結果として今がある。その僕たちの姿勢は、この先も変わることはありません」

 そして15日の19時から、メンバー4人による会見が行われた。会見で「守るべきはお前じゃない」と友井に話したことを明かした酒井は、「友井が事実関係を認めた時は解散がよぎった。しかし夢の紅白を掴んだ今、全国の健康センターにお礼回りを行わずして解散はできない」と改めて決意を語ったが、メンバーたちもまた「11年間苦楽の連続、これもまた純烈」と前を向いた。4人になった純烈の再出発は、彼らのホームグラウンドである健康センターのステージから始まる。

(C)AbemaTV


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