18日のABEMA『NewsBAR橋下』に作家の乙武洋匡氏が出演。橋下徹氏と、東京パラリンピックを通して見えてきたものについて語り合った。
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大会を振り返り、乙武氏は「これまではどうしても“障害のある方が頑張って克服してスポーツやってて感動しますよね”という、ちょっとお涙頂戴なストーリー的な感じで報じられることも多かったと思う。だから僕の中での一つの指標は、そういう“感動ポルノ”から脱して、純粋に競技として面白いよね、ということを認識してもらえるかだどうかだと思っていた。その点では、皆さんが競技について熱く語っている様子を見て、今大会は成功だったと言っていいと思っている」」と笑顔を見せる。
「自国開催ということもあって中継も大幅に増えたし、障害についてもプレーの説明をするときに必要最小限に触れるにとどめていたように感じられた。純粋にスポーツとして紹介して下さっていたし、アナウンサーの方々もすごく勉強されたのではないかと感じた。開閉会式もオリンピックの方は“ごった煮感”があったが、パラリンピックの方は芯が通ったストーリーになっていたと思うし、これが演出の持つ力なんだと感じた」。
その一方、「僕自身も“純粋に競技として楽しんでほしい”と言い続けてきた以上、結果的に今大会が多様性社会の礎のようなものにつながっていけばいいけれど、一足飛びに求めるのは、過度な期待をかけ過ぎだろうと思う。もし本当に“日本にも多様性社会の兆しが見え始めたよね”ということを言いたかったのであれば、もっとやりようがあったと思う。例えばユニバーサルリレー(異なる障害の4選手が走る)に健常者の走者も入れてみるとか、マラソンだけはオリンピックと同じ日にやろうよ、とか。そうすることで、“開催したことで、そういう社会が見えてきたよね”となるのではないか。
僕は“パラリンピックをなくしたい”と主張したが、それも段階を踏んでいくべき話だ。やはり障害者への接し方に慣れていない人がまだこれだけ多い社会だし、ゆくゆくそうなっていけばいい、ということだ。もちろん、パラリンピアンの活躍を見ることで“人間って、こんなこともできるんだ”“諦めずにやれば、ここまでできるようになるんだと”という可能性への気付きにはなると思う。ただ、そればかりになると、“やっぱり感動するよね”、となってしまうし、“一切語るな”“そういうストーリーに教育的効果に目を向けるな”というのも不自然だ。そこはバランスだと思う」とも指摘した。
とりわけ車椅子バスケットボール。ボッチャやゴールボールに感銘を受けたと振り返る橋下氏も「パラリンピックの開閉会式は本当に良かった。パラリンピックの方はそんなに費用もかかっていなかったと思うが、オリンピックと合わせると予算は160億円。なんなのそれと思った。内訳が知りたい。でもこんだけ偉そうに語っているが、なんで僕が障害者スポーツに関心を持ったかというと、大阪府知事・大阪市長時代に、財政再建のために障害者スポーツの会場にもなっている体育館なども見直しをしようとした中で、障害者の方々と関係者から、競技をやっているプールを見に来てくれと言われたことだった。潰してたら、えらいことになった」と明かした。
■児童・生徒の選択制にすればよかった「学校連携観戦プログラム」
さらに乙武氏は「日本での“交流教育”は、障害者が健常者の学校に遊びに行く。ただ、慣れていないこともあって、“交流しましたね”という感じで終わってしまう。その点、イギリスのリバプールにある先進的な盲学校では、健常者の側が訪れる。そうすると、校内に慣れている視覚障害者の方々がすいすいと案内してくれることに“なぜ見えていないのに、ここにドアがあるのが分かるのか”などとビックリする。そのようにして、“環境が整っていれば、これだけ能力を発揮できるんだ”という学びにつながる。パラスポーツでも、健常者が加わることで“逆に俺らがお荷物になる可能性もあるんだ。だから社会環境を整えることが大事だ”という気づきにつながると思う」と提言。
橋下氏も「それは重要だ。“インクルーシブ教育“というと、健常者の中に障害者を受け入れていこう、という発想になるが、逆だ。僕らが車いすバスケットに入ったら、超お荷物になって、“邪魔や。出ていけ!”となるからね(笑)」と応じた。
今大会ではオリンピック同様、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い無観客開催となったが、一部の自治体では小・中学生を対象とした「学校連携観戦プログラム」を予定通り実施。「感染リスクがある」「テレビ観戦でも学べる」などの批判もある中、現地で観戦した経験が、多様性や障害者への理解を深める教育的な意義があるとの意見もある。
乙武氏は「こういった批判が起こること自体は、健全で良いと思う。というのも、オリンピックの開催に対しては、あれだけの反対意見が出たのに、パラリンピックの方は批判しちゃいけない、みたいな空気ができてしまえば、それこそ逆差別というか、気持ち悪いことだと思っていたからだ。でもパラリンピックの開催の是非についても議論があったし、“子どもたちを行かせるべきじゃない”という声がちゃんと聞こえてきた。教育的効果は間違いなくあると思うが、親御さんによって距離感・温度感は様々で、埋めがたいものもあると思う。その意味では、行きたいという子が行けなくなること、行きたくないという子が無理やり行かされるということのないような仕組みが必要だ。学校でテレビで観戦してもいい、といった選択肢も残しておくことが良かったと思う。
印象的だったのは、“子どもが面白がってパラリンピックを見ている”という声がSNS上に多かったこと。そこで思ったのは、経験を重ねてしまったことで、大人には“オリンピックがメイン、パラリンピックはサブ”という固定観念が根付いてしまっている。でも子どもにとっては、目に入ってきたものが純粋に面白いのかどうか、ということになる。それで言うと、パラリンピックは面白かったんだと思う」とコメント。
橋下氏も「生で見るというのは、エンターテイメントとして最高だと思う。こう言うと特別視ということになってしまうかもしれないが、子どもたちがパラリンピックを生で見るのは、オリンピックを生で見るよりもさらに教育的効果が高いと思う。うちの子どもたちもテレビで見ていたし、環境が許せば見せに行きたかった」とした上で、「最初から一律でなく、行きたい場合は行けるという環境を作っておくべきだったと思う」と話していた。(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)