「スタバでMacをカタカタしていればいいわけじゃない」「若い人たちが惑わされているだけ」本当に“クリエイティブ”とは何かを考える
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 創造的、あるいは独創的なことを指す「クリエイティブ」という言葉。斬新なアイデアで、新しいものをゼロから創り上げた人や仕事をイメージする人も多いのではないか。クリエイティビティとは生まれつき備わったものであって、努力しても身につかないものなのだろうか。また、アート作品や漫画、テレビ番組、さらにオリンピックのエンブレムまで、類似を指摘されては“パクリだ”と炎上してしまうことも少なくない。

 5日の『ABEMA Prime』では、こうした疑問について議論した。

【映像】0→1を生むだけではない?パクリとの境界線は

■“クリエイティブになりたい”といっている人は大体、何もできないことが多い

「スタバでMacをカタカタしていればいいわけじゃない」「若い人たちが惑わされているだけ」本当に“クリエイティブ”とは何かを考える

 「ジャンルによっても変わると思うが、“クリエイティブ”という言葉に、僕らや最近の若い人たちが惑わされているだけだと思う。追い求める必要なんて全くない」と指摘するのは、お笑い芸人の小籔千豊だ。

 「もっと言うと、意味もわからないのに“褒め言葉”になっていると思う。メディアも分かっていないのにバンと取り上げるから、“やっぱりクリエイティブにならないといけない”という言葉の圧みたいなものを感じて、追いかけてしまう。でも、“俺、クリエイティブになりたい”といっている人は大体、何もできないことが多い。“こういうのがあったらいいな、でも無いな、じゃあ作ろう“と、必要に迫られて人がやっていないことをやった。それを見た周りの人が“新しい”と評価するという話であって、最初から“クリエイティブなことをやろう”と思ってそうなった人はほとんどいないと思う」。

 また、芸人としての経験から、「こいつメッチャ新しいし、オリジナリティあることばっかり言っているけど、あまり受けてないな。芸人の中では評価されているけど、世間からはあまり評価されてないな、っていう芸人もいれば、当たり障りないようなことばかり言っているだけだったり、どっかの誰かが言ってそうなことをパクったり、寄せ集めたりしただけみたいなやつだけど、世間からはすごく面白いと言われている芸人もいる。あるいはメチャメチャとんがってて、一部の芸人からは“あんなの、よく思いついたな、すげえな”と言われていても、先に行き過ぎて一般の方には受けない芸人もいる。でも、後にそれをパクって噛み砕いて客に渡したら褒められた、という芸人もいる。そういう意味でも、やっぱり“クリエイティブ”というのは世間からの褒め言葉でしかないと思うし、本当に新しいものはなかなか気付かれにくいのだと思う」と話した。

■お金をもらえるものなのか、そうでないのか、という違いだ

「スタバでMacをカタカタしていればいいわけじゃない」「若い人たちが惑わされているだけ」本当に“クリエイティブ”とは何かを考える

 「先人たちがアイデアを出し尽くしているから、もう残っていないと言ってしまうのは、ものを作ったり、考えたりする職業の人にとっては“敗北宣言“だ」と話すのは、クリエイティブ・ディレクターで東洋大学総合情報学部の藤本貴之教授だ。

 「重要なことは、ある日突然、神がかりのようになってゼロから生まれてくるとものだと思っている人が多すぎる。確かに、奇跡的に思い浮かぶことも確率論的にはありえる。しかし人は基本的にもともと知っていたものから類推して想像をする。だから“似てるじゃん、パクリじゃん”という話も、何かお前見たんだろ、という話だ。だから先人たちだって、果たして本当にゼロベースから新しいものを考えたかというと、必ずしもそうではない。例えば宮崎駿監督の作品にも原作があるが、そこからよくぞああいうアニメを作ったな、ということが素晴らしいわけだ。

 そもそもクリエイトの語源はラテン語の“クレオ”という言葉で、生んで育てるという意味だ。その意味では、全ての人は生活の中で何かを生み出しているわけで、そこにおしゃれとかダサいとかは無いはずなのに、スターバックスでコーヒーを飲みながらMacをカタカタ…みたいにことがクリエイティブな活動ということになっている。ただし、それがお金をもらえるものなのか、そうでないのか、という違いだ」。

■生き方として、人の真似をしたくないというのはあった

「スタバでMacをカタカタしていればいいわけじゃない」「若い人たちが惑わされているだけ」本当に“クリエイティブ”とは何かを考える

 ゲームクリエイターで株式会社コンパイル創業者の仁井谷正充さんも、先行する『テトリス』のヒットを見て、いわゆる“落ちゲー”を作るうち、あの大ヒット作『ぷよぷよ』に辿り着いたという。

 「当時、“落ちゲーの”変種として任天堂が『ドクターマリオ』を出していた。だからテトリスというよりも、ドクターマリオの直系だったのかな、という気がしている。ただし、似ているだけでなく、超えたということが大事だ。ドクターマリオの場合、ウイルスが邪魔で自由度が低くなってしまう。ただ、似ていると怒られたらいけないので、任天堂さんがオーケーと言われるかどうか、企画書を出してみたこともあった」。

「スタバでMacをカタカタしていればいいわけじゃない」「若い人たちが惑わされているだけ」本当に“クリエイティブ”とは何かを考える

 仁井谷さんも、“クリエイティブ”ということについて深く考えたことは無いという。

 「ただ、生き方として、人の真似をしたくないというのはあった。あるいは一歩違うこと、ちょっと違うこと、右だったら左にするとか、小さいものを大きくするとか、ちょっとしたアイデアを、常に考えていたと思う。それが結果的にクリエイティブになったという感じではないか」。

■“ここに種を蒔いていた人がいたのか”ということになると思う

「スタバでMacをカタカタしていればいいわけじゃない」「若い人たちが惑わされているだけ」本当に“クリエイティブ”とは何かを考える

 慶應義塾大学特任准教授でプロデューサーの若新雄純氏は「創造というのは一つの状態にすぎず、テトリス、ドクターマリオ、ぷよぷよ…と、それぞれのアイデアや発見が連鎖して、発展していく過程がクリエイティブということだと思う。だからその中のある瞬間の誰の言葉がクリエイティブだったとか、誰のデザインがクリエイティブだったというふうに切り取ってしまうことに無理がある」と話す。

 「大学の世界でも、過去の先行研究を調べ尽くした、というだけでもある意味で“新しい研究”になるくらいで、その中から“まだここはないかも”とか“これとこれの組み合わせはどうだろう”とやって発見することにどれだけ寄与できるかということになる。だから小籔さんがおっしゃったように、評価されるのはたまたまあるタイミングで最後の代表者になった人で、途中の人は正当に評価されないということがあったとしても、それは見えないところで繋がっていて、“ここに種を蒔いていた人がいたのか”ということになると思う」。

■過去の人が考えたことに、何をプラスアルファするのか

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 ジャーナリストの佐々木俊尚氏は「音楽は、まさに過去の作品にインスパイアされ、コピーを繰り返すことで発展してきた。例えばクラシック音楽や黒人音楽、ジャズ、ブルース、ソウルがなかったら、現代のポップスはアリ得なかった。本を書くという作業も同じで、全て過去の知、過去の巨人の肩の上に乗るからこそ、遠くまで見通せる。その意味では、先人をいかに利用するか、ということにかかっているとも言える」と指摘。

 「僕が本を書く時も、“自分が発想した、すごい、神が舞い降りた、このアイデアを本にしよう”と思って調べてみると、だいたい過去の人が考えたことだ。じゃあそこに何をプラスアルファするのか。何百年、何十年も前の人が考えたことであれば、例えば今のテクノロジーや社会に当てはめるとどうなるのか、と考えてみる。

 現代アーティストの村上隆さんが、“現代アートというのは、どんな作品でも作れるが、売れるかどうかだ”“社会にとって価値があるかどうかというのは、欧米などの現代アートの文脈に乗っているかどうかが大事だ”というようなことを言っていた。現代の素晴らしいアニメ作品も、明治時代の人に見せて理解されたか。多分理解されない。その意味では、その時代、状況、国などに適合し、評価されて認められるということも、クリエイティブとされるかどうかにとって必要な要素だろう」。

 議論を受け、藤本氏は「強いてクリエイティブというものがあるとすれば、それは発掘能力、リサーチ能力と言えるのかもしれない。例えば100年前に考えられたアイデアだったが、当時の技術力ではできなかった。しかし今ならできるみたいな。インターネットに関しても、20世紀初頭に概念はあったが、当時はコンピュータがなかったから実現できなかった。それが60年代、70年代と試行錯誤を経て、今のインターネットがある」と話していた。(『ABEMA Prime』より)

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