「やっぱりもう一回、歌舞伎やりたい」脳出血に倒れ言葉を失った九代目中村福助と家族の8年
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 言葉を失った歌舞伎役者がいる。九代目中村福助さん(61)。

 人間国宝の七代目中村芝翫を父、六代目中村歌右衛門を大おじに持ち、女性の役を演じる「女形」の名門・成駒屋の中心的存在として、数々の大役を努めてきた。

 2013年9月には、翌年春に七代目中村歌右衛門を襲名することが発表された。「歌右衛門」は女形の名前の中でも特に重要な“大名跡”で、六代目も戦後の歌舞伎界を支えた名女形として知られた。

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 会見の場で「お話を伺った時、本当に夢だと思いました。本当に憧れであるし、目標である、その名前を襲名させていただくということについては、ただただ身の引きしまる思いです」と緊張した面持ちで語っていた福助さん。

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 しかしその2カ月後の11月、福助さんは歌舞伎座での出演を終え自宅に帰る途中に倒れてしまう。医師の診断は「脳出血」で、症状は急速に悪化していた。

■「生きるか死ぬか、よくて車いすだと思っていただきたい」

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 当日の状況について、福助さんの息子で、同じく歌舞伎役者の中村児太郎さんは「“今のお父様の状況から言いますと、単刀直入に言うと“生きるか死ぬか、よくて車いすだと思っていただきたい”、と言われました」と明かす。
 
 「来られた時にはお話もできるくらいの状態だった。ただ、右手足がかなり動きが悪いということで頭の写真を撮ったところ脳出血がかなり増大しているということで、緊急に手術をして脳の中に溜まった血液を取り、さらに出血しているところを止める必要があった」(東邦大学医療センター大橋病院脳神経外科の齋藤紀彦准教授)。
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 手術は成功、福助さんは一命をとりとめたものの、「運動神経の通り道になっている部分の運動神経が出血で壊されたことで、運動麻痺の症状が出てきていた。いわゆる言葉の中枢のところにも症状が広がってきているので、いわゆる“失語症”という後遺症も残った」(齋藤准教授)。

 福助さんは出演中だった舞台を休演し、「歌右衛門」襲名も延期を余儀なくされた。

■右半身に重い麻痺、言葉を発する脳の機能にもダメージ

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 「道具を使いながら、手は物を握って伸ばして離すというのを思い出していただくっていうような。そうそう、いいですよ。はい指伸ばす!指伸ばして、落とす!」。手術から8カ月後、福助さんの姿は転院先の慈恵大学病院にあった。右半身の重い麻痺が残り、普通の生活もままならない中、スタッフの指導のもとリハビリに励む。

 「どうしようかな、歩けるかな、というのが一番ですね。手も動くかな、歩けるかな、それにましても言葉。うーん、つらいなあと。」(慈恵大学病院リハビリテーション医学講座の安保雅博主任教授)。

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 出血によって言葉を発する脳の機能がダメージを受けてしまったため、聞いた言葉については理解できても、うまく返すことが難しいのだ。「暑いときにダラダラ出る」との質問にも「あーさ…」、「波」という漢字を読もうとしても「なーみ…」と話すのが精一杯。

 「イライラしちゃいけない、って思うんですけど、イライラしちゃうんですよね。分かってあげたい、分からなければいけないんだけども…分かってあげられない自分に罪悪感と、ダメだ!というイライラと…まあ、すごかったですね」(児太郎さん)。

■「とにかく、もう一回、もう一回、歌舞伎やりたい」

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 リハビリの効果を高めるため、安保教授が試みたのが、頭の外側から磁気で脳を刺激を加える「反復性経頭蓋磁気刺激療法」だ。「やられたほうの脳の機能を高め、脳をいい状態にしてあげて訓練をすると、生かされてくる」(安保教授)。

 こうした医師たちの努力を後押ししたのは、妻・香璃さんの強い思いだったという。「最初から、“この人はしゃべれます。この人は歩けます。先生お願いします”と。思いがすごく強くて。そういう思いってのは、旦那さまも感じるんですよね」(同)。

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 思うように気持ちが伝えられない中、福助さんがはっきりと口にしたのは、「とにかく、もう一回、もう一回、歌舞伎やりたい」との言葉だった。児太郎さんは「落ち込んで、やめたいって言いながらも、最終的には舞台に出たいっていう思いが本人の中にちゃんとあった」。

 「最初の時点では100%に近く不可能だろうと。でも信じてます」と安保教授。再び舞台に立つ奇跡を目指し、福助さんはリハビリに挑み続けた。

■「また新しい俳優としての人生が始まります」

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 手術から2年4カ月後の2016年3月。福助さんは香璃さんと杖をつきながら歩けるまでになっていた。「はがき」「ドアを開ける」「テレビを見る」など、簡単な言葉であれば話もできるようになっていた。「音がやっぱりピタッとしたのがすごく増えたなと思いますね。あいまいなというのがあんまりなくなりました」とリハビリスタッフ。

 茨城県つくば市の「CYBERDYNE STUDIO」では、器具を装着した上での歩行訓練も始まった。

 訓練中、歌舞伎の一節を歌うように口ずさむ福助さん。「福助さんは聞いた言葉を音楽のように理解されてると思うんですよね。今、喋るときはちょっとたどたどしいですけど、いざ舞台に立って言葉をしゃべると、すーっと出てくると思う」(安保教授)。

 福助さんの脳では損傷した言語中枢の周辺の部位が言語機能を担っているが、それが右脳の抑揚を司る部位と結びつくことでセリフがスムーズに流れるのではないかと考えられているのだ。

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 2018年夏には復帰も決まった。人気演目の『金閣寺』で、囚われの身となっている「慶寿院尼」の役を演じることが決まった。

 「さらば、ひさよし~」「さらば、ひさよし~」。セリフを反復する。顔合わせ冒頭、「本当にうれしいことがございまして、中村福助さんが5年の間リハビリを懸命に頑張ってこられて、今日を迎えられました。また新しい俳優としての人生が始まります」との紹介に拍手が起きると、福助さんは頭を下げた。

■「今日の一歩はとっても大きな一歩」

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 手術から4年10カ月後の2018年9月2日、ついに『金閣寺』が幕を開けた。児太郎さんの見事な雪姫の演技に、客席からは「成駒屋!」の掛け声が。福助さんの出番もやってきた。割れんばかりの大拍手とともに、再び「成駒屋!」の声。

 舞台後、「完璧でしたよ、嬉しかった」と福助さんに握手を求めた安保教授。「言葉を間違えずに喋ったのには本当に驚いちゃった。奥さんが“じゃ、もっと完璧にしましょう”って言われたので、“はいわかりました”みたいな(笑)」と顔をほころばせる。

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 香璃さんも「今日の一歩はとっても大きな一歩だと思う。階段をいっぺんに十段ぐらい上がれた。こうなったら次はこのくらい踊れるようになるかな、とかそっちに頭が行って。過去は振り返らない」と前を向く。

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 児太郎さんは「よかった、っていう気持ちと、これがゴールではない、やっとスタートラインに立ったんだ、っていう思いが。奇跡だったんだなと思う反面、これから歌右衛門になっていくために、どういうプロセスを歩まなければならないのかな…って思う」とも話した。

■「もう死んじゃう死んじゃう」

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 復帰から2カ月後、懸命なリハビリを続けていた福助さん。コミュニケーションの問題は簡単に改善できるものではない。「なるべく喋る機会を多くする。周りの機会を得ながら話す場を多く持ってあげるということで日常会話はもっともっと良くなる」と安保教授。

 そして2020年、新型コロナウイルスは歌舞伎の公演にも大きな影響を与えた。出演がままならない中でも、福助さんの舞台への思いは変わらない。児太郎さんら若手俳優が中心となり京都・南座で行われる舞台『妹背山婦女庭訓』の稽古を見て、児太郎さんにもアドバイスをしていく。

 「何が大事かっていうと、やる気なんですよ。福助さんの場合、息子さんにもいろんなものを伝えていかないといけない。だから、やる気の塊だと思う。僕はそういう人と出会えて本当に嬉しい」(安保教授)。

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 夏を迎え、リモートで言語聴覚士とセリフの練習をする福助さん。1年8カ月ぶりの歌舞伎座出演は『お江戸みやげ』。墓参りの帰りに茶店で休んでいる場面で、セリフの量も多い。「是非、大きな声で身振りつけて練習なさってください」とアドバイスする言語聴覚士に、不安そうな福助さん。「大丈夫です、お上手になってますから!」。

 弟子との稽古でも、「ほんと(不安で)、もう死んじゃう死んじゃう」とセリフがうまく言えない苦悩を覗かせる。弟子に「完璧です」と言われ、目途が立ったことへの安堵の表情を見せた。3年前の復帰以来、最も長い距離を歩く場面もある。これについても「バッチリバッチリ」と児太郎さんが太鼓判を押す。

■「やっぱり、楽しいです」

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 手術から7年10カ月後の今年9月2日、再び舞台に立つ日がやってきた。「父さまと叔父さまのお参りに」から始まる長いセリフも淀みがない。万雷の拍手に見送られながら舞台袖にはけた。

 「父の襲名に対する熱量が上がってきている状況で、今までで一番楽しそう、面白そう。病気になる前の父って、こういう雰囲気で芝居してたな、こういう風に喋っていたな、っていう風になってきましたね」と児太郎さん。

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 慣れ親しんだ歌舞伎座を見上げた福助さん。「やっぱり、楽しいです」と、歌右衛門襲名へ向け意欲を見せた。(テレビ朝日制作 テレメンタリー『言葉を失った歌舞伎役者』より)

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