その輝かしい才能を目の当たりにし、人生に大きく関わる師匠となるべきか否か。今から13年ほど前に森下卓九段(55)は当時、小学5年生だった増田康宏六段(24)を弟子に取った。棋譜を見た瞬間に「この子だったらプロになれる。これほど強いのかという衝撃もありました」というほどで、それゆえに弟子入りを願う増田少年との初対面の時には「自分なんかでいいのか」と確認したほど。その理由には、同じ将棋クラブで育った将棋界のレジェンド・羽生善治九段(51)の存在もあった。
森下九段と増田六段は、開催中の「第1回ABEMA師弟トーナメント」に出場する。ABEMAのオリジナル大会では恒例となっているチーム動画の収録は、増田六段の自宅での「家飲み」。酒も少し進んだところで、2人の出会いについての話題となった。
増田六段は少年時代を八王子将棋クラブで過ごしている。2018年で営業を終了、42年の歴史に幕を閉じたが羽生九段、増田六段のほかにも、数多くの棋士が腕を磨いた“伝説の将棋クラブ”だ。そこの席主から紹介を受け、弟子に取るか考えた森下九段だったが「(席主の)八木下さんが、棋士を目指したらどうかと言ったのが羽生さんと増田君しかいないと聞いていた。ならば羽生さんの弟子になるべきではないかと。それまで私も弟子は3人取っていて、奨励会は大変だなとつくづく思っていたから、もう弟子は3人でやめておこうと思っていたんです」。同じ場所から見つかった才能ならば、羽生九段に弟子入りするのがいい。その思いは今でも残っているが、結果として増田六段は森下九段に弟子入りし、羽生九段は誰も弟子を取っていない。これを聞いた増田六段は「いやいや。自宅まで来て指導もしていただきました。なかなかそんなことをする先生はいないです。僕も先生じゃなかったら、プロになれていたかも怪しいです」と感謝した。
まばゆいばかりの才能を曇らせることなく、より輝かせるというのも、預かる立場としては実に重いものがある。増田六段が中学生のころ、伸び悩みの時期があった。森下九段も、いろいろと悩みながら将棋の道を進んできた。「悩みはきついんですよ。恋愛でも人間関係でも、それが将棋に出てしまう。(増田六段は)幼少期のころから強かったから、その分、自分と違って悩むところがあるだろうと思った。中学生の時に悪戦苦闘していたけど、私もなんて言っていいのかわからなかった。羽生さんなら自分も天才だから(何か)言えたと思うけど。だから私は『将棋に打ち込まないとダメだ!』ということしか言えなかった」。悩んでいることはわかる。ただし、その悩みの原因、理由について、的確にアドバイスができるかどうか。平成の天才・羽生九段であれば、よりよい言葉がかけられるのではないか。そんな思いがずっとあった。「もがき苦しみながらも、よく四段になってくれました。自分も早熟の天才だったら気持ちがわかったんだろうけど、いろいろきついことを言ってしまって申し訳なかった」と、叱咤するしかなかったことを増田六段に詫びていた。
現在、増田六段は竜王戦2組、順位戦B級2組と確実に階段を上がり、プロデビュー以来、高い勝率をキープ。いずれはタイトル戦線に名を連ねると言われるホープになっている。今以上の成績を残し、何か大きな達成感がある成果を得られたなら、森下九段・増田六段の師弟にも、今以上に晴れやかな気持ちが訪れる。
◆第1回ABEMA師弟トーナメント 日本将棋連盟会長・佐藤康光九段の着想から生まれた大会。8組の師弟が予選でA、Bの2リーグに分かれてトーナメントを実施。2勝すれば勝ち抜け、2敗すれば敗退の変則で、2連勝なら1位通過、2勝1敗が2位通過となり、本戦トーナメントに進出する。対局は持ち時間5分、1手指すごとに5秒加算のフィッシャールールで、チームの対戦は予選、本戦通じて全て3本先取の5本勝負で行われる。第4局までは、どちらか一方の棋士が3局目を指すことはできない。
(ABEMA/将棋チャンネルより)