「ナスD大冒険TV」で放送中の「無人島サバイバル 完全攻略マニュアル」で、ナスDから実際に起きた“最も過酷な生存への試練の物語”が語られた。
【動画】究極の飢餓状態になった時の衝撃実話(2分30秒頃〜)
同企画では、これまでの無人島チャレンジ企画の中で披露できていなかった、サバイバル知識が紹介される。そのために、わざわざナスDは、およそ4年ぶりにもう一度同じ無人島を訪れた。何かあった時に生き抜くための知恵の数々が紹介され、そのVTRをバイきんぐ(小峠英二、西村瑞樹)の2人が見守る。
サバイバルする上で必要となってくるのは食料の調達だ。ナスDもこの無人島に降り立ってから素潜り漁をこなすなど、自ら生きる上で必要な作業を行なっている。
ならば究極の飢餓状態になったら人間はどうなるのかーー。ナスDの口から過去に実際に起きた最も過酷な生存への試練の物語が語られた。
「1972年にウルグアイのラグビーチームがチャーターした飛行機(ウルグアイ空軍機571便 ステラ・マリス学園ラグビーチーム搭乗)が厳冬のアンデス山脈に墜落しました(1972年10月13日アンデス山脈 標高4200メートル地点に墜落)。乗員乗客45名のうち、生きていたのは32人。少ない食料で耐え凌ぐも食料が尽き、飢餓状態になりました」。
そこから極限状態となったラグビーチームは究極の道を選択することに。
「死んだ人の人肉を食べることにしたのです。食べているのはチームメイトの親友や友達たち…脳や心臓、肝臓などの臓器を食べるほどの飢餓状態だったそうです」。
その後、ラジオで捜査活動が打ち切られた事を知ったラグビーチーム。
「そこで体力のある3人が救助を求め厳冬のアンデス山脈を下山します。9日後に奇跡的に発見され、ほかの仲間16人も無事に生還できたのです。これが最も過酷な生存への試練の物語と言われております」。
この話は1993年に「ALIVE 生きてこそ」というタイトルで映画化もされているとのこと。スタジオのバイきんぐ西村は鑑賞済だそう。ちなみにゲストの井上咲楽はこのエピソードに驚きを隠せない様子だった。
(ABEMA「ナスD大冒険TV」より)