あの時、勇気を持って自分のことを晒していたら…加藤智大死刑囚の“元同僚”がアパートを追い出されても続ける「悩み相談」
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 2008年6月8日、休日で賑わう歩行者天国に加藤智大死刑囚(当時25)が運転するトラックが突っ込み、ナイフで次々と通行人を襲撃される「秋葉原通り魔事件」が発生した。
 
 7人が死亡、10人が重軽傷を負った凶行。9日の『ABEMA Prime』では、加藤死刑囚の元同僚で、事件前の様子をTwitterで発信してきた大友秀逸さんと、発生当初から取材を続けてきたフリーライターの渋井哲也さんに話を聞いた。

【映像】あれから14年…加藤死刑囚の元同僚が生出演

■「抱えているものを隠そうとする加藤君の気持ちが分かった」

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 大友さんが事件の発生を知ったのは、目覚めてテレビをつけた時だったという。「最初に見たのが、“これ加藤じゃないか?”という映像だった。それは今でも頭に焼き付いているし、時間が経った感覚はない。昨日、今日のことのようだ」。

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 加藤死刑囚とは、職場で先輩・後輩の関係にあった。「僕が先に入って、当時20歳ぐらいの彼が後から入ってきた。指示をすると、“こっちの方が良くないですか”と逆提案してきて、珍しいタイプだと思った。中には“どうせ同じ額もらえるんだから、サボって稼ごうよ”という人もいる中で、前向きな人だった。

 ただ、“沸点が低い”というか、感情のコントロールが上手くいかないというか、電話応対でキレて受話器を壊したり、高齢の警備員さん相手に感情的になってアスファルトに押し倒しちゃったりとか。瞬間的に爆発して止まらなくなっちゃうというところもった」。

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 同僚だった2年間について、「生まれが同じ青森で、アニメやゲーム、車とか、共通の趣味も多かった加藤くんとの仲は良かった。仕事が終わった後、ラーメン屋で愚痴を言い合ったりした」と振り返る大友さん。気がかりだったのは家族との関係だったと明かす。

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 「自然な流れで両親の話になった時、露骨に嫌な感じを出していた。その半年前に自殺未遂をしたことを恥ずかしく思っていたこともあって、抱えているものを隠そうとする加藤君の気持ちが分かった。だからそれ以上は触れなかった。

 今にして思えば、勇気を持って“親父にぶん殴られていたんだよ”とか“六畳一間では逃げられないんだよ”と、今なら話せることをあの時にも晒していれば、自分が母親から受けた仕打ちについても打ち明けてくれたかもしれない。難しいことだが、一歩勇気を持って“兆し”のある人に踏み込むことが、事件の芽を摘めるのではないかと思っている」。

■「警備員だから、気の利いたことは言えないよ」

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 そんな思いから、実名で情報発信することを思い立った大友さん。しかし勤務先では異動を命じられ、NHKのドキュメンタリー『事件の涙』に出演した際にはアパートの賃貸契約の解除を通告されたこともあった。

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 「きっかけは、加藤君と同姓同名の方がネットで叩かれているのを見たことだ。否定をすればするほど“嘘を付くな”と炎上してしまっていた。同級生や元同僚なんて何百にもいるはずなのに、誰も出てこなかった。加藤君を知っている自分としては事実無根だということを訴えたくて、おじが勤務していたことのある日本テレビで証言をした。ただ、勤務先に言われたこともあって匿名・モザイクで出演したものの、“これでは伝わらない”と感じた。

 そうしているうちに、被害者の方のイベントに参加させていただく機会があった。“僕みたいな人間が喋っていいんですかね”と伺うと、“どんどん喋ってよ”と言われた。じゃあ実名でやろうと思った。ただ、会社からは“辞めないのなら違う現場に職場に行ってください”と言われ、給与も下がってしまった。アパートの大家さんからも、“費用は出すから出ませんか”と言われてしまった」。

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 それでもメディアや取材を受けることをやめなかった大友さん。次第に相談が寄せられるようになっていった。

 「自分で呼びかけたことは一度もないが、“私も母親からの虐待を受けていた”とか、“境遇が加藤智大にそっくりで、もしかしたら自分も事件を起こしてしまってしまうかもしれない”と、真剣に言ってくる人が現れるようになった。僕は警備員であって専門家ではない、だから気の利いたことは言えないよ、やれる範囲でしかやれないよ、という話をするようにしている。人にもよるが、突き放しはしない、でも近づきすぎないぐらいの距離感がいいのかもしれない。

 つい最近もメールで150ページ分ぐらいの文章を下さった方がいた。率直に感情を述べて、引用されていた本について“僕も読んだことあるよ”というようなことしか言えなかった。それでも“聞いてもらっただけでありがとう”と言われる。さすがに応じられないくらいの長電話もある。でも、“大友は受け入れてくれるんじゃないのか。相談するのをやめたわ”と言っていても、2、3カ月が経つと“大友さん、お元気ですか”くらいの感覚で戻ってくる人もいる」。

■背景に“ネット”と“居場所”の問題が?

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 調べに対し、「秋葉原には人を殺すためにきた。誰でもよかった」と供述したとされる加藤死刑囚。事件当日、携帯の掲示板サイトには、本人のものとみられる「秋葉原で人を殺します。車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います」という“犯行予告”が投稿されていたことも報じられた。

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 公判で加藤死刑囚は「書き込むことで誰かが通報してくれるかもしれないと思った。誰かに止めてほしかった」と話し、容姿や仕事、親との関係に悩む投稿があったことも踏まえ、メディアは事件の背景に雇用問題、親子、孤独、ネット社会があるとの見方を示していた。

 事件の背景にある“ネット”と“居場所”の問題に注目してきた渋井さんは「判決内容と彼の証言とは一致しているし、だからこそ彼自身死刑を受け入れるような行動を取っているのだと思う」と指摘する。一方で、加藤被告に何かを期待していた若者たちの姿も目にしたという。

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 「インターネットで知り合った人たちが集団自殺をする時期が相次いでいたので、事件当日も“ネット心中”遺族に話を聞いていた。取材を終えた後で現場にも行ったが、加藤死刑囚をある意味で擁護するというか、“ヒーロー”なんじゃないかという、ムードがすぐに湧き上がったという記憶だ。

 例えば主流だったSNSのmixiでは、加藤死刑囚や事件について語るコミュニティがいくつも立ち上がり、オフ会も開かれるようになっていった。公判が始まると、“ファン”という人たちが集まって、傍聴席に入れた人たちが入れなかった人たちに情報を共有していた。中には四国や東北から来ているという人たちもいた。

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 要するに、それまで語られていた“派遣切り”だとか“弱者から強者への反撃”といった語られ方に対して、彼が何を喋るのかに注目していたわけだ。しかし、法廷で“実はインターネット上のトラブルだった”などの証言が出てくるようになると、“自分たちの思う加藤像”とは違っていたと、次第に興味を失って退いていった“ファン”も多かった」。

■「罪を犯す奴が悪い」が変化した事件だったと思う

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 1日に2000〜3000人からの相談が寄せられるというオンライン窓口を運営するNPO「あなたのいばしょ」の大空幸星理事長は「孤立や自己肯定感の問題というのは、他者との関わり合いの中で生まれてくるもの。つまり一人では孤立しないし、一人で自己肯定感が下がるということもないということだ。そして、僕は事件の背景に懲罰的な日本の自己責任論があったと思う。たとえば貧困についても“自業自得”と悩み、溜め込んでしまう。そして、それがバンと発散してしまう。秋葉原の事件というのは、そうした問題に社会的な要因があるんだということを堂々と議論できるきっかけになったと思う。

 その意味では、大友さんがやられていることは、まさに我々がやっていることとよく似ていると思う。誰かに話すことで社会的な信用を失ってしまうかもしれない、問題解決のためのアドバイスはもらえないかもしれない、でも、いざとなったら駆け込める場所があるという安心感だ。一方で、社会が大友さんにそういう役割を押し付けてしまっているといういびつな構造もある。

 また、相手が孤立しないよう、声を掛け続けるのはとても難しいし、あくまでも自分の生活、命が大事。無理して踏み込むと、かえって自分が傷ついてしまうことにもつながる。それが起きやすいのが同質性の高まるSNS上の空間だ。傷ついている人たちが集まるからこそ、まさに座間9遺体事件のようなことも起きてくる。自分の心を守りつつ、ということが大切だ」。

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 あれから14年。福田総理(当時)は「なんでこういうことが起こるのかということについて、よく背景を調べなければいけない」と述べ、事件後、刃物類の規制や雇用対策など、様々な改革を行ってきた日本社会。大友さんの言う“事件の芽”は、どれだけ摘まれているのだろうか。(『ABEMA Prime』より)

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