27日に日本武道館で執り行われた、安倍晋三元総理の国葬。岸田総理や昭恵夫人、皇族方や各国の要人など合わせて約4200人が参列し、一般向けに設置された献花台にも多くの人が詰めかけ、追悼ムードに包まれた。
そうした中、会場内で自然と拍手が沸き起こった瞬間がある。菅義偉前総理が「追悼の辞」を読み上げた後だ。「悔しくてなりません」「あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした」「あなたは真のリーダーでした」――。“友人代表”としての様々な思いが語られ、菅前総理自身も声を震わせる場面があった。
国葬から2日が経った29日、菅前総理が初めて単独インタビューに応じ、追悼の辞の執筆過程、盛り込まれたエピソードの裏話を明かした。
「安倍さんとある意味で最後の別れ、直接お話しできる機会だと思ったので、今までのいろいろな感謝の気持ちを込めてご挨拶しようという思いだった」
壇上での心境をこう振り返る菅前総理。葬儀・告別式の後、昭恵夫人から「友人代表の機会があったら菅さんにぜひお願いしたい」と依頼を受けたそうで、「提案があったので、『大変だ』と思って一生懸命資料集めから。一気にではなくまず全体像を入れていくというか、“何をして、何をして…”という構想からした。それと、私自身が今まで発言したものを集めていき、(完成形になったのは)意外に早かった」という。
安倍政権で長らく官房長官を務めたことを振り返りながら、<あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした>と感謝を伝える直前には声を震わせる場面もあった。「ほぼ毎日一緒だったので。安倍内閣の政策に対しての賛否がありながら、8年続いてきたことは事実なので、大きな喪失感を持つのは当然のことだと思う」。
<衆議院第一議員会館、1212号室のあなたの机には、読みかけの本が1冊ありました。岡義武著『山県有明』です。ここまで読んだ、という最後のページは、端を折ってありました。そして、そのぺージにはマーカーペンで線を引いたところがありました>
安倍元総理の生前の姿を思わせるこのエピソードも反響を呼んだが、「議員会館の様子を見させていただいて、“こういう風に置いていましたよ”と。たまたま端の部分を折って、そこにマーカーを引いていた。選挙の時だかに、『この本を勧めてくれる人がいて読んでいるんだ』ということは聞いていた」と明かす。
菅前総理は自身の思いを重ね、印がつけられた箇所にあった<かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ>という歌を紹介した。なぜ「私が遺志を継いで、こうしていきます」という決意表明をしなかったのか? その問いには「式典の中で時間が限られているので、最後に言っておきたいこと、訴えたいことを使った。今までどうしても安倍さんに頼っていた部分が、私たち自民党、日本にあったと思う。時間が全くない中で、そういう(遺志を継ぐ)覚悟はなかなかできるものではない」と答えた。(ABEMA NEWS)