総合格闘家の青木真也が10月1日、元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんの訃報に、涙ながらに思いを語った。同日、開催中のONE ChampionshipでABEMAの解説を務めていた青木は、放送中に訃報を知ると「マジか…解説どころじゃなくなっちゃいますね」と絶句。「僕は『猪木』で作られているので」と切り出すと、尊敬するレジェンドレスラーへの思いを振り返った。
総合格闘家である青木だが、2014年のプロレスデビューは、猪木さんの団体IGFでのもの。「猪木会長の団体で、誕生日の大会。ケンドー・カシン戦でデビューさせていただいた。強さ、戦いをプロレスの中でも出していくのを、自分の思想信念、主義主張の中で大事にしていたんです」と当時のことを思い返した。また「今、格闘技の中で強さ、戦いがない中で、アントニオ猪木が求める強さ、戦いを、格闘界、マット界に残していきたい。もうちょっと見ていただきたかったし、教えていただきたかったことが多いです」と続けた。
プロレスラー、格闘家の前で「アントニオ猪木」は体調を崩した後でもファイターだったというエピソードも紹介した。「2年ぐらい前に都内のお蕎麦屋さんで、猪木会長にお会いして『俺にチョークかけてみろ』って言ってくれたんです。あれだけ顔が大きいから極まるわけもなくて。猪木会長のはフェイスロックなんですが、それを教えてもらった思い出があります。僕らファイターレスラーの前だと、会長は(体調が悪くても)歩きましたからね。車いすを乗られているのも薄々感づいているんですが『じゃあな』って自分の足で歩いていかれた。そのあたりも、アントニオ猪木としてのこだわり、レスラーとしてのこだわりを持っておられた」と、弱った姿は見せなかったという。
最近では、一時よりも体調が戻っているという報道もあった中、突然飛び込んだ訃報について改めて青木は「これからだと思っていたので、本当に言葉じゃないというか。解説の時に訃報を聞いて『どんなことがあっても笑いながら歩いていこうぜ』というアントニオ猪木の言葉ですが、今目の前の仕事を一生懸命やらないといけないなと思いました。僕の場合は猪木会長に教わった人たちに教えていただいた人間ですが、日本の格闘技、強さと戦い、ストロングスタイルを作った人だし、今はストロングスタイルが格闘技界でやっているのは僕だけ。ストリングスタイル、強さ、戦いみたいなものを残していかないといけないと思っています」と、時折涙ぐみながらも、猪木さんの意志を継ぐ決意を示していた