ナイツ、もうテレビに出られないと言われた過去を告白「終わったなと」
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 『しくじり先生 俺みたいになるな!!』に、芸人のナイツ(塙宣之、土屋伸之)がしくじり先生として登場。「漫才協会のしくじり」をテーマに授業を行った。

【動画】ナイツ、「終わったな」と言われた理由

 番組には、オードリー若林正恭平成ノブシコブシ吉村崇ハライチ澤部佑アルコ&ピース平子祐希、酒井健太)、新内眞衣伊集院光らが出演。

 ナイツが所属し、役員を務める「漫才協会」は、漫才を中心とする演芸の普及向上が目的の組合だ。かつては「漫才協会に入ることが演芸番組出演のきっかけ」と言われるほど勢いのある団体だった。

 しかし、ナイツが入った頃の漫才協会は、テレビへの出演が少なくなったベテラン漫才師たちが集うイメージが強い団体になっていた。そのため、入会を知った周囲からは「ナイツ終わったな。もうテレビに出られないな」と言われたという。

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 もともとナイツは、結成当初からテレビ向けの路線を目指すつもりだった。しかし、芸歴1年目の時、所属するマセキ芸能社の社長から呼び出され「ナイツには漫才協会に入ってもらう」と辞令が下されたという。

 同じ事務所の芸人らも社長から漫才協会を勧められていたが、「テレビ路線で行きたい」という本人たちの意向に、社長は折れていた。しかし、なぜかナイツだけは「絶対ダメ」と折れなかったというのだ。

 その理由として、ナイツは「土屋の母親が演歌歌手・津島明希としてマセキに所属していたことが原因なのではないか」といい、「思い入れが強かった。浅草で売れさせたいみたいな」と推測した。

 こうして漫才協会入りしたナイツは、昼は漫才協会の舞台、夜は事務所の若手ライブと忙しい日々を送った。客層が大きく違うことから、漫才のテンポなどで悩むこともあったという。

 一方、漫才協会の幹部達は、かつての浅草の勢いを取り戻すため、新たなお笑いスターを生み出そうと日々試行錯誤していた。しかし、『M-1グランプリ』『はねるのトびら』などの流行番組に影響を受けて企画してみるも、どれも不発に終わったという。

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 そして2007年、「塙が史上最年少で漫才協会理事になったら盛り上がるだろう」という幹部の思いつきで、塙は漫才協会の理事に抜擢された。塙は「流行の影響を受けずに、本業で結果を出していくしかない」と本気で漫才に向き合い、その結果、2008年にNHK新人演芸大賞受賞、そしてM-1グランプリ2008で決勝進出という快挙を成し遂げたのだった。

 ナイツの軌跡に、伊集院は「テレビなんか出たくないのに『出てやってもいいぞ』でウケてると思ってた」と言うと、塙は「出たくてしょうがない。テレビ出てる人の方が100倍面白いんですよ」とボケて、笑いを誘った。

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