2007年9月27日、激しい反政府デモが続くヤンゴンで、1人の日本人ジャーナリストが銃弾に倒れた。長井健司さん(当時50歳)だ。
「いきなりニュースのタイトルが出た瞬間、兄の横たわったカメラの写真ですかね。それが画面いっぱいに映って。私は、当然あの人(後ろにいた兵士)が至近距離から銃撃したのだろうと思っていました」(長井さんの妹・小川典子さん)
カメラは、すぐ後ろにいた兵士の銃から上がる煙をとらえていた。しかし、ミャンマー政府は「遠距離からの流れ弾」という主張を崩していない。
2007年、当時軍事政権だったミャンマーでは、人権を無視した政府のやり方に民主運動家や僧侶らが激しく抗議する「サフラン革命」が起きていた。これに対し軍は、民衆の声を力で封じた。
同年9月27日、ヤンゴン中心部に集結したデモ隊に対し、軍が無差別に発砲。取材していた長井さんも命を落とした。撃たれたその瞬間を、地元メディア「民主ビルマの声」のカメラマンが撮影していた。映像は全世界に流れ、またたく間に非難の声が高まった。
事件直後からミャンマー政府は「離れた場所から撃った流れ弾が当たった事故だ」と繰り返し主張した。日本の警視庁は、中野警察署に捜査本部を設置、映像の鑑定や遺体の解剖を行い、「至近距離からの銃撃だった」と結論付けた。
小川さんたちは、外務省を通じて「近くにいた兵士が意図的に銃撃した」という結論を受け入れるよう何度も求めた。しかし、ミャンマー政府は責任を認めず「遠くからの流れ弾による事故」という主張を変えていない。
小川さん「兄の命をいい加減に扱われ続けて、人権がものすごく踏みにじられたまま、時間が通り過ぎ去ってそのまま封じ込められていけば、都合がいいんじゃないか」
15年ものあいだ、両政府の主張が平行線をたどり続けるなか、遺族の「真相を知りたい」という強い思いが、ある1人の医師を動かした。日本に戻ってきた長井さんの遺体の解剖を手掛けた、佐藤喜宣杏林大名誉教授だ。
「警視庁の検視官室のところを通して、私のところに依頼がありました。最初拝見して検案をした段階ではとても近づけないくらい(防腐用の)ホルマリン臭がして大変な状態でした」(杏林大学・佐藤喜宣名誉教授)
佐藤教授は、長井さんの銃弾による傷である「銃創(じゅうそう)」に注目した。医学が導いたのは、ミャンマー政府の主張とは真っ向から食い違う結論だった。
佐藤教授「1メートル内外のライフル弾による水平弾、ほぼ水平射撃ですね。銃創は1か所。左背面から右前面へ向けて一撃でした。腰のあたりに銃器をもって発射しないとできない傷です。焼暈(しょううん)と言いまして、(銃弾が体に入った)射入口に熱せられたガスの火薬を含んだ部分が当たっています。至近距離で撃つと、体に入る前に、まず弾よりもガスが先に来るんです」
記者がミャンマー当局から入手した事件直後の長井さんの傷口の写真には、確かに黒い火薬の痕のようなものが見える。
佐藤教授「融解といって、射入口の直下の脂肪組織は溶けていました。まさに、これはガスが先行して当たったとことを示しているんです」
離れた場所からの銃撃では、こうした傷にはならないと断言する佐藤教授。さらに、“新たな事実”が判明する。佐藤教授は警察庁と協力し、長井さんを死に至らしめたライフルまでほぼ特定させた。
佐藤教授「当時のミャンマー軍が持っていたライフルは旧ソ連製で、3種類くらいに絞られてくる。弾丸の大きさ、射入口をみることによって、一つの銃器がだいたい推定できました」
映像などから、長井さんの背後にいた兵士が持っていた銃と矛盾はない。すべてが、“至近距離からの発砲”を指し示していた。しかし、事実を突きつけても、ミャンマー側は「流れ弾だ」という主張を変えない。
記者は当時、外務省から説明された日本政府とミャンマー政府とのやり取りのメモを遺族を通じて入手した。
【やり取りの一部】
- ミャンマー側「日本で放送されているビデオはトラップである(合成である)。傷口の様子から至近距離から発射されたものではない」
- 日本側「ビデオの映像、司法解剖から至近距離からの発砲は間違いない」
- ミャンマー側「事情聴取から、30〜40ヤード(27〜36メートル)で撃ったものである」
- 日本側「主張を裏付けるビデオはあるか」
- ミャンマー側「ない。状況から判断した」
当初、長井さんの遺体は、ミャンマーで解剖されていた。背中から腹に至る銃弾の傷については正確に記されていたが、佐藤教授の指摘する「焼暈」についての記載はなく、どのような銃撃だったか、分からないままになっている。
ミャンマーでは、命日の毎年9月27日になると、長井さんを追悼する催しが開かれていた。しかし、おととしからは国軍によるクーデターによって中止に追い込まれている。
小川さん「真実に向けて正面から受け止めて認めて真実を明らかにする姿勢を(ミャンマー政府に)いつかとっていただきたい」
長井さんが最後まで握りしめていたビデオカメラについて、ミャンマー政府は「行方不明」という理由で、いまも返却を拒んでいる。(ABEMA NEWS)