26日深夜、『カンニング竹山の土曜The NIGHT』(ABEMA)が放送され、脱北者が脱北を成し遂げるまでの道のりを語った。
この日は日本でYouTuberとして活動する脱北者のキム・ヨセフさんをゲストに招き、外からは見ることのできない北朝鮮での暮らしや脱北の経緯などについて話を聞いた。
2回の脱北で北朝鮮から離れることができたというキムさん。1回目の脱北は18歳のころで、脱北をあっせんするブローカーがキムさんに接触のがきっかけだという。行方不明で亡くなったものと思っていた父親は実はすでに脱北しており「息子を自分のもとに連れてきたい」と、ブローカーに依頼したそうだ。
脱北は「北朝鮮にとって反逆罪のようなもの」と考えていたキムさんだったが、いまの現実から逃げたいという思いもあって脱北を慣行することに。中国との国境付近まで移動したが、ブローカーたちの仲間割れから密告され、秘密警察に連行されてしまう。
留置所で約1か月半すごしたというキムさん。冬はマイナス20度になるが暖房などはまったくなく、男女別に分けられた10畳ほどの大部屋に入れられたそう。収容者たちは人間扱いされることはなく、キムさんも暴力を伴う尋問をおよそ3日間、何時間にもわたって強いられた。しかし拷問に耐えて「何も知らない」と言い張るとその後釈放。最終的に帰るまでに3か月を要したという。
キムさんはあきらめきれずに2回目の脱北をすることに。中国で高値がつくカエルを売るなどして資金を貯め、次に捕まったら死刑か収容所に入れられると考えたキムさんは、脱北失敗に備え自殺用の殺鼠剤も用意していたという。
今度は国境の川を渡ることで中国に移動することに成功。しかし中国でも拘束されれば北朝鮮に連行されてしまうため、父親が用意したルートで移動することに。広大な中国からベトナム、カンボジアへ行き、プノンペンの韓国大使館へとたどり着き、ようやく脱北成功となった。
大使館に入ったときの心境について、キムさんが「1回目のつらいときを思い出して『ここまで来れた』という安堵や、いろいろな気持ちがあった」と振り返ると、竹山は「計り知れないものがあるでしょうね……」とコメントした。