今季、日本代表MF原口元気はウニオン・ベルリンで苦しいスタートを迎えた。夏の移籍市場で加入した選手にポジションを奪われ、控えに降格してしまったのだ。リーグ戦の出場機会は減少し、カップ戦でのアピールもなかなか上手くいかない。そうした状況も影響したのか、11月に行われたFIFAワールドカップカタール 2022では、日本代表メンバーから落選した。
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このようにかなり苦しい前半戦を過ごした原口は、1月の移籍市場でシュトゥットガルトへ移籍した。首位争いをするチームから、残留争いのチームへの移籍には驚きの声もあったが、この決断は間違いではなかった。原口は加入後すぐさまレギュラーを掴み、早くもチームの中心になりつつある。
逆境に追い込まれても決して動じない不屈のメンタルを持ち、ブンデスリーガで長くプレーする原口のキャリアやプレースタイルについて迫っていく。
やんちゃなドリブラーとして頭角を表したJリーグ時代
原口は埼玉県で活動している江南南サッカー少年団でキャリアをスタートした。2003年には全日本少年サッカー大会で優勝。並行してプレーしていたフットサルでも同年に全国優勝を飾るなど、当時から抜きんでた才能を発揮していた。中学から浦和レッズの下部組織に加入すると、そこでも才能を認められ、飛び級でユースへの昇格を勝ち取っている。ユースでも才能は変わらず、2009年には浦和史上最年少でのプロ契約を締結した。
アカデミー屈指の有望株として期待された原口だが、その期待にしっかりと結果で応えていった。トップ昇格1年目にクラブ史上最年少ゴールを記録すると、3年目には完全にレギュラーに定着し、日本代表初招集も経験した。当時のプレースタイルは持ち前のスピードとフットサルで培ったテクニックを武器に、相手を抜き去るドリブラーだった。また監督や感情をぶつけたり、相手選手へのラフプレーで問題になるなど、精神面ではやんちゃな部分が目立っていた。
ブンデスリーガ移籍をきっかけにプレーの幅を広げ、ワールドカップにも出場
2014年夏のヘルタ・ベルリン移籍は原口のキャリアのターニングポイントとなった。原口は当時監督を務めていたハンガリー人パル・ダルダイから、守備能力の向上を求められたのだ。原口は要求に応えるため自身のプレーを見直し、フィジカルを強化。結果的に守備時の運動量は大幅に向上し、攻撃のみならず守備でもチームに貢献できる選手へと変貌を遂げた。またドイツ移籍を機にメンタルトレーニングを取り入れたことで精神面も大きく成長し、かつてのやんちゃな面は鳴りを潜めるようになった。その後ヘルタからデュッセルドルフに移籍し、ここでもチームの1部昇格に貢献している。
同時期に日本代表でも主力に定着し、アジア最終予選で4試合連続ゴールを記録。FIFAワールドカップロシア 2018では3試合に出場して1得点を記録し、ベスト16進出に貢献した。
中盤へのコンバートで新境地を切り開く
ロシアワールドカップを終えた原口はハノーファーに移籍した。これが原口のキャリアにおいて2度目のターニングポイントとなる。1年目はサイドでの起用が多かったが、2年目からはトップ下で多く起用されるようになったのだ。原口もそれに上手く適応し、ピッチの中央で高いテクニックと豊富な運動量を発揮し、攻守の要としての地位を確立した。2021年夏からプレーしたウニオン・ベルリンでもインサイドハーフで起用され、日本代表でも中盤のクローザーとしてプレーするようになる。
その後は冒頭でも触れたようにウニオンでの出場機会の減少や、FIFAワールドカップカタール 2022落選といった苦しい時期を経て、シュトゥットガルトでレギュラーとしてプレーしている。シュトゥットガルトは若手選手が非常に多い。原口は31歳ながらチーム最年長ということもあり、プレーだけでなく精神面でもチームを引っ張る働きが求められる。原口の活躍がシュトゥットガルトの運命を左右するかもしれない。
(ABEMA/ブンデスリーガ)