【震災12年の歩み】「ホッとする場所、女川のプライド」 再建された宮城・女川駅が象徴する復興の足跡
【映像】津波で流された駅舎と列車…女川駅の被災から再建まで
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 今月の11日で東日本大震災から12年目を迎える。福島・岩手・宮城3県の震災前の姿を航空写真で振り返るとともに、復興の歩みを『ABEMA Morning』は取材した。今回は、「宮城県女川町」。

【映像】津波で流された駅舎と列車…女川駅の被災から再建まで

 震災直後に撮影された宮城県・気仙沼市の航空写真だ。震災は人々の暮らしを一変させた。

 宮城県・女川町も津波で甚大な被害を受けた。現在、女川町ではある建物が復興のシンボルとして町民に愛されている。

 破壊された町。その中をまっすぐに伸びた線路と横転した列車。宮城県女川町、女川駅前の2011年5月の様子だ。港から200メートル離れた場所に位置していた駅は津波で跡形もなく流された。震災で、女川では827人が死亡。町は壊滅状態に陥った。

 女川町は、世界3大漁場と呼ばれる金華山沖を目の前にした港があり、カキやホタテ、銀ザケの養殖も盛んなことで知られていた。

 写真は、震災から8日後の3月19日に撮影された航空写真。住宅は流され地面はむき出しになり、山肌が見える。最大でおよそ15メートルの津波が町を襲い、港とともにあった町の日常を奪い去った。

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あの時は建物自体が何もなかった。状況を把握するのに時間がかかった。(状況が)ひどかったので」(女川で被災した阿部さん)

 震災後、女川町は防災対策を取りながら、これからも港とともに生きていくという方針を定め、復興を進めた。

 そして、町は時間とともに着実に復興していく。住宅地は高台に整備され、女川駅は2015年、もとにあった場所からさらに200メートル内陸側、9メートルかさ上げした土地に再建された。

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 ウミネコが羽ばたく姿をイメージしたという白い屋根が特徴的な駅舎。2階には温泉施設「女川温泉ゆぽっぽ」が併設されていて地元の人たちや観光客で賑わう。3階にある展望デッキからは新しい女川の街並みと港を見渡すことや、冬には海から昇る朝日を眺めることができる。

 実は2021年にも宮城県で震度5強を観測する地震があり、2階にある「ゆぽっぽ」が被災。
補修工事のため一時休業せざるを得なかったが、再開を待ち望む声に後押しされ、1年3カ月後には営業を再開。大勢の入浴客が訪れた。

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「復興の象徴、シンボルともいわれておりますし、ホッとする場所なんじゃないですかね。体も心も癒される場所。震災後初めて建てられた建物がまた地震で被災して。復興して途中にも被災して、再建して。女川のプライド。そういう場所だと思っています」(女川温泉ゆぽっぽ 吉田雅支配人)

 震災から立ち上がり、新たな街づくりが進む女川町。駅はそのシンボルとして、活気を取り戻していく街を見守り続ける。(「ABEMA Morning」より)
 

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