「病気だとスポーツはできないなんて誰が決めた?」アスリートと子どもを繋ぐ“架け橋”を取材
アスリートと交流する長期療養中の子どもたち
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 長い療養期間の中でも、子どもたちにスポーツを通じて、かけがえのない経験を提供してあげたい。そんな目標を掲げる、団体の活動に迫った。

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「入院中の子どもたちの病院を定期的に訪問して、スポーツ活動を提供させていただいたり、スポーツチームへの入団事業というのを提供しています」

 こう話すのは認定NPO法人BeingALIVEJapan(ビーイング・アライブ・ジャパン)の代表を務める北野華子さん。

 BeingALIVEJapanは2015年に設立。長期療養中の子どもたちに対して、アスリートとの交流会やプロチームへの入団など、スポーツを通じた支援を行ってきた。

 団体設立のきっかけは北野代表の原体験。自身も幼いころに長い療養生活を送っていたという。

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「5歳から18歳まで治療をしていた中で自分が一番最初に諦めたのがスポーツだった」

 「病気」があると「スポーツ」はできない。そんな固定観念にとらわれていたと北野代表は話す。病気の回復後に留学したアメリカである決心を固める。

「病院の中でスポーツを通じて、子どもたちの自立や、長い治療生活の中に支えてくれるコミュニティー、そういった仲間作りを支援していると伺ったのがきっかけです」

 設立から約8年、これまでに1200人以上を支援。目指しているのは、スポーツを通じた子どもの自立だ。

「スポーツを通じてお友達が出来たり、少しでも出来たと思えるような瞬間、自信がつく機会になればと思っています」

 3月のある週末、静岡県沼津市。この日開催されていたのは、プロバスケットボールリーグ、B3ベルテックス静岡の一戦。

 試合前、選手たちが次々とコートに姿を現す中、出てきたのが小西亮太朗くん(11歳)。慢性多発性再発性骨髄炎という病気で、長い療養生活を送っている。

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 亮太朗くんは去年9月、BeingALIVEJapanのスポーツ入団事業「TEAMMATES事業」の一環としてベルテックス静岡に加入。

 試合前の練習のサポートや試合中の観戦など、半年間、文字通り「チームの一員」として、過ごしてきた。

 亮太朗くんの活動をそばで見守ってきた父親の直人さん。病気で塞ぎがちだった亮太朗くんの成長が何よりの楽しみだという。

「活動を通して外に出る機会も増えて、亮太朗は運動が苦手で嫌いだと思っていたんですけど、この場所に来ることを亮太朗は好きで来てる。それが何より嬉しいなって思っている」(亮太朗くんの父)

 そんな亮太朗くんは今年4月、チームを卒団。かけがえのない経験を手にし、新たな一歩を踏み出す。

 北野代表によると、国内で長期療養を必要とする子どもの数は、現在約25万人にものぼるという。スポーツを一人でも多くの子どもたちに――。今後、より多くの子どもたちを支援していきたいと話す。

「スポーツには、出来る事を見つけていったり、個々の可能性を見出したり、引き出していく力というのもあるので、病気をしながら、何が出来るか一緒に見つけること。この活動を通じて、全ての病気のお子さんにも届けていきたいなと思っています」

 この取り組みを受けて、ノンフィクションライターの石戸諭氏は、

「長期療養の子どもたちが、学校外の地域のスポーツ少年団などに入れるかどうかとしたときに、受け入れる側も含めて課題をかなり抱えるはずです。いろんな知識を持った人たちがバックアップして、スポーツの場を提供することは欠けていた視点だし、そこを前に進めていくのは社会にとってプラスになります」

(『ABEMAヒルズ』より)

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