【映像】ビッグクラブに入ったのに「毎日うつ状態だった」理由とは
【映像】ビッグクラブに入ったのに「毎日うつ状態だった」理由とは

 昨年7月、10年ぶりに選出された日本代表の試合で右膝前十字靭帯を痛め、長期離脱していた横浜F・マリノス 宮市亮。そこからおよそ10か月ぶりにピッチへ戻ってきた“不屈の男”が、元北朝鮮代表・鄭大世氏のインタビューに応じた。18歳で名門アーセナルへ入団したものの「毎日うつ状態」という苦悩の日々、宮市は何を感じていたのか。

【映像】ビッグクラブに入ったのに「毎日うつ状態だった」理由とは

 高校在学中に参加したアーセナルの練習で名将アーセン・ベンゲル監督の目に留まり、そのままJリーグを経ずに海を渡った宮市亮。10代でスーパーエリートコースを歩んだ宮市だが、現実は厳しかった。

 何十億の移籍金で加入してくる世界のトッププレーヤーたちに劣等感を感じていたという宮市は「葛藤というか、本当にレベルが高かったので、正直毎日うつ状態でした」と当時の苦悩を明かした。

 慣れない国での一人暮らし、一緒に生活する家族も、支え合える日本人選手も近くにいなかった。ロンドンでは練習場と家を往復して「次の日の練習の準備」をするだけの生活だった。

 チームメイトも、特にドイツ二部やオランダでは「自分が成り上がってやろう、ここで名をあげてステップアップしよう」という志向が強く「チームとしてのまとまりは正直なかったかも」と語る。ただ、“言葉の壁”がなくなった2~3年目以降は「腹の底から爆笑できた」というから、コミュニケーション自体に問題はなかったようだ。

 そのぶん、日本に帰ってきた現在は「タイトルを目指す」という一体感やチームとしての「ファミリー感」を感じられている。あらためて家族やチームメイトなど自身を支える周りの人々の重要性を強く実感しているようだ。
 
 そんな宮市の苦労話を聞いた鄭大世氏は、自身も当時プレミアリーグ入りを目標にしていたことを打ち明けた。かつて、ドイツ経由でプレミアリーグに移籍をすることを目指した鄭大世氏だったが、夢は叶わず。それだけに、高校からいきなりビッグクラブであるアーセナルに加入した宮市には大きな衝撃を受けたようで、「失敗しろって正直思っていました」(笑)とぶっちゃけトークも展開。

 しかし鄭大世氏は、当時自身が所属していたケルンとアーセナルとで練習試合をした際に宮市と初対戦し「日本人で、サイドでスピードのある選手は身長が低い選手がほとんどだったのに、180cm以上あるのにあれだけのスピードで走れるのは驚いた」と吐露。宮市のプレーが「衝撃的だった」と本音を明かした。
ABEMA/プレミアリーグ)

【映像】横浜F・マリノス 宮市亮 ~プレミアリーグに挑戦した男が語る~
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