安倍元総理が銃撃され死亡した事件から1年――。政治ジャーナリストの岩田明子氏が8日の『NewsBAR橋下』に出演し、安倍元総理の知られざる話を明かすとともに、橋下徹氏が総理をめぐる批判について語った。
岩田氏は1996年にNHKに入局し、初任地の岡山で警察と検察取材を担当。2000年に東京放送センターの報道局政治部に移ると、安倍氏が官房副長官だった2002年から番記者を務める。約20年にわたり取材を行い、安倍氏に“最も食い込んだ記者”に。ニュース番組では解説委員としても活躍し、2022年7月に退局している。
そんな岩田氏は“安倍氏の弱点”について問われると、「第一次政権と第二次政権では本当に別人のように変わった」と話す。
「人の痛みや苦しみにすごく関心を持つというか、話をよく聞くようになった。あえて悪いところを言うとすれば、情にほだされてしまう。第一次の時はもっとドライでプリンスっぽかったのが、第二次の時は自分が苦労した分、人の痛みに寄り添うようになった。ウェットとドライの部分があるとしたら、ウェットの部分が押す場面が増えてきて、それが桜(を見る会の問題)だったんだと思う。そういうところを私が『ちょっと違うんじゃないですか』と言うと、『岩田さんは政治家じゃないからわかんないだよ』と言われたが、翌日になると『ここの部分は岩田さん正しかったよね。でもね…』と自分なりに整理をされていて、そういうところは謙虚なのだなと」
また、激務ぶりは「いつ寝ているのか」と不思議に思うほどだったそうだ。
「総理大臣になった時に、『23時に寝てください』『23時以降は電話に出ないでください』と秘書官たちにかたく言われて、最初は守っていた。しかし、電話がたくさんかかってきて、理由をつけて出るようになり、寝るのが0時半とか1時とかになっていく。予算委員会があれば4時半とか5時に起きて勉強会なので、ほとんど寝ていない。きつい予算委員会だと眠れなくて、まどろんだときに夢の中で答弁している時もあったようだ。その寸暇を惜しんで本や映画を見たり、電話をしたりしている。情報に接してこその為政者で、22時から0時は電話タイムだった」
そんな中で「あの政治家は何もしない」などと批判されることについて、橋下氏は反論する。「僕も知事・市長をやっていたから、政治を論評する時にリスペクトは忘れないようにしようと。賛否いろいろあるけど、コメンテーターの発言で一番頭に来るのは『何もやってへん』だ。なんもやってないわけないやろ、と。総理や各大臣をはじめ、政府に入っている人は本当に激務」。
これに岩田氏も「それは事実じゃないでしょと。メルケルさんも『日本の予算委員会長いけどいつ仕事するの?』と言うぐらいだし、夜は夜で財界人だとか、外国からお客さまが来たら外交みたいなものだ。予算委員会がない時は○○対策本部などの会議だらけで、トイレに行く暇もない。さらに外国出張に行ったら、外国の首脳と国益をかけてやり合う。ここだけの話、私が本当に疲れてるんだなと思ったのは、安倍さんは腸が悪かったから定期検査を受けていた。内視鏡を挿れる時に注射する鎮静剤をすごく楽しみにしていて、『明日は内視鏡だから、鎮静剤でちょっとポワっとできる』と。何もかもから解放されてクタッとなりたいんだなと」と明かした。
さらに、「アルジェリア事件のように予期せぬ出来事が次から次へと起きたり、生前退位をこなして元号を変える、いろいろな首脳と会談をする、平和安全法制を通す、経済を良くする。これらをやった後、最後コロナだ。最初は武漢にいる日本人を帰国させたり、ダイヤモンド・プリンセス号の対応をしたり。3月くらいまでは走り抜けたが、その後に息切れしてしまった」と続けた。
橋下氏は「消費税増税を言葉にしただけで1年以内の退陣となるところ、2回も上げた。賛否はいろいろあるが、本当に激務でこれだけ仕事をした人はいないし、歴代の総理はもちろんそうだと思う。批判はそこをわかった上でしないといけない」と述べた。(ABEMA『NewsBAR橋下』より)