フィリピンの首都・マニラから、プロペラ機とボートを使って5時間。電気はほとんど通っておらず、道路もない、小さな島に着いた。
このリナパカン島では、住民の多くが漁業を生業としている。
集落にいたのは、日本人の父とフィリピン人の母を持つウエハラ・パムフィラさんだ。妹のトヨコさん、トミコさんと島で暮らしている。
「あなたにも私にも日本人の血が流れています」(ウエハラ・パムフィラさん)
戦前、フィリピンには多くの日本人が移り住んでいた。最盛期には約3万人いたという。ところが日米の開戦とともに、アメリカの統治下にあったフィリピンに日本軍が侵攻。日本軍への戦争協力を強いられた在留邦人は、フィリピン人からも敵とみなされた。
「覚えているのは、日本兵が『戦争が始まったから』と言って、私の父をトラックに乗せて連れて行ったことです」
父は戻って来なかった。戦後も激しい反日感情は続き、ウエハラさん姉妹は小学校までしか行くことができなかった。その後の暮らしは、貧困を極めたという。
また、当時のフィリピンでは「子どもは父親の国籍に属する」と法律で定められていたため、姉妹は「無国籍」の残留日本人として戦後を生きることになってしまった。
「私たちが過ごしてきた幼少期を、きっとあなたは想像もできないでしょう。とても辛い日々でした。もし父がいたら……こんな経験はしなかった。『日本人になりたい』んじゃない。私たちは『日本人』なんです」(ウエハラ・パムフィラさん)
父親が戦死するなどしてフィリピン人の母とともに、あるいは孤児となって多くの子どもたちが残された実態は、長きにわたり知られることはなかった。
■迫害を逃れるため…日本人であることを隠し生きてきたモリネさん姉妹
NPO法人「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」では、残留日本人の日本国籍を回復する支援を行っている。この日、訪れた先はモリネ・エスペランサさん、リディアさん姉妹だ。父親の名前は「カマタ・モリネ」。出身を聞くと「オキナワ」と答えた。
当時、まだ幼く、日本語を話せないモリネさん。迫害を逃れるため、日本人であることを隠し生きてきた。
「親戚は私に名字を名乗らせませんでした。もし、日本人の子どもだと知られたら殺されるから」
フィリピン人の母から聞いた記憶を頼りに、戦時中、亡くなったという父のことを必死に伝えようと話してくれる。
「父は顔の一部しか見えないくらいヒゲが濃かった。漁師で船を持っていた」
姉妹の証言をもとに調査を進めると、沖縄の「盛根蒲太(もりね・かまた)」という男性が、フィリピンに渡ったパスポート記録が見つかった。
団体は9年に渡って調査を続けているが、日本国籍を回復するにはまだ“別の”証拠が必要だという。「なぜ日本人になりたいのか」と聞くと、エスペランサさんは「父が日本人だから。日本人の血が私にも流れているから」と答える。
父親との親子関係を証明できる資料がない中、日本国内で親類を探し出せないか。パスポート記録を追って、沖縄へ向う。
まず、本籍地に書かれていた場所に行くと、荒れ地になっていた。手掛かりを探し求める中、県立図書館に、沖縄の移民に関する資料がデータベース化されていることがわかった。「モリネ・カマタ」で検索してみると2回フィリピンに行っていることがわかった。
最初の渡航から5年後、再びフィリピンに渡っていた盛根蒲太さん。目的は「漁業のため再渡航」と書かれている。「父は漁師で船を持っていた」という姉妹の証言と一致する。
さらに、盛根さんには同じくフィリピンに渡った弟がいた。もし弟の家族が生存していれば、証言が得られる可能性もあり、国籍回復の証拠になる。
その後、盛根蒲太さんの弟の孫が那覇市内に住んでいることがわかり、連絡をとることができた。孫は「祖父は確かにフィリピンに渡っていた。大伯父の蒲太については、フィリピンにわたり、戦死したという話を聞いている。リディアさんたちの映像を次の世代の親類にも見せてあげたい」と話す。
日本国籍の回復に向けた、大きな前進だ。
■これまで304人の国籍を回復「捨てられた日本人。棄民です」
調査開始から20年。これまで304人の国籍を回復できたが、多くは戦火で書類が焼失するなど、証拠を揃えることが困難な状況になっているという。
4年前、1069人と把握していた「無国籍」の人数は、最新の調べで493人にまで減った。
戦争で家族5人を失った寺岡カルロスさんは、長年、先頭に立ち、無国籍のままフィリピンで暮らす2世たちの一括救済を求める活動を続けてきた。
寺岡さんの母、弟、妹はアメリカ軍機の空爆で、二番目の兄はフィリピンゲリラに、一番上の兄は日本軍にスパイと疑われて銃殺された。当時、寺岡さんは14歳だった。
「捨てられた日本人なんですよ。忘れられてしまった。棄民です。ほとんどの人が90歳を超えています。国籍を何とかして日本人と認めてもらえれば、この人たちは全部助かる」
(「ABEMA NEWS」より)