22歳で夫が急逝 シンママモデル・青木菜花、支えられた2歳娘の存在「自分のことは何にも手を付けられなかったけど、こっちゃんのためだったら頑張れる」
育児をする梶田冬磨さん
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「思い出しちゃうとやっぱりつらくなっちゃっていたので、あんまり思い出さないようにこの1年間を過ごしてきていて。本当に自分よりも他人を優先できるような感じの人でした。思い出しちゃうとやっぱり涙が出てきちゃいます」

 2022年9月16日、22歳という若さで亡くなった俳優・梶田冬磨さん(享年22)の妻でモデルの青木菜花(24)ABEMAエンタメの取材に応じ、夫の早すぎる死から1年が経った今、2歳半の娘と2人で生きる現在の心境を語った。

【映像】育児をする梶田冬磨さんや結婚式の写真(複数カット)

娘を溺愛していた梶田さん「初めて話す言葉も『絶対パパって言わせる』ってめっちゃ言い張ってました」

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 青木が梶田さんに出会ったのは高校3年生の時。2018年にABEMAで放送された恋愛番組での共演がきっかけで結ばれた2人は、ファンの間で「なのかじカップル」として親しまれ、YouTube投稿や番組出演などの活動をしていた。

 そして、交際開始からおよそ3年後の2020年11月22日、「いい夫婦の日」に結婚。さらに、第1子の妊娠を発表した。

「プロポーズは2回してもらっていて、初めてプロポーズしてもらった時はおうちでいきなりだったんですけど『結婚してください。僕が幸せにします』みたいな結構シンプルなものでした。かじくんもその時に『もっと盛大にプロポーズすればよかった』って思ったみたいで、コロナで結婚式が延期してしまったり、ちょっと期間が空いてしまったんですけど、結婚式を挙げた時にサプライズで私が大好きなカスミソウの花束を持って2回目のプロポーズをしてもらいました」

「かじくんは本当に元気で場を盛り上げてくれるような、明るくて優しくて。長く生涯を見たときにどんな困難でも、かじくんとだったら乗り越えられるなって思えたので結婚しました」

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 夫婦になって迎えた 初めての春。第1子となる長女のこっちゃんが誕生。

「すごくうれしかったし、無事に産まれてきてくれて一安心。かじくんはすごく喜んでいたんですけど、自分が最近髪の毛が薄くなってきて心配していて。なので『髪の毛生えてる?』ってまずその一言言われて、それにめっちゃびっくりしましたね」

 娘のこっちゃんを溺愛していたという梶田さん。積極的に育児に参加しパパの顔を見せていたという。

「家事も育児も仕事も2人で協力して何でもやっていたので、生まれたばかりの時って夜中も
3時間ごとに授乳したりとかあるけど、一緒に起きてくれていて、協力的な優しいパパでした。本当にこっちゃんのことがめちゃくちゃ大好きで、『絶対パパっ子にする』みたいな感じだったので、こっちゃんが初めて話す言葉も『絶対パパって言わせる』ってめっちゃ言い張ってました」

「目の前が真っ暗になった」菜花を支えた最愛の娘・こっちゃんの存在

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 しかし、「こっちゃんにパパと呼ばれたい…」そんな梶田さんの切なる願いは叶うことはなかった。

「目の前が真っ暗になってしまったような。何て言ったらいいんだろう。本当に言葉にするのが難しいほど。つらかったって言ったらいいのかな。絶望ってよく言うけど、本物の絶望ってこういうことを言うんだなというか、苦しいでしかない」

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 最愛の夫を亡くした青木は、去年9月27日、SNSで梶田さんの訃報を発表。そのまま芸能活動を休止した。

「私の精神面が本当にすごく不安定になってしまって。半年前には結婚式を挙げていて本当に幸せな毎日だったけど、ご飯を食べられなくて夜も寝られなくて。肌荒れとかもそうなんですけど、体にもすごく出てきちゃっていました。何にもできできないくらいになってしまったというか」

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 絶望の淵で悲しみに暮れていた青木に生きる気力を持たせたのは、他ならない、こっちゃんの存在だった。

「パパが亡くなってしまってからも、こっちゃんは本当にずっとすごく元気だったので。こっちゃんが元気だったから、私もすごく元気をもらっていたので。こっちゃんがいてくれてよかったなって思います。より私が守っていかなきゃって自分がやらなきゃって、本当に自分のことは何にも手を付けられなかったんですけど、こっちゃんのためだったら頑張れるなと思いました」

「かじくんはこっちゃんのことが大好きで。こっちゃんのことを思ってくれていたので、こんなに素敵な、こっちゃんのことが大好きなパパがいたんだよってことはちゃんとこっちゃんにも伝えていきたいなって思っています」

活動復帰で心境に変化「表に出る仕事っていうのは、自分には難しいんじゃないかなってずっと思っていた」

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 そして、今年7月。梶田さんが亡くなってからおよそ10カ月後に青木は芸能活動復帰を発表した。

 活動休止前に専属モデルを努めていた雑誌『I LOVE mama』での活動を再開。さらに、YouTubeでは、「ファンの方に心配をかけたくない」と、こっちゃんとの日常を投稿し、楽しげな親子の様子を見せている。

「今のお仕事も続けていくのか本当にすごく悩んで、表に出る仕事っていうのは、自分には難しいんじゃないかなってずっと思っていたんですけど。マネージャーさんが『つらい経験をしたけど、こうして前を向いて頑張っている姿を見て、勇気をもらえる人もいると思うよ』ってお話をしてくださって。誰かの励みになれたらうれしいなと思って。前を向いて頑張っていこうかなと思って、今の仕事を続けていくことを決めました。仕事を再開する前と再開してからというのは、心境の変化がすごくあって。何事にも前向きに前を向いて頑張っていこうっていう考え方にも変われてきていて。いろんな人と関わりも増えて環境が変わるというのはすごく大きいかもしれないです」

梶田さんからの手紙に涙「『好きなところ100個』っていう。字見るとやばいな」

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 前に進みたいという思いがある一方で、青木には目を背け続けているものがあった。それは、梶田さんとの思い出の品や写真。梶田さんとの幸せだったはずの思い出がいつからか、辛い過去になっていたのだ。

 梶田さんとの別れから1年、今回、青木は心の奥にしまい込んでいた2人の思い出と向き合うことにした。

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「(カスミソウのドームを見て)本当に思い出のものはすごくたくさんあって全部大切にとっておいてあるんですけど、これは結婚式の時にカスミソウの花束を持ってプロポーズしてもらったんですけど、その時にプレゼントしてもらった花束を形に残しておきたくて作ってもらったものです」

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「(好きなところを羅列した手紙を見て)これはバレンタインのお返しでかじくんが私にプレゼントしてくれたものなんですけど、『好きなところ100個』っていう。字見るとやばいな。
笑顔、優しいところ、可愛いところ、甘えてくるところ、負けず嫌いなところ。思い出を大切にしてくれるところ、まぬけなところ、わがままを聞いてくれるとこ、マカロンが作れるところ、いつでも手をつないでくれるところ。笑い方がいいとか家族思いのところ。本当に私のことを思っていろいろ書いてくれたんだろうなと思って。自分の字で好きなところをこうやってくれているっていうのはすごくうれしい。めっちゃ久しぶりに見たなこれ」

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「一緒にいろんなことを振り返りたかったんですけど、結婚式の写真とかもデータにするのが遅くて、結局一緒に見られずになってしまって。結婚式の時の写真も素敵な写真が本当にたくさんあって、本当にすごく幸せそうに笑っていて、一緒にそれも見て振り返りたかったなって思うんですけど。寂しいですね。もう一切見られなかったので、そう思うと少しずつ。受け入れられてきているんだなって思います」

 青木は、幸せな思い出から逃げずに揺れる自身の心を受け止めていた。

「こっちゃんの家族は私しかいないので、母親として強く生きていかないといけない」

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 後日、専属モデルを務める雑誌『I Love mama』の撮影現場を伺うと、そこには笑顔で仕事と向き合う彼女の姿が。

「みんなの前では明るく元気な姿を見てほしいので、いつも笑顔でお仕事には臨むようにしています。やっといろんなことと向き合って乗り越えて、笑顔で仕事に取り組めるようになってきたかなっていう感じです」

 6年間、青木を担当しているマネージャーも「今はだいぶ前向きになれたかなと思っていて。今までは僕から連絡することが多かったんですけど、お仕事の相談を積極的にしてくれるようになったので。前向きプラス積極的になってきたかなと思っています」と、彼女の変化を感じているという。

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 夫を亡くして1年。深い悲しみと向き合い、笑顔を取り戻しつつある青木。残された娘と生きる決意を語ってくれた。

「(思い出を)ずっと見られずにいたけど、このタイミングで振り返ることで、前を向けるきっかけにもなるんじゃないかなと思っていたので。かじくんのことが本当に大好きで大切な人だったので。ずっと私が大切にしてきた思い出を振り返れたっていうことは、また一歩、自分の中で前を向けたのかなって思っています。つらいことはあったけど、下を向いていちゃいけないなというか。これからのこっちゃんの成長だったり、これからの自分の人生を強く生きていきたいし。こっちゃんの家族は私しかいないので、母親として強く生きていかないといけないのかなと思っていて。お互いに支えあいながら、前を向いていきたいなとは思っています」

(『ABEMA NEWS』より)

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