将棋の藤井聡太竜王・名人(王位、叡王、棋王、王将、棋聖、21)が10月11日に行われた王座戦五番勝負第4局で勝利し、シリーズ3勝1敗で王座を獲得、8つのタイトル全てを独占する、全冠制覇を成し遂げた。全冠制覇は史上4人目、八冠独占は史上初。日本中が再び「藤井フィーバー」に沸いている。14歳でデビューして以来、研究パートナーとして腕を磨いてきた永瀬拓矢王座(31)とのタイトル戦は、3勝1敗という数字以上の大激戦。特に第3局、第4局は永瀬王座が優勢、勝勢の場面から大逆転が起きただけに「将棋は逆転のゲーム」という言葉が、改めてファンの胸に刻まれる形となった。
決定局となった第4局、中継していたABEMAの形勢判断ソフト「SHOGI AI」の勝率表示が、永瀬王座99%から一気に藤井竜王・名人85%に転じた瞬間、解説していた棋士、聞き手、そして観戦していたファンたちも思わず絶句、もしくは悲鳴にも似た声をあげたことだろう。ほどなく、自分の失敗に気づいた永瀬王座は、悔やんでも悔やみきれないとばかりに、何度も頭をかきむしり、着崩れかけていた和服もさらに乱れた。日本中が注目していた八冠をかけた大一番。そこで見たものは藤井竜王・名人の会心譜ではなく、将棋というゲームの恐ろしさだった。
あまり将棋に親しみがない人からすれば、ほんの一手の違いによって、それほどまでに状況がひっくり返ってしまうものかと驚く、もしくは理解されないかもしれない。将棋ソフトが示す最善手を指さずとも2番手、3番手の候補手を指せば、多少は勝率(評価値)が下がることはあっても、大逆転ということはない。ところが状況によっては、わずかに見せた隙が一大事にもなる。永瀬王座は5時間の持ち時間を使い切り、1手60秒以内に指さなくてはいけない状況だった。対局後「エアポケットに入ってしまった」と表現したように、極限状態でなければ指さないような手を、なぜか自分の指が指してしまったような感覚。SHOGI AIの候補に出てこなかった痛恨の一手によって、勝率グラフは無慈悲に藤井竜王・名人の勝勢だと、はっきり示した。
将棋の怖さは藤井竜王・名人でも味わってきた。プロ入り後でも、勝利間違いないという状況から大逆転負けを喫して、がっくりとうなだれたこともあった。今回は、最後まで状況を複雑化させようと、諦めない指し手の連続が逆転を生んだことで、八冠独占へとたどり着いたが、いつ自分がまた逆転負けの側に回るかわからない。それがわかるからこそ、会見でも「まだまだ伸びしろ、改善の余地は多い。もっと実力が必要だなと感じることが多い」と、今の自分に満足もしない。
盤上の情報だけでなく「時間」という要素も加えられていることで、トップ棋士同士でも度々起こる大逆転。今回のケースでは、藤井竜王・名人の偉業達成を祝福する一方で、棋士からは勝勢から自らの一手によって敗れた永瀬王座を労う声も多かった。それは「明日は我が身」と思うことが多いからだろう。ファンが喜ぶ劇的な勝利と、その裏にいる残酷な結果を突きつけられる敗者。このドラマがあるからこそ、将棋ソフト(AI)が全盛と呼ばれる今であっても、人間同士の対局は見る者の心を打つ。
(ABEMA/将棋チャンネルより)