「『今国会最後の質問』が最期になってしまうとは、誰が想像できたでしょうか」 島村大参議院議員逝去、三原じゅん子議員弔詞<全文>
【映像】三原じゅん子議員の弔詞
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 20日の参議院本会議で、8月に多臓器不全のため63歳で亡くなった神奈川選挙区選出の自民党・島村大参議院議員への弔詞を、三原じゅん子参議院議員が代表して読み上げた。以下全文。

【映像】三原じゅん子議員の弔詞

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本院議員・島村大先生は、去る8月30日、多臓器不全のため、逝去されました。享年63歳、あまりに早く、あまりに突然のお別れでありました。誠に哀悼、痛惜の念に絶えません。

先生は、先の常会の会期末まで、多くの法案をようする厚生労働委員会の与党筆頭理事として、昼夜を分かたず、与野党間協議や会派内調整に翻弄されておりました。国会が閉会した後も、記録的な猛暑の中で街頭演説に立たれるなど、地元・神奈川県を中心に精力的に活動されておりました。

病を抱えておられたとはいえ、ごく最近までお元気だったお姿を思い浮かべると、今でもこの悲しい知らせを信じることができません。同僚議員の皆様におかれても、同じお気持ちであると思います。ここに、議員各位のお許しを得て、議員一同を代表し、従四位・旭日重光章、故・島村大先生の御霊に対し、慎んで哀悼の言葉を捧げます。

島村大先生は、昭和35年8月、千葉県市川市にお生まれになられました。昭和54年には、日本大学第二高等学校から東京歯科大学に進学されます。大学時代には、歯科医師になるための勉学と研鑽に励まれるとともに、ヨット部に所属しながら、さまざまなマリンスポーツに挑戦されるなど、活発な学生生活を送られていたとお聞きしました。

昭和60年に東京歯科大学を卒業された後は、東京歯科大学歯科補綴学第三講座に入局され、晴れて歯科医師として歯科医療の世界に歩みを進められました。その後、平成2年には、ご親族に歯科医師がいない中、手探りで横浜市保土ケ谷区に横浜ビジネスパーク歯科クリニックを開業され、ご苦労を重ねながら、地域に根差して多くの患者さんと向き合ってこられました。こうした日々の診療とともに、歯科医師連盟の活動も両立され、平成17年からは神奈川県歯科医師連盟理事長、平成23年からは日本歯科医師連盟理事長を歴任されました。先生の健康づくりへの思いは、こうした活動を通じて、次第に大きくなっていったものと思います。

同時に先生は、少子高齢化と人口減少が急速に進む社会を診察室から見つめながら、このままでは安心して歳をとることができない社会になってしまうという、強い危機感も抱かれました。この国において、誰もが安心して長生きできる社会をつくること、そしてそのために誰もが納得できる給付と負担の社会保障制度をつくること。すなわち真の健康長寿国を目指す先生が、次のステップとして国政の場で力を発揮しようとされるのは、ごく自然なことでありました。

平成25年7月の第23回参議院議員通常選挙に激戦の神奈川選挙区から立候補し、全国1位の得票数で見事にトップ当選を果たされ、参議院議員としての活動を始められたのであります。そして、令和元年7月の第25回参議院議員通常選挙においても、神奈川県選挙区でトップで勝ち上がり、再選を遂げられました。これまで10年にわたり席を置かれた国会では、厚生労働委員会を中心に多くの審議に参加され、平成29年9月から翌30年10月までは厚生労働委員長を務められました。その間、委員会には働き方改革関連法案など、社会的に大きな関心を集める法案が付託され、委員長の肩にも重責がかかっておりましたが、1年余りにわたってその職責を全うされました。

令和3年10月からは、新型コロナウイルス感染症の拡大によって、社会がこれまで経験したことのない難しい局面に立たされる中、厚生労働大臣政務官と内閣府大臣政務官を兼務され、行政の立場から新型コロナウイルス感染症対応とワクチン対策に力を尽くされました。昨年8月に政務官を退任された後には、再び国会の現場に戻られました。そして、つい先日まで厚生労働委員会の与党筆頭理事として、国会内を駆け回っておられたことは冒頭に申し上げたとおりであります。

「『今国会最後の質問』が最期になってしまうとは、誰が想像できたでしょうか」 島村大参議院議員逝去、三原じゅん子議員弔詞<全文>
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先生の人柄として思い出されるのは、いつも笑顔を絶やさず、持ち前の親しみやすさで、与野党問わず、どの会派の議員とも分け隔てなくお付き合いをされていたことであります。理事会が始まる前に、雑談で場を和ませるのはいつものことでしたし、委員会でいい質疑があったときには、他の会派の委員に対してもためらうことなく拍手や声援を送られておりました。その一方で、医療人らしく率直な言葉で政府に対策対応を促す芯の強さと、利害にとらわれずに、真に必要な改善策を模索する誠実さも持ち合わせておられました。

先生は歯科医師のご出身ではありますが、神奈川県選出の国会議員として、歯科医療のみならず、県民ひいては国民の目線で政策を考えていかなければならないとの強い意識をお持ちでした。このため、現場で困っていることを吸い上げて、中央に伝えるとともに、中央の考えを現場に伝えることにいつも心を砕いておられました。先生には、現場で生活している方々の声を、耳をすまして聞くことができるお人柄があり、そしてその声を中央に伝えられるだけの力がありました。いわば、現場と中央の架け橋を担うことができたのが、島村先生その人でありました。

先生の現場への思いは国会での質疑にも表れておりました。ダイヤモンドプリンセス号が横浜港に入港していた当時、地元・神奈川県の医療従事者の方々が極めて情報が限られる中で、責任感とプライドを持って新型コロナウイルス感染症対応に当たったことを絶対に忘れてはならない。そう訴える先生の言葉には、同じ医療従事者としての現場に対する強い共感と深い敬意が滲み出ておりました。

先の常会終盤の6月、先生は障害をお持ちのお子さんが適切に歯科医療を受けられる方策を政府に質されました。それは、地域で小さなお子さんからご高齢の方まで、障害のある方、ない方を問わず、多くの患者さんを診察されてきた先生ならではのご経験と問題意識に根差した問いかけでありました。その冒頭、先生は「今国会、最後の質問になると思う」と前置きされておりましたが、それが先生の最期の質問になってしまうとは、一体誰が想像できたでしょうか。先生のご無念を思うと言葉になりません。

そして、ご家族の悲しみもいかばかりかとお察しいたします。先生が急逝される直前、お嬢様の結婚式があり、先生も感慨無量の面持ちで出席されたと伺いました。先生はご家族を本当に大切にされてきただけに、先生を失われたご家族のご心痛も計り知れません。ただ、先生がこれまでに蒔いたいくつもの種は、間違いなく後に芽が出てくるはずであります。そのことを信じ、ご遺志を継ぎながら、私たちも力を尽くしてまいります。

ここに、謹んで在りし日の島村大先生のお人柄とご功績を偲び、参議院を代表して御冥福をお祈り申し上げ、哀悼の言葉といたします。

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