観客から熱い支持を受け再演もされた戸田彬弘作・演出の舞台『川辺市子のために』を映画化した『市子』が12月8日から公開スタートする。プロポーズを受けた翌日に、突然姿を消した市子…。過酷な宿命を背負った市子の壮絶な人生が描かれていく。市子を演じた杉咲花と、市子と3年間一緒に暮らしていた恋人・長谷川義則を演じた若葉竜也に、撮影中の思い出や本作の魅力を聞いた。
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「市子のことを対岸の火事にしたくない」杉咲花&若葉竜也の本作への思い
――杉咲さんは台本を読んだときに「涙が止まらなくなった」とコメントされていますが、涙の理由を教えてください。
杉咲花(以下、杉咲):市子が、自身の生まれた環境に身を置かざるを得ない中で、夢ができることであったり、目の前の人と明日も一緒に居たいという欲望が芽生えること、そういった眩しい方向に導かれていくことへの苦しみに、引き裂かれるような痛みを感じました。傲慢であると分かっていても、言葉では表せられないような感情が湧き出てきて、気がつけば涙が出ていました。そして、戸田監督から「自分の監督人生において分岐点になる作品だと思っています」と書かれたお手紙をいただいていて、作品に込められた並々ならぬ気持ちを受け取ったと同時に、自分を求めてもらえたことがありがたくて、震える思いでお受けしました。
――若葉さんは、「軽薄に人間をカテゴライズして『わかっている』と安心したがる人に見てほしい」というかなり強い言葉を残されています。この言葉にはどんなお気持ちが込められているのでしょうか。
若葉竜也(以下、若葉):罪を犯してしまった人に対して、生い立ちや家族構成、環境などでカテゴライズして安易に安心するような風潮があるように感じています。今は、戦争に関してあらゆるメディアが報道していますが、本当はもっと我々の世界線と地続きにあるものなのに、どこか自分とは違う他人事、異国の遠い出来事のように伝えられているような気がしたり。僕は、市子のことも対岸の火事にしたくない。自分とは関係ない映画の世界にしたくないという思いがクランクインの前からありました。映画を見る人たちの想像力を喚起したいと思いました。
――どんな課題を持って撮影に挑まれましたか。
杉咲:私は、なにかが満ち足りていない感覚をそばに置くために減量をしました。それから、とにかく穏やかに生きていたいという願いを抱くことに集中していました。
若葉:長谷川は観客と一緒に市子の過去を見ていく役なので、新鮮にすべてを受け止めなることが大切だと考えていました。表層的になった瞬間から一気に作り物になると思ったので、そこは意識しました。そのために、市子の過去パートはほとんど読まずに撮影に挑みました。
――市子の過去を初めて知る長谷川は、冷静に受け止めてくれる包容力を感じました。
若葉:感情とか怒りとか悲しみは、基本的には押さえこむものだと思っています。ほかの映画の登場人物が、怒りや悲しみを出し過ぎているというか、それで冷める瞬間があります。そんなに激しく悲しんで、怒ることができるなら、あなたは一人で生きていけますって言いたくなっちゃう。できないから人間は苦しい。そう感じることは多いです。
――長谷川は、恋人の市子のことをほとんど何も聞かずに3年間を過ごしましたが、長谷川の中にどんな思いがあったと考えていましたか。
若葉:むしろ臆病だから踏み込めなかったように感じています。一歩引くことは実は簡単なことで、自分のために聞けなかったという感覚でした。恋人でも友達でも、怖くて聞けないことは山ほどあるじゃないですか。それが果たして相手のためなのか自分のためなのか。僕は自分のためのような気がしました。
杉咲:私は、人には「自分の安心のために、人に入り込みたくなる瞬間」があるように思うからこそ、すごいなと思います。
――相手を深く知りたいというのも自分のためだったりもしますよね。
杉咲:そうですね。自分が育ってきた環境を思い浮かべても、相手を知っていくことで無意識のうちに「共感」や「共通点」が増え、人とのコミュニティが広がっていって、それが結果的に自分の安心に繋がっていったのではないかなと思っていて。ただ、だからこそ、年齢やセクシュアリティ、出身地など、誰かのアイデンティティに関わることについても、どこか追及してもいいような空気感がまだまだ世の中にはあるように感じています。私は、相手を知りたいと思う気持ち自体はとても素敵なことだと思うのですが、その無邪気な追求が傷に繋がってしまう可能性もあるように感じていて、だからこそ相手が心を開くペースを尊重しながら、他者と関わっていけたらいいなと思っています。
若葉竜也「市子は誰もが手を出せる役ではない」
――お互いの印象をお聞きしたいです。杉咲さんが演じた市子、若葉さんが演じた長谷川についてそれぞれ教えてください。
若葉:台本をもらったときから、“杉咲花”が演じる市子にとてつもなく興味があって、それを間近で見たいと思っていました。
――実際いかがでしたか。
若葉:市子という役は、誰もが手を出せる役ではないと感じました。現場で杉咲さんは、奇跡みたいなことを連発するんです。杉咲さんは、一個次元が違うところにいるなという感じでした。
――印象的な奇跡のシーンを教えてください。
若葉:最初のプロポーズのシーンを始め、すべてのシーンが奇跡みたいでした。杉咲さんのすごいところは、カットが終わって3テイク目くらいから表情が変わってダメになるんですよ(笑)。
杉咲:(笑)。
若葉:なんにも感情が動かなくなる。それだけ鮮度があるということです。上手い下手ではなくて、魅力的ということです。60点とか70点を叩き出して上手を続けることは簡単です。杉咲さんは技術じゃなくて、細胞レベルのことをやっているからこそ、究極のものができるのだと思います。
杉咲:もう少しうまくできるようになりたいところですが…。恐縮です。ただ間違いなく、目の前にいたのが若葉さんだったからそのような表現になったのだと思います。長谷川くんとのシーンは3日間で撮りました。初日は、2人の回想シーンで、プロポーズのシーンは2日目。丸1日、市子と長谷川との時間を過ごせたとはいえ、正直撮影する前までは、3年間を共にしてきた時間感覚を得られるのだろうかという不安がありました。ですが、若葉さんが演じる長谷川の前に立っているだけで、不安が一気に払しょくされて、この人に見つめられる世界に存在できていることを心の底から幸福に感じたんです。ただ、ああいった境地にいくとは予想していなかったので、自分でも驚きました。それから私も、若葉さんこそ再現のできないようなお芝居をされる方だと思っていて、その瞬間に起こったことに明確に反応をして、どこまでも受け止めてくれる、本当に研ぎ澄まされた感覚を持たれた方だと思っています。
若葉:二人とも安定感はないよね(笑)。
杉咲:そうだね(笑)。でも本当に、若葉さんは俳優としての欲や自分の損得ではなく、目の前にいる人のために、ただそこにいてくれる人なので、信頼していました。
――プロポーズのシーンの杉咲さんは、観ているこちら側もドキッとする表情でした。どんな感情だったのでしょうか。
杉咲:婚姻届けを受け取ることが、こんなにも嬉しさと苦しみが同居するものなのかと…。それは、現場に立ってみないとわからない感覚でした。
杉咲花、若葉竜也の逆サプライズに驚き「そんなわけないと思っていたら」
――映画の中では夏の設定の舞台でした。夏であることの必然性を感じる部分はありましたか。
杉咲:現場はものすごく暑くて常になにかを奪われるような感覚でした。そうそう、若葉さんがスタッフさんに「暑さの中で出てくる汗は映像で匂い立つものだと思うから、ケアせずそのままにしてほしい」というリクエストをされたと聞いて、さすがだなと思って。私も見習っていたんです。ですがある撮影の日、ふと横を見たら氷嚢を当てていて。思いっきり涼んでました(笑)。
若葉:(笑)不覚にも熱中症になりそうになってしまって。でも、基本的には汗は本物です!本当の夏の暑さが、役者としての温度を上げる作用もあったかなと思います。
杉咲:体調管理が一番大切ですからね!
――撮影期間中はどんな会話をされていましたか。
若葉:すごいカジュアルだよね。ご飯の話をよくしました。食べるって言うことは生きる根源ですよね。それが気になるということは、相手に興味があるんだろうなと自分でも思います。
――杉咲さんはなんのお話をされたことが印象的ですか。
杉咲:なんの話したっけ?
若葉:え、忘れてるじゃん!(笑)
杉咲:(笑)印象に残っているのは、最終日まで現場に残ってくれると思ったら、若葉さんは「自分がクランクアップしたら帰る」って言うんです。でも、さすがにそんなわけがない。一応今回で3度目の共演で、さらにこの濃密な日々を共に駆け抜けた最後の日は、きっとサプライズで会いにきてくれるだろうと期待を寄せていたら、姿を現さず…。本当に帰ったんだなぁ、と思いました(笑)。
若葉:(笑)。
――カメラが止まっているときには和気あいあいとしている様子が伝わります。完成作をご覧になった感想を教えてください。
杉咲:1年前の撮影時のことが鮮明によみがえってきました。なかなか冷静に見ることができなかったのですが、自分が関わっていないシーンがやはりどれも印象的で。特に、長谷川くんがまっすぐに市子を追い続ける姿に、息が早くなるような感覚でした。
若葉:一番よかったのは、意図的なことがなかったことです。ああ、こんな顔をしていたんだと思いながら映画を観ることができたのでよかったです。
――最後に、映画館に足を運ぶみなさんにメッセージをお願いします。
杉咲:自分たちの隣にいる人の物語として観てもらえたらうれしいです。
若葉:杉咲さんが言ったように、隣にいる人。家族、恋人、友達に対して、わかったと思っている人たちに、本当にそうかなって立ち返ってもらえるとすごく意味があると思います。
――ありがとうございます!
杉咲花 ヘアメイク:中野明海/スタイリスト:𠮷田達哉
若葉竜也 ヘアメイク:寺沢ルミ/スタイリスト:Toshio Takeda(MILD)
取材・文:氏家裕子
写真:You Ishii