昨年10月、SNSの総フォロワー数が世界で10億人を超えるアメリカが誇る世界最高峰のスポーツエンターテイメントであるWWEのメイン大会「RAW」と「SMACKDOWN」の放送が日本で開始された。さらに先月27日(日本時間28日)に行われた「ロイヤルランブル」以降は、放送席の陣容を一新。自他ともに認める“WWEウォッチャー”の清野茂樹アナウンサーらが加わった。そんな清野アナが、自らの実況回ごとにWWEの魅力や楽しみ方を振り返る連載コラム。第2回目のキーワードは「スポーツエンターテイメント」。清野アナを虜にするWWEの奥深さとは。
【映像】急転直下…ロック様に大ブーイング「ファンが反旗を翻した」瞬間
■「スポーツとエンターテインメント」2つの要素が混ざったWWEとファンが生み出す熱量
WWEは自らをスポーツエンターテインメントだと宣言しています。スポーツエンターテインメントとは日本では馴染みのない言葉ですが、読んで字の如く、スポーツとエンターテインメントという2つの要素が混ざったもので、WWEの世界を指す表現としてぴったりだと思います。スポーツが数字を始めとする「結果」を重んじるのに対して、エンターテインメントは人の心をいかに掴むかという「支持」が重要。つまり、WWEは異なる2つの価値観を含んでいるからこそ、あれだけの大熱狂を生み出せるというわけです。
そんなWWEをウォッチするうえで最も大事なのがリング上のストーリーです。誰と誰が対立して対戦するのかという展開は、試合の勝敗だけでなく、ファンの支持に左右されます。「今、ファンが見たがっているのは何なのか?支持されているのは誰なのか?」とWWEの首脳陣は常にファンの反応に目を光らせていると聞きます。そして、ストーリーが支持されていないと判断したら、途中であっても没にすることも珍しくありません。前回ここに書いた“予測のつかない”展開が生まれるのです。
ちょうど先週のSMACKDOWNがいい例です。1週前はローマン・レインズとザ・ロックが激しくにらみ合ったので、「レッスルマニア」で両者の対戦は決定的という流れが出来上がりました。新旧の大物同士の初対決が実現かと思いきや、ファンは猛反発。ロイヤルランブル戦で優勝という手順を踏んできたコーディ・ローデスの前に割り込んできたロックにはブーイングが飛ぶ結果となってしまったのです。そこで、WWEは方針転換して「レッスルマニア」のメインイベントにローマン・レインズとコーディ・ローデスの対戦を発表。わずか1週間でロックの立ち位置は、コーディの理解者から敵へ変わるという、急展開を見せたのでした。
そもそも、レインズとロックの対戦は正式発表されたわけではないので、カード変更とは言い切れませんが、SMACKDOWNのリング上で最高コンテンツ責任者のトリプルHが「大きくハンドルを切る必要があった」と発言したことから、軌道修正があったことは間違いないでしょう。ただし、WWEが凄いのは、転んでもただでは起きないところ。「レッスルマニア」のカードでファンの気持ちを読み誤ったものの、すぐに変更を決断したうえで2月の「イリミネーション・チェンバー」の優勝者にセス・ロリンズへの挑戦権を与えると発表し、予選を始めました。これで結果的には「イリミネーション・チェンバー」の注目度も高くしたわけですから、リカバリー成功です。
「君たちはストーリーテラーなんだ。だから、試合を追いかける実況はしないでくれ」とは、日本語実況を引き受ける前にWWE関係者から言われた言葉です。日本のプロレス実況は、技術や試合展開を中心に伝えることで定着していますが、WWEの実況スタイルはけっしてそうではありません。現地の英語コメンテーターはストーリーやスーパースターズの個性を伝えることを最優先にしています。私もそんなスタイルに近づこうと、前回の中継では試合展開よりも「ドリュー・マッキンタイアは、とにかく惜しい男なんです」「ベイリーが仲間に陰口を言われている様子は、会社の給湯室みたいな光景ですね」などの表現に時間を割いてみましたが、まだまだ試行錯誤。もしかしたら、違和感を持った視聴者もいたかもしれません。
勝敗を中心に伝えるスポーツと比べて、どんどん変化するストーリーと登場人物の個性も伝えねばならないスポーツエンターテインメントの実況は、たいへん難しいものです。しかも、英語カルチャーとして完成されたWWEの世界観をあまり崩さず、興味のない人にも振り向いてもらわないといけません。こうした難題に頭を悩ませつつ、いろんな表現にトライできるオンエア時間が実に楽しい。日本ではまだ誰も確立していないスポーツエンターテインメントの実況で自分が先駆者になってWWEユニバースを増やすんだ、というのが大きなモチベーションになっています。
文/清野茂樹
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